在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
文系を選択すると後悔しますか?
教えてください。文理選択が秋にあります。調べていると、こんな書き込みを見ました。ちょっと厳しくてもやはり理系の方がよいでしょうか。
「理科系に対する憧れがありながら、主に試験等で思わしい結果が得られず、高校の文理選択でやむなく文系を選んだ」生徒が、その選択後も文系に対して自信を持てずに、自身の選択に後悔、後ろめたさを感じる、というものです。
かくいう私も、この理系コンプに悩まされていた時期があります。私の場合は中学時代に理科の授業をサボりがちだったので、自業自得な部分もかなりあるのですが、高校に入り、自分の将来を考えるうえで、理科系に進むことを考えはしましたがやはりその能力が欠如していて、「やむを得ず」文系を選択した節がございます。更に、当時とりわけ仲のよかった友人が皆理系を選択しており、「自分だけが文系」という事実にかなり後ろめたさを感じていました。
結局私は文科系の大学学部に進学しましたが、いまいち学部が取り扱う学問に慣れない気持ちがございました。恐らく、理系コンプを抱いたまま大学に進学した方にとってこの現象は避けては通れないものでしょうか。
SDGs的理想論、そう見えるかもしれませんね。現実の政治や経済が必ずしも理想通り動かないのは、確かにトランプ政権の例を挙げるまでもなく明らかです。
(でも、温暖化など地球規模の課題解決は、待った無しですよね)
だからといって「AIが社会を完全に操縦できる」と考えるのは、SFチックすぎますよ。
サブリミナル広告やプロパガンダは人間の歴史に昔からある技術ですが、それで社会全体を持続的に支配できた例はありません。AIが同じ手法を使ったとしても、万能の扇動装置になる保証はありません。
そもそも、あなたの「AIが人間を超えて好き勝手に社会を作り替える」の主張ですが、例えば東大松尾豊教授や一橋大学の新井紀子教授などが、シンギュラリティ論そのものを「未定義の概念」「SF的議論」と冷静に退けています。
海外でも、ボストロムがリスクを指摘する一方で、ラッセルは「価値観の埋め込み方が未確立」としており、「AIが人間を超えて暴走する未来」は科学的にもまだ仮説にすぎません。
現実に向き合うなら、AIの力をどう社会に組み込み、格差を広げず、持続可能な制度に結びつけるかが焦点です。ここでSDGs的価値観は「美しい理想」どころか、むしろ制度設計の最低条件に近い。理想を掲げなければ、AIの利益は一部に集中し、社会の分断が加速するだけでしょう。
つまり、AIを性善説で捉えているのではなく、逆に「AIは道具である以上、人間がどう制度設計するかにかかっている」というのが立場です。
SF的な恐怖を語るのも刺激的ですが、現実に必要なのは「理想をあえて掲げ、それをどう現実に落とし込むか」という地味で退屈な制度づくりの方なのです。
世界を支配するためには何が必要?
手足?本当ですか?
私は脳があれば世界を支配できると思いますが、足が必要という根拠を是非教えて下さい。
人間が作った道具だと思って嘗めない方がいいと個人的には思います。




































