アートの才能を伸ばす女子教育
一般入試募集人数の減少にともなう一般入試偏差値の意味について (例:早稲田のケース) 学生数が多い大
早稲田大学 一般入試(3教科)募集人員 推移
政経 法 商 一文 教育 社学 二文 人科
1990年 1060名 1100名 1000名 840名 1000名 540名 480名 420名
1992年 920名 950名 ● 900名 970名 650名 ● 380名
2004年 500名 350名 500名 640名 700名 500名 450名 330名
2008年 450名 300名 460名 440名 700名 500名 500名 360名
増減 ▲610名 ▲800名 ▲540名 ▲400名 ▲300名 ▲40名 +20名 ▲60名
90年比 (58%減) (73%減) (54%減) (48%減) (30%減) (7%減) (4%増) (14%減)
募集人数を減らせば当然偏差値は上がりますが学生数が多い大学だとその手法は限界がくるのではないでしょうか?
うちは後期で国立大理系学部に入りました。本命に再挑戦したい気持ちを持ちつつ総合大学の空気を感じてみたい好奇心もあり‥入ってみて楽しい!しか聞かなかった(笑)総合大学は多種多様な面白い学生が多く刺激をいっぱい受けてきました。そこで現役とは違う分野の進路に目覚め休学して再挑戦しました。今はその道を邁進しています。
なんとなく選ぶなら総合大学(出来れば旧帝+上位)が良いかも知れません。
そもそも、大学の志望校を、自分が学びたいことで決めるのではなく、受験科目で決めてる時点で、ゴールが「大学合格」になってしまってるのよ。
その先の、社会に出てどういう人生を送るか、をちゃんと考えて大学を選ばない受験生が、とにかく増えた。
典型的なのが、数学と理科をやりたくないからといって、安易に私立文系に進むとか、お目当ての大学に入れればどの学部でもいい、といって、手当たり次第に同じ大学の文系学部を受けまくるとか。
高校や塾自体もそういう受験指導してるから、そういう学生は就職活動の時に、とことん苦労するわけで。
目的を持って大学を選ぶ、大学で学ぶことをしてる学生が一番強いってことかと。
地方の旧師範学校の国公立大学教育学部。
なんとなく成績はよく、県外に出てまでやりたいものがない人が、なんとなく進んだパターン。
県内には工業系などの理系しか国公立がない場合に、公立高校の文系でそこそこの成績。過去に何人か見ましたが、せっかく頑張ってきたことが台無しでした。興味がないのに教員になってやっぱりやめたパターンと、教員になる前に就活したパターンと、両方見ましたが、どちらもキャリアの形成に成功したとは言い難い感じです。
教員を辞めても、前職のキャリアを生かした再就職が無いに等しいため、同級生と比べて出遅れ感がすごいと、ご本人が言ってました。
就活した方は、何ができるって強みがないのと、何で教師にならないのっていう質問をよく受けたそうです。そりゃそうだって話ですね。大学4年間で強みとなる技能を身につけてないわけですもんね。
そもそも話の組み立てが雑で、事例の扱いが極端過ぎ。
教育学部を進んだ人間が全員その後のキャリアで失敗した、みたいな語り口にしているけれど、そんな単線構造で人生を測れるほど現実は単純じゃない。
地方の教育学部に進む動機が曖昧でも、社会に出てから強みを作る人はいくらでもいる。逆に、学部選びが理想通りでも、実社会でつまずく人間も山ほどいる。
大学四年間で強みが身につかなかったと言っているけれど、それは学部の問題ではなく、当人が強みを抽出する視点を持てなかっただけの話なんですよ。
教員を辞めてもキャリアの再構築ができないというのも、業界を跨ぐ時にありがちな一時的なギャップに過ぎない。
むしろ転職市場で強いのは、履歴の綺麗さより、環境を跨いだ時の再学習の速さと伸び代。そこが見られる。
結局この手の語りは、学部を性格診断のように扱い、人生の射程まで短く切り取ってしまうところに限界がある。
学部の設計がどうであれ、本人がどこで火がつくかなど誰にも読めない。
実際、教育学部出身で企業の人事領域や行政の政策部門に転じ、むしろ強みとして活かしている例も普通にある。
学校フィルターで人間の可能性を語ろうとする時点で、視野が狭い。
社会はもっと流動的で、キャリアはもっと非線形です。
































