充実した教育環境の日大付属高校
なんで早慶ばかり各界で活躍する人材が目立つのか?
カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した是枝裕和監督も、過去2回受賞した今村昌平監督も早稲田文学部出身と言う事を思い出しました。
文学の世界でも実業の世界でも政治の世界でもマスコミ業界も、
目立つのは早慶出身者ばかりじゃないですか。
こういうと「人数が多いから」とトンマな事を言い出す方が必ずおりますが、
早慶VS旧帝に置き換えても歴然とした差があります。
どうしてこういう事になるのでしょうか?
数年前の土曜の夜、神宮から戻った彼等の下級生たちが何やら青い顔をして右往左往していた姿を目撃した。幹部から「活」を入れられたのではあるまいか。だが、そうした下級生らも、数年後には幹部として君臨する。そのような姿を毎年見るたびに、なにやら感慨深い気分に浸る。よく頑張ったね、と。
慶応の応援指導部リーダー部下級生は、
試合に負けると神宮球場近くの公園で
「拳立て」をやらされていました。
腕立て伏せを手のひらではなく拳を握りしめてグーでヤるヤツです。
その熱い光景に涙したものです・・・。
外部は全員SFC、内部は全員商学部、それぞれの実質体育学部化が露骨です。
2022.5.2 東京六大学野球 対法大戦
慶應義塾大学スターティングメンバー
1 萩尾匡也(環4・文徳)
2 朝日晴人(環4・彦根東)
3 廣瀬隆太(商3・慶應)
4 下山悠介(商4・慶應)
5 古川智也(環4・広島新庄)
6 宮尾将(商4・慶應)
7 山本晃大(総4・浦和学院)
8 善波力(商3・慶應)
9 増居翔太(総4・彦根東)
の某幹部(リーダー部4年)も、1年生のとき大学のパソコンで懸命に課題をこなしていた。単位取得のためであろう。その姿もあってか後日、私の授業を履修しなさい、となかば冗談で話したことがある。もっとも、彼の所属学部が異なっていた。また、たまに彼等の部室近くを通ると、私服姿のチア・リーダー嬢らが、大きな声で「〇〇入ります!」といっているのを耳にする。そのたびにご苦労様と声をかけたくなる。
思えば私の高校時代(むろん昭和)も大変であった。365日のうち、正月3が日くらいしか練習の休みがなかった(不運にも監督自身がクラス担任でもあったので、私は休日含め、3年間皆勤)。しかも午前7時からの朝練習に放課後の練習。睡眠時間は1日5時間がやっと。休み時間に、よだれを垂らして寝ている始末。同級生の7割が秋までに退部した。あるときは、朝練後の整列時に監督の怒りが爆発。全員がビンタを頂いた。夏合宿帰りの長野駅前でも、整列させられ全員ビンタ。前者は登校する一般生徒が、後者では多くの利用客が遠くから見ていた。よく問題にならなかったものだと思う。
とくに1年生時はつらかった。学校での大会前の合宿中に逃げ出した同級生を2年生が自宅から連れ戻すまで4時間以上、ずっと正座(連帯責任)。練習後には先輩方の練習着の洗濯もあり、シャワーを浴びる時間もなかった。そのため、われわれ1年生ほぼ全員が「イ〇キンタ〇シ」になるありさま※。その後、主将のKさんがミーティングで笑いながら、1年に妙な病気が流行っているらしいな。今日から、俺たちと一緒にシャワーを浴びていいぞ、と宣った。しかし、入り口で躊躇する私たちをみてそのKさん。おいそこのお前、こっちに来い、と私をシャワー室内に招きいれてくれたものの、俺のここを洗えと急所を突きだす始末。その時のトラウマは今でも残っている。Kさん、忘れているだろうな。そして、俺たちは上級生になったら、ぜったい下級生をイジメるのはよそう、とみなで誓い合ったのであった(たしかに、その時は本心から・・・)。
※しかし他方で、その治療薬であった「タ〇シチンキ」を購入に、駅前の薬局に行く楽しみがあった。なぜなら、他校に通う可愛いお嬢さんがときどき店番をしていたからである。だが、その憧れの彼女に「タ〇シチンキください!」といって喜んでいたのだから、我ながらどうかしていたと思う。閑話休題
外資系金融勤めだけど早慶はゴロゴロいる。聞いてもいないのに、大学名名乗るから何か印象に残るんだけど、はっきり言って微妙な人も多い。特に上司は数字が弱い。部下にやらせて自分の手柄にして誤魔化してるけど。今後採用はどうなるのかなとは思う。





























