アートの才能を伸ばす女子教育
中央大学法学部は都心移転によりどこまで復活するか?
みなさんの予想はどうですか?
私は、
出身学部別での司法試験合格者数は1位。
予備試験合格者数では2位。
国家公務員総合職の合格者数では早慶を抜いて1位。
民間は今より良くなる。
偏差値は普通に早慶上位レベルまで上がる。
2025令和7年 司法試験短答式試験合格者
主要法科大学院別
①早稲田248人⑤76.31% 在学中136人 ⑥82.42%
②慶応183人②77.54% 在学中125人 ⑤82.78%
③東大177人④76.29% 在学中98人
③86.73%
④京都176人①80.37% 在学中112人 ①88.89%
⑤中央147人③77.37% 在学中85人
②87.63%
⑥大阪125人⑧74.40% 在学中59人
④84.29%
⑦神戸103人⑦75.74% 在学中52人
⑧78.79%
⑧一橋97人⑥75.78% 在学中57人
⑦80.28%
主力の在学中受験者の合格率で中央ローは京都の88.89%に次ぐ87.63%で2位に付けた。一橋ローはやや不振か。論文式試験が注目される。
87パーセントだろうが82パーセントだろうがたいして変わらん。京大に次いで2位だ!とドヤ顔するほどのことではない。短答式と去年の論文合格者数、合格率から考えると、今年も中大ローの指定席は変わらん。中大は昔みたく“数で勝負!”でないと合格者は増えない。定員を削減し、入学者が減りでは受験者も合格者も増えない。中大ローの質と量の底上げが必須だが、一度落ちた名声を取り戻すのは超難問だ。
2023年2024年の法科大学院ガイドブックには単年度の司法試験には触れず、これまでの類型合格者数が国内2番との記載だけです。2025年2026年は初年度受験者の合格率が私大で2番との自慢だけで、法科大学院全体の合格者数や率には触れてません。中央大法科大学院より合格者数が遥かに少ない明治大や法政大でも、ちゃんと単年度の合格者数や率を掲載しています。
法科大学院のHPでも入試合格の詳細データを公開していないのは中央大くらいです。
都合の悪いものは明らかにしないのは、今の低迷に真摯に向き合う気がないから?悪いデータでも明らかにする姿勢が必要です。
2025令和7年 司法試験短答式試験
中位の法科大学院別合格者数
立命館91人 65% 東北86人 76.11% 名古屋85人 75.89% 同志社85人 70.83%
日大80人 76.92% 明治74人 66.67% 九州64人 76.19%
都立大58人 63.04% 法政51人 67.11% 北海道48人 64.86% 筑波47人 69.12%
千葉39人72.22% 関西学院37人 77.08% 大阪公立37人 69.81% 関西37人 57.81%
上智32人 69.57% 学習院31人 73.81% 岡山30人 65.22% (30人以上18校)
法科大学院平均合格率72.33%
2025令和7年司法試験短答式試験
法科大学院別の合格者数(下位)
専修25人 92.59% 2024最終合格9人
創価25人 64.10% 6人
広島22人 59.46% 9人
福岡19人 61.29% 4人
琉球18人 56.28% 5人
金沢13人 59.09% 4人
愛知8人 88.89% 5人
この他、2024年に危険水域の最終合格者一桁だったのは大阪公立9人、法政7人、岡山5人、南山5人、学習院4人、福岡4人の13校だった。
明治時代の法律学校由来の専修、法政の二桁合格を期待したい。
1960年に由木村の広大な多摩丘陵を買収した中央大学だが、移転は一筋縄に進んだわけではない。
1965年、昭和40年の創立80周年記念事業として、神田駿河台などで以下の事が行われた。①駿河台隣接地買収(1961年)
②理工学部校舎新築(1962年12月完成)
③駿河台校舎4号館、5号館建築(1964年4月完成)
④駿河台校舎1号館研究室増設(1965年8月完成)
⑤小川町校舎(学生会館)新設(1966年6月完成)
⑥中央図書館新設(1967年5月完成)
以上、総額45億6960万円。
時代の物価の違いに唖然とする。2023年に竣工した体育館が立つ小石川校地は2141㎡、650坪弱を92億円で入手したものだ。
中央図書館は1978年の多摩移転まで僅か11年、他は最大でも14年の余命であった。
多摩移転への経緯
1966年5月30日の評議員会は、1969年を目途として教養課程を多摩校地に移転させることを承認。体育館、体育施設は多摩校地に集中して設置する、とした。
おやっという事もある。
その頃、施設基本問題特別委員会は、駿河台校地校舎の将来計画として、①2号館を改築して中庭に法経商学部の教室を中心とした高層の校舎建設と関連施設の整備
②3号館(大講堂)の改築
という構想で、後楽園旧文学部校舎校地の他、各地に所在する施設を売却するのが適当という見解を示した。
もし万一、この構想が実現していれば、3年次4年次は駿河台に留まり、明治大学より先に中庭に高層校舎が立っていたかもしれない。
中央大学の歴史が変わっていた。





























