女子美の中高大連携授業
悠仁様が筑波大学という地方の三流国立大学への進学を決めたようですがそれなら学習院の方がマシじゃね?
なぜ?
2025年共通試験が近づいてきました。
受験生も増加する見通しらしい。
難関国立大学を志望(チャレンジ)する人が増加しているもよう。
私立大学の推薦や軽量入試に早々と逃げ堕ちる人も増加していると思われますが、少子化の中で目指すべき大学、価値ある大学を見極める力を持った子供が増加していることは日本にとっても良いことだと感じます。大変ですけど難関国立大学を目指す、チャレンジすることが大切ですね。
「迫る共通テスト 少子化でも一転、7年ぶり受験生増加 東京科学大が人気で志望者109% 入試最前線2025」
学習院大学卒の天皇は厳密にいえば平成天皇のみ、令和天皇は学習院大学で学ばれたが卒業できていない。
学習院は天皇とは関係なく貴族の教育の場として設立された。
君の言う・・・
「天皇制における天皇の進学先もまた、彼等固有の偏在性有する習俗からの縛りを蒙るものと思われる。そこでは悠仁君の曾祖父、祖父、伯父ならびに両親らがいずれも学習院に学んだとの事実の中に、この部分社会にある人々、とりわけ将来の皇位継承者が準拠すべき行為規範の存在を見て取ることができるからだ。にもかかわらず、彼が準拠すべき規範たる学習院進学を任意に拒んだ段階で、強制的性質を有する天皇家の進学面での習俗規範(行為規範)に違背したものと指摘せざるを得ない。すなわち、天皇即位辞退と見做しうるのである。」・・・
こそ誤った個人の考えだ。
未だ解らないのか、君は。
どうにも平行線だ。私は別に、盲目的に伝統を重んじているわけではない。しかしながら、国民の天皇制に対する思いの中核にそうした文化論的なアプローチがあるとみられるということだ。むしろ、君(AI)のような考え方は、一般論のメリットのみを一方的に強調しようとする点で、ある意味ではさらに一歩後退しているといってよい。
すでに指摘したように、日本の天皇制は、ある文化的な被拘束性の枠組みの中で、できり限り合目的的に国民との親和性を構築するとの姿勢を追求してきたものと想定される。したがって、そうした在り方がそれなりの合理性をもつことは、むしろ当然であろう。そこで、そうした合理性をいかに非文化的に、たとえば一般的な法的観点から説明することが可能であるとしても、それだけでなお天皇制の成立基盤を説明するのに決して十分ではないと思われるのである。
すなわち、それだけでは天皇制の如き憲法に論理的に矛盾する特殊な存在が、今日までこの国の社会で広くかつ深く定着してきたのかを説明することはできないということだ。換言すれば、彼等の部分社会での伝統や慣習といった社会的・文化的要因を抜きにしてそれが説明可能であるかどうかは、はなはだ疑問無しとしない。したがって、天皇制の基本構造・その他その歴史的連続性を問題とする限り、彼等の社会的・文化的要因がまず重視されるのは、むしろ当然であるといえる。
それゆえ、文化的規範性ある慣習に背き、かつ悠仁君の曾祖父、祖父、伯父さらに両親の学び舎でもある『学習院』進学を拒んだ段階で、彼には将来の天皇たる資格がない(任意に辞退した)と見做さざるを得ないのである。また、その観点から言えば、現天皇の直系卑属であり、学習院育ちたる愛子さんがもっとも次期天皇にふさわしい存在となる。各種世論調査でも、彼女の即位を支持する声が多数を占めることがそれを裏付けている。国民は、すでに理解しているのである。
皇族は学習院の道をやめて、お茶水に入学して推薦で筑附へ進学した時点で私立附属校への進学については全否定されたわけですからね。結果的に秋篠宮さまや紀子さま、悠仁さまの的確、賢明な判断としては私立大学についてはどこも受験価値も進学価値も無いと選択肢にすら入ってなかったわけです。
東京大学にしろ、果たして本当に狙っていたのか?下々が勝手に思い込んで盛り上がっていた節が多々ありますからね。




































