女子美の中高大連携授業
京大凋落?
近畿2府4県からの合格者が
1750 人
を越えてから、「京大凋落」と言ってくれ。現状は、
1600 人
である。全合格者は、
2900 < 京大 < 3000
30年前を昔話として切り捨てて未来だけを語ろうとする姿勢自体が、時間軸の扱いとしてかなり粗いと思います。なぜなら30年前というのは単なる過去ではなく、今の制度配置、大学序列、研究資源の偏在、人口構造、都市集中の起点がほぼ出揃った時期で、そのときに敷かれたレールの上を現在も相当な速度で走り続けているからです。この先30年を語るためには、まず過去30年で何が固定化され、何が不可逆になったのかを正確に押さえないと、未来像は願望かスローガンにしかならない。少子化が進むから変わる、技術革新があるから変わる、世界情勢が不安定だから変わる、そうした抽象語はいくらでも並べられますが、実際には制度は慣性で動き、強者に有利な配分はより強固になり、弱い部分は自然には更新されない。その現実を無視して30年先だけを切り出すのは、地図を見ずに目的地の名前だけ叫んでいるのと大差ありません。むしろ問うべきは、この30年で一度も修正されなかった前提は何か、誰にとって都合が良かった固定が温存されたのか、そしてその延長線上にある30年先は本当に質的に異なるのかという点です。過去を昔話として処理する態度は、思考を前向きに見せる一方で、検証を放棄する最短ルートでもある。その意味で、この先30年を語る前に、過去30年をどう総括するかを避けて通ることはできないと思います。
思い返すと20年ほど前に、大掛かりな卒業生からの寄付金募集が行われ、いまも多額寄付者の銘板掲示等を東大は本郷・駒場で行っています。その頃から、教授また研究室による寄付金募集が奨励されて来たのでないでしょうか。先程の寄付金は120億円に上りましたが、その運用がどう行われたのか、処理の公平性と公開性、また還元性に緩みはなかったか。今回の事案の、報道から窺える、杜撰な会計処理が容認されていた実情を、その頃に遡って解明して貰いたいものです。
西千葉さんの指摘は、とても真っ当だと思います。同じ東大出身としても、そこを曖昧にしたまま先へ進むのは無理がある。
その時期の大規模な寄付募集は、東大が自前の財源を持つ方向へ舵を切った象徴でしたし、銘板掲示や研究室単位での寄付集めが常態化していった流れも、確かにその頃から加速した印象があります。問題は寄付を集めたこと自体ではなく、その後のい運用とガバナンスですよね。
今回報じられている杜撰な会計処理が事実だとすれば、それは突然どこかで発生した事故ではなく、長年の慣行やチェックの甘さが積み重なった結果と見る方が自然です。寄付金の処理がどの程度ブラックボックス化していたのか、学内でどこまで共有され、どこから形骸化していたのか。そこを遡って検証しない限り、単発の不祥事処理で終わってしまう。
特に、処理の公平性、公開性、そして還元性という点は、国際卓越だの自立的財源だのを語る前の大前提です。ここが揺らいでいる状態で、さらに巨額の公的資金やファンドを扱う体制に進めば、外からの不信を招くだけでなく、学内の納得も得られない。
東大は信用で成り立ってきた大学です。その信用は論文数やランキング以前に、資金の扱い方や説明責任の積み重ねで保たれてきた。だからこそ、今回の件は表層的な処分で済ませず、西千葉さんが言うように、あの寄付募集の時代まで遡ってきちんと整理してほしい。その姿勢自体が、今後の東大の価値を左右すると思います。
東大が信用を大切にしてきた所は、現役教員からの話ですが、大学入試問題作成者は誰かが分からないように進行させている、という点からも伺えます。自分から匂わせないし、尋ねもしないのが、まあ、不文律だそうです。しかしこれが崩壊したら、本当にオシマイですが。
その話、よく分かりますし、まさに核心だと思います。
入試問題作成者を誰にも特定させない、不用意に匂わせない、周囲も聞かない。あれは単なる形式ではなく、東大が長年かけて積み上げてきた信用の作法そのものですよね。能力以前に、関わる人間が一線を守れるかどうかを重く見てきた。
だからこそ、そこが崩れたら終わり、という感覚は誇張ではないと思います。研究不正や会計不備よりも、むしろこうした不文律が軽視され始めた時のほうが致命的です。信用は規則ではなく、共有された緊張感で支えられてきたものなので。
今回の件が気掛かりなのは、まさにその緊張感が組織のどこかで緩んでいた可能性がある点です。制度を変え、資金を増やし、外部の論理を取り込む前に、まず守るべき作法が何だったのかを、内部できちんと再確認できるかどうか。そこを誤魔化したままでは、どんな改革も砂上の楼閣になります。
信用を当然視し始めた瞬間に、大学はただの巨大組織になる。東大が東大であり続けるかどうかは、まさに今、その瀬戸際にあるのだと思います。




































