在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
賢い人が選ぶ大学 東大 vs 早慶 vs 医学部
東大 vs 早慶 vs 医学部
現時点でのネームバリュー、大学や職業としての普遍性と安定性、いずれも甲乙つけ難い。
賢い人が選ぶのはどれ?
どの発達段階でその習慣を取得できるかによって、能力を発揮するタイミングが違ってくるのだと思います。小学生・中学生・高校生の時に習得すれば、良い大学に入れます。仕事を始めてから取得すれば最終的には高いスキルを身に付けることが出来、仕事上の競争力が付き、結果として高収入にも結び付きます。
要はどのタイミングで「学び習慣」を自分のものにできるかなので、大学受験だけがすべてではありません。実際良い大学を出ても、会社に入って「学び習慣」を忘れてしまう残念な人もいます。
最後に、私の経験上から言うと、「学び習慣」を取得できないで会社員人生を終わる人が過半数いるというのも事実だと思います。
もともと東大志望であったのだろうから。
ところで、そうした東大失敗組は、二つのタイプに分かれる。
潔く切り替え、前向きに大学生活を送ろうとする者。他方で、うじうじと仮面浪人を気取り、こそこそ受験勉強を続ける者。
前者は転機を乗り切る手法、とくにシュロスバーグ(Schiossberg)のキャリア理論を自然にわきまえていると見て取れる。こうした学生は、充実した4年間を過ごし、東大生に優るとも劣らない果実を獲得する。
一方後者は、貴重な青春時代を後ろ向きに浪費し、再受験も失敗に終わる例が少なくない。そんな学生には、とっとと退学届けを提出し、浮いた学費を予備校代に充当するよう勧める。保険を掛けつつ受験して通るほど、東大は甘くはあるまい。
人生は選択の連続である。受験失敗という予期せぬ出来事が逆に好機となり、有益な出会いやチャンスになることも珍しくはない。そのとき、その偶然はあたかも自分と出会うために計画されていた偶然のように思えるのだ。成功者は、それを知っている。
偏差値が何なのか不明。大学入試だとすると、どの層も受けるのって進研模試くらいですかね。それ以外だと国私文理で層が違うので、偏差値を比較できません。
進研模試だと大体全員参加の高校入試と似たようなものなので、高校で近似すれば、偏差値59以下って、正味の高卒分の内容をやり切るかやり切らないか (当人たちが理解できているかは別だが、高校としてはとりあえずやる) の分岐点ですよね。正味の高卒に達するか否かのラインとすると、概ね実感と合ってます。
現行の偏差値60以上なら優秀な部類に入るので所得も増えるのではないかな
学び習慣はあるに越した事はないが一を聞いて十を知るの格言もある通り、少ししか勉強しなくても結果を出せる人は出せるだろう
地頭×努力量×コミュニケーション能力×運の乱数=所得だと思っている
勉強さえ出来れば評価された学生時代と違って社会人はコミュニケーション能力が意外な程に重要
>それ以外だと国私文理で層が違うので、偏差値を比較できません。
比較する必要はない。またできない。
そもそも比較とは、すべての条件が同一でなければできないというものが、形式論理の定説。
囲碁と将棋、あるいはチェスのトップのどちらが有能かを比べるようなもの。プロレスや柔道、ボクシングの王者もしかり。
まして、就職の如き、各社固有の事情を含む諸要素の総合的判断であるものにつき、「『論理性』の有無」の如き意味不明の一要素で粗雑に「評価」する書き込みなど、滑稽以外のなにものでもない。当該論者自身の「論理性」の有無こそ、まず問われよう。
「地方国立はあと数年で全入になる」と得意げに語っていたあの人物が、データの読み違いで現実を外したことは既に明らかだ。
ところが本人はその誤りを棚に上げ、「就職評価に論理性なんて意味不明」などと語り出す始末。
粗雑な仮説で未来を語り、外れたら今度は「意味不明だから評価するな」と逆ギレ。
挙句には他人の論理性を問う?
まず自分の「論理破綻と願望駄々漏れ体質」を直視すべきだろう。
その場その場で都合のいい理屈を並べる姿勢こそ、まさに【滑稽の見本市】
口だけ達者で現実が見えないのが一番の評価項目だ。
うんうん、文体とコメント文章であの御仁って瞬時に判明
国公立大学を三流理系とか散々書き連ねたスレッドには今は近づかない様子なのも笑える
こういった働きかけが功を征して首都圏の中高生は大量の私立文系大生としてネット上でも闊歩という、これをどう評価するんでしょうね




































