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【1697019】教員レベル向上

投稿者: シャンデリアⅡ   (ID:ZM3SAzVfXfA) 投稿日時:2010年 04月 18日 08:20

総人口減少・少子化によって学生数が激減してゆく今こそ、小中高教員養成課程の大改革を行うべきなのではないでしょうか。同時に、全国国立大學法人総合大学にとっては、学内調整により、教育学部を拡充・拡張して教員養成課程学生の入学者を倍増することにより、学生総数を確保して大學経営体制の立て直しを計ることが可能です。教員を目指す学生には、教員養成課程における広い視野と開かれた教育環境こそが、最も必要な要素となるのではないでしょうか。 

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  1. 【1697043】 投稿者: グーテンモーゲン  (ID:JIlFZoS5Vkk) 投稿日時:2010年 04月 18日 08:59

     シャンデリアⅡさん、何おっしゃりたいの?はっきりいって意味ないスレ。何種類もの私立中高学校があり、義務教育中学校があり、受験が必要な公立中高一貫校がありこれ以上なに望んでいらっしゃる訳?~22才(1部除く)なんて人生のほんの初期段階。どこの学校の先生も基本的には優秀なんですよ!ただ文科相や私学校長の方針で制約受けているだけなんですよ。
     それよりあなた、年齢いくつ?既婚者?親友いらっしゃるの?職場は円滑ですか?暇なら趣味に勤しまれたらいかが(笑)

  2. 【1697203】 投稿者: 子の教育の責任は親にある  (ID:McIPiwbuVMw) 投稿日時:2010年 04月 18日 12:06

    わが子のしつけが悪いのも、成績が振るわないのも、全て教員の責任にして、
    学校叩いてりゃ誰も傷つかなくてヒマが潰せる保護者も多いけど、
    スレ主さんもその一人ですか?

    勿論先生方には頑張ってほしいけど、私立だってパーフェクトじゃないのは当たり前。
    基本的には、子の教育の責任は親にあると考えます。

  3. 【1697221】 投稿者: 賛成  (ID:7Kx3JOXNGno) 投稿日時:2010年 04月 18日 12:24

    子の教育の責任は親にある様に賛成です。

    私も全くその通りだと思います。
    全て学校に丸投げ、責任転嫁で、親として今まで何を考え子供のために何をしてきたの?と
    問うてみたい親は山ほどいます。
    結局は半分以上は親の責任なのですよ。
    家庭で手抜きしている親ほど学校に文句を言いたがるんです。
    視野を広げるのは、教師だけでなく親もですね。

  4. 【1697752】 投稿者: Lebhaft  (ID:ElxQj80xnW2) 投稿日時:2010年 04月 18日 23:25

    私はスレ主さんのおっしゃることに賛成です。
    でも、教員試験のあり方が変わらない限りは無駄でしょう。
    それでも、私立ならなんとかなるかもしれませんね。

  5. 【1697822】 投稿者: あひゃ~  (ID:B5bQy4fo/pM) 投稿日時:2010年 04月 19日 00:36

    明治の元勲達は!
    庶民の大多数に!
    教育力など求めてはいけない事を!
    熟知していた!!


    だからこそ!
    保護者がその児童に対して!!
    教育を受けさせる義務として!
    義務教育を!発足させた!!!


    時代は!変り???
    形式的に?在籍していれば??
    不登校だろうが?
    死亡者だろうが?
    習得した?教育とは!!!
    無関係に?卒業させる?出来る?


    授業を?聞くどころか??
    騒ごうが?邪魔しようが?
    無関係!!!
    これでは!まともな生徒も!
    習熟なんて!望めない!!!
    典型的な!システム障害よ~~~!


    変な権利を!
    主張出来ない!!!
    政治的主張と無関係な!
    ドライなシステムに!!
    変更しなければ!!
    教師の個別的優秀さなど!
    焼け石に水!!!

