充実した教育環境の日大付属高校
関西最難関中学のスレ
<男子>灘、東大寺、西大和、甲陽、洛南、星光、洛星
<女子>西大和、洛南、神女、四天(医志)
上記 最難関校以外でも大いに語ろうではありませんか。
1学年160人程度の小規模校。受験進学校らしからぬおおらかな校風。大学入試対策を無視したかのような重厚な教養主義。にもかかわらず、多い年には86人もの東大合格者を出した。その存在自体が、過熱する受験業界へのアンチテーゼであった。
ところが1990年代以降、東大合格者が減少し始めた。「もはや御三家にあらず」といった批判を受けた。理由には諸説ある。しかし私は「塾歴社会が蔓延していく中での構造的な宿命だったのだ」と考えている。
そのことをいち早く予言していた人がいる。現在の武蔵の校風を築き上げたといわれる大坪秀二・元校長である。私が「塾歴社会」と表現した状況を、共通一次が導入された1979年の時点で、「入試歴社会」という言葉を用いて予見していた。校長の職を退いたのち1987年には、東大合格者79人という実績がありながら次のような危機感を表明している。
「この20年余の間に進行してきた『受験競争社会』の激化は、今後の展開も含めて最大の問題点であるでしょう。(中略)競争原理一本で成り立っている大学進学制度が長期にわたって固定されているために、その影響が年を追って下へ下へと及んだことや、産業構造の変化などの結果として、大企業を先頭に系列化された企業中心社会が固定化しつつあることなど、原因をあげればいろいろあるとは思います。
(中略)この国の教育社会の中で、武蔵がどのような役割を負わねばならないかについても、(中略)今後は、もっと明確な哲学を持つ必要に迫られるのではないかと考えます。(中略)武蔵自身の目標が個性的であればあるほど、制度上・経済上の新しい障害が生じる可能性も大きいかも知れません」(「同窓会会報」掲載「校長退任の挨拶とお礼」1987年12月1日)
塾歴社会で"勝ち組"になるために必要なのは、大量の課題をこなす処理能力と忍耐力、そして与えられた課題に対して疑いを抱かない力である。武蔵の価値観とは見事なほどに真逆である。
大坪元校長は2015年秋に亡くなった。『大坪秀二遺稿集』の冒頭には、大坪校長のこんなつぶやきがつづられている。「世の中の流れで、多くの高等学校は受験勉強に力をいれていて、みんな、向こう岸へ行ってしまった。こちらの岸に残っているのは、もう、武蔵だけなんだ。だから、1校でもいいからこちら岸に呼び戻さなければならないんだ。何年か前まではこちら岸に数校残っていたんだが、残念なことだ」。
読みものさんが東大でのスタートダッシュでのネットワークの違いを転記してくださっていますが、後半の下記部分に東大生全体のネットワークを最大化することが窺える記述がありますね。
最初は名門校出身者が有利なネットワークを有していますが、そうでない学生さんにもネットワークのメリットが伝播していきます。
さらに部活ゼミ等さまざまな場面でネットワークが共有されてます。
友達の友達は友達的に各自のネットワークが充実していくのです。
このため卒業時の立ち位置は名門校出身者が優位とはならないですね。
もっとも、シケ長という役職については名門校の出身であることが実利的な意味を持っています。シケ長は、クラスのみんなが試験対策をしやすいように、過去問を集めたり、主要教科のノートの共有方法を考えたり、その業務の割り振りをしたりといった仕事をするのですが、名門校出身者は先輩とのつながりがあるので、過去問を入手したりしやすい。





























