女子美の中高大連携授業
関西最難関中学のスレ
<男子>灘、東大寺、西大和、甲陽、洛南、星光、洛星
<女子>西大和、洛南、神女、四天(医志)
上記 最難関校以外でも大いに語ろうではありませんか。
それが追い込みと感じない子供や家庭なら管理型の学校に宿題を出しなさいと言われることも追い込みとは感じないのでは?
それとも同じことを親に言われるのと学校に言われるので感じ方が変わる?それか親が言わないような厳しいことを生徒に求めてる管理型の学校があるの?
>自由な学校に行っても勉強しなさい、宿題やりなさい、中学のうちから鉄に行きなさい、成績下がってきたから塾に行きなさい、家庭教師付けます。よく聞きますよ。
それこそが固定観念
中学入りたてはともかく、
もはや親がどうこうできるもんじゃないです
小学生時代の中学受験じゃないんだから、
自分の意思がないとね。
それに成績が下がってきたら塾に行ったっていいじゃない?
それのどこが自由を否定することになるんですか?
それぞれが自分に合わせて塾に行ったり行かなかったりする、
それだけのこと
勉強とは勉めて強いると書きますからね。語源からして、ほとんどの人は誰かに強いられたり自分で強いないとやらないものなんじゃないですか。
しんどいことなんで誰かに言われないとできないってことは別に恥ずかしいことでもないし、嫌がる子どもにそんなことを強制できるのは、親か、親に委託された先生かしかいないですよね。
(受験)勉強が教育の全てだと言うなら何が何でも勉強させるのが親の責務と愛情だし、自身でできないならそういう学校に入れるのもよいです。しかし、つらくてしんどい勉強を子どもが自分で向き合って乗り越えて行くように仕向けるのが教育だとするなら、あんまりガミガミ言う学校に入れるのはそもそも違うのですかね。
勉強に関してうるさく言いませんと謳う学校に対して、子どもがもっと勉強するように言ってくれとクレームをつけるのは、ちょっとどうなのかなと思います。勉強はこちらで面倒見ますと言う学校にはどんどん言えばいいです。
その通り。でもわからない人が多くてね。
面白い記事を見つけた。いつの時代も同じだね。
(週刊エコノミストオンラインから)
60年代、都立高校が全盛期を迎える。64年、日比谷は193人の合格者を出した。日比谷の授業について、同校の進学指導主任教諭が著書でこう記している。
〈わたくしどもは、補習授業をしたり、超学年制をとったりすることが、高校としてまちがっているだけでなく、受験のためにも決してプラスにはならない、と信じています。(中略)まず、本校ではテストの回数を極力減らしている。(中略)テストをたびたびすることは、自発的学習のじゃまになる〉(加川仁『必勝大学受験法』講談社、63年)
ここで触れられた「超学年制」とは、高校2年修了時に3年までの課程を終わらせる「先取り学習」を言う。いまでは私立中高一貫校で普通に行われているが、当時はそれほど多くなかった。灘(兵庫)が取り入れており、日比谷は灘を「まちがって」いると批判したことになる。高校は受験予備校ではない、日比谷はそんな野暮(やぼ)なことはしない、というプライドを持っていたのだろう。
もっとも他校の進路指導教諭は冷ややかに受け止めていた。日比谷は各地域の中学の学年1、2番が集まってくる。そんな秀才たちは自分で勝手に受験勉強を先取りするから、日比谷の先生は楽なんじゃないか、日比谷だからこそ、そんなスタイルの授業でも東大受験に対応できるのであって、どの高校にも通用するわけではない、と。
想像力のない人の様ですね。学校と親では関わり方が全く違いますよ。
管理型の学校は日々宿題があり小テストなどで確認をします。
定期テスト前には補習があり、点が悪ければ追試と補講。
長期休暇の時は宿題山盛りで合宿があったりします。
更に英検などの検定も求められる。
これらの結果、教師からの指導があり、コース分けに影響したり、最悪の場合は学校から肩叩きにあいます。
一方親がやることは、学校から帰ってから家庭内であれこれ言うこと。
これは学校が管理型でも自由型でも大差ないでしょう。
ガミガミ言う親はどちらでもいます。
塾に行かそうとする親もいますが、塾は学校ほど生徒に強制する力はないです。
そして管理型の学校の生徒の場合、学校と親のダブルパンチになります。
管理型と自由型でどちらが追い込まれるかは自明だと思いますよ。
一応伝聞ですが事実なので固定概念という指摘は概念的に的外れ。
何度も書くけれど自分の意志で勉強できる子は自由型でも管理型でも学校を楽しめるのでどちらがいいとかないでしょ。
成績が下がって塾に行くのが子供の意志ならいいと思うよ。親の意志なら自由ではなく管理。




