  6. 【1697831】 投稿者: 教員を目指す明確な意思  (ID:ZM3SAzVfXfA) 投稿日時:2010年 04月 19日 00:46

    グーテンモーゲン(ID:VuxCI6wBKdg)様、小中高教員養成課程とは、大學教育学部における小中学校・高等学校の教員養成課程のことです。

    総合大学の教育学部教員養成課程合格履修の第一条件は「教員を目指す明確な意思」です。この「意思」の無い者・無くした者は、学部を去るべきなのです。学部変更等の制度を利用することも可能でしょう。また、他の学部から、この「意思」に目覚めて教育学部編入も良いでしょう。つまり、教育学部教員養成課程は、明確に教員となることを目指す精鋭集団でなければならないと考えます。本来であれば、教育学部教員養成課程は、学生100%の小中高教員就職率を目指して然るべきです。教員として就職しないのであれば、国費である教員養成国家予算の返納も検討されるべきでさえあります。総合大学の教員養成課程が拡充すれば、養育学部教員養成課程合格が明確に教員になる第一歩として位置付けられ、自覚され、卒業後の教員採用試験合格率も向上し、1兆円を越える国立大学法人教育国家予算の目的に適った執行となります。

    学生の自由意志の下に、教員への道を選択させることを偏重し、入学後も「教員を目指す明確な意思」の確認を疎かにした結果、いつまで経っても教員となる決心が付かず本気になれず、教員採用試験にも合格できない結果となってしまっています。中には、安易に教員に有利なコネや学閥を頼って入学する学生まで現われる始末です。学生数を確保するため、試験結果が基準に達していないにも拘わらず、水増し入学させて定員を満たせば、結果として更に入学希望者は減少して学校の運営は破綻するのです。所謂、廃校への下り坂を転げ落ちてゆくのです。

  7. 【1697877】 投稿者: 子供の感性  (ID:ZM3SAzVfXfA) 投稿日時:2010年 04月 19日 02:14

    あひゃー様、卓越したご意見なので消化不良気味なのですが、私見を述べさせて頂けば、私は本来、教育とは「千差万別」であるべきと考えます。また、人類が発展してきた過程で最も役に立ったものは「好奇心と学習意欲」であると考えます。端的に言えば、教育は個性により千差万別に、個人の好奇心と学習意欲が満たされるべく行われることが望ましいと考えます。更に、教育は保護者がするのか学校がするのかとの議論がありますが、私は、もう一人の自分が、自分の教育の責任を負うと考えます。現実的・具体的・法的には、国連子供の権利条約-1994/5/22 日本国内効力発生ー を根拠とします。人類発展の鍵であり、基本的人権中の人権とされる「学習権」を国家が保障することを、日本も批准したのです。児童が、何に興味を持ち、何をどのように学びたいと思っているのかを、国と学校と保護者は、汲み取らなければなりません。そして、その環境を児童に提供するのです。人類の将来の繁栄は、子供の感性に依存しているからです。

    【国連子どもの権利条約】 / 政府訳:第1部 第28条
    1 締約国は、教育についての児童の権利を認めるものとし、この権利を漸進的にかつ機会の平等を基礎として達成するため、
    a 特に初等教育を義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとする。
    b 種々の形態の中等教育(一般教育及び職業教育を含む。)の発展を奨励し、すべての児童に対し、これらの中等教育が利用可能であり、か つ、これらを利用する機会が与えられるものとし、例えば、無償教育の導入、必要な場合おける財政的援助の提供のような適当な措置をとる。
    c すべての適当な方法により、能力に応じ、すべての者に対して高等教育を利用する機会が与えられるものとする。
    d すべての児童に対し、教育及び職業に関する情報及び指導が利用可能であり、かつ、これらを利用する機会が与えられるものとする。
    e 定期的な登校及び中途退学率の減少を奨励するための措置をとる。
    2 締約国は、学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる。
    3 締約国は、特に全世界における無知及び非識字の廃絶に寄与し並びに科学上及び技術上の知識並びに最新の教育方法の利用を容易にするため、教育に関する事項についての国際協力を促進し、及び奨励する。これに関しては、特に、開発途上国の必要を考慮する。

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