今年入学した高1生が語る青春リアル
大阪、福岡など地方大都市でも国公立の定員割れが進む
じゅそうけんさんのツイートより
定員割れした学科のある国公立大学一覧(令和6年度入試)
•北海道教育大学 教育学部
•岩手大学 理工学部/教育学部
•信州大学 教育学部
•山梨大学 工学部/教育学部
•滋賀大学 教育学部
•奈良教育大学 教育学部
•大阪教育大学 教育学部
•香川県立保健医療大学 保健医療学部
•高知大学 人文社会科学部/教育学部/農林海洋科学部
•大分大学 福祉健康科学部
•福岡教育大学 教育学部
•宮崎大学 教育学部
•鹿児島大学 教育学部
•琉球大学 教育学部
•名桜大学 人間健康学部
昭和は女性が1人で生きていくのが非常に困難で、結婚は永久就職先として捉えられていた。どんな男性でも働いていれば恋愛できなくてもお見合い制度により皆婚出来ていた。今は、男女平等が浸透し、女性が1人で生きていくことを選択出来るようになった。当然、生活のために好きでもない相手と結婚する必要性はなくなった。婚礼数が減り少子化が進むのは当然のこと。お互いに好き同士の恋愛強者か、男性は経済強者にならなければ結婚は難しくなった。時代の流れだが、もはや引き返せないが、女性にとっては今の方がいい時代であるのは確かである。
天然資源の少ない国として人的資源に頼りたいならば教育のレベルアップは不可避、今こそ教育学部を廃して日本も教育大学院を作る時と思う。
公務員一般試験を受けて後者に落ちて仕方なく教員になるようなやる気イマイチな人は教員にはならない方がいい。
現代という時代は、経済強者男性でも、コミュニケーション能力不足者や性格ブスや家事の出来ない人は、恋愛弱者の括りに入る時代です。お金だけあっても困りますでしょう。生活を共にするのだから。子供の父親が性格ブスだのコミュニケーション能力不足者では、子供にそういう資質が遺伝するかもしれませんし。
国公立大学の定員割れを、人気や少子化で語る段階はすでに終わっています。これは日本の高等教育そのものが、社会の構造変化に取り残されたという明確なサインです。
大学は本来、知を再生産する場であるはずが、今や制度維持のための装置になっています。学部再編や統合を繰り返しながらも、教育の中身は昭和の延長線上にあり、AIやEdTechといった学習構造の変革にも本質的に対応できていません。学生を惹きつけられないのではなく、大学という器そのものが社会にとって魅力を失ったのです。
教育学部の定員割れは、教員志望の減少というよりも、教育を職業として選ぶ意味が薄れた結果です。教育を通じて社会を設計し直すという思想が途絶え、資格取得と安定就職の入口に還元された瞬間、学問の生命は失われました。
問題は大学の努力不足ではなく、大学がもはや努力の方向を見失っていることにあります。学問を社会実装へと結びつける発想を欠いたまま、補助金に依存して延命を図る構造こそが、本当の定員割れの原因です。
大学を救うのは改革ではなく再設計。
知の場としての大学を、再び社会の中枢に接続し直せるかどうか。定員割れとはその是非を問う最後通告であり、教育の危機ではなく、知の仕組み全体への審判なのです。
少子化というのは金でも時間でもジェンダーの問題でもない。
だから今ある施策は何も効かない。少子化は止まらない。
少子化は自由の代償。社会的な圧力と経済的に追い込むことで女性に結婚する以外の生き方をさせないという社会であったから子供が産まれていたのが昭和。95%以上の婚姻率がそもそもおかしい。好きでもない人間と結婚させられていたわけだ。そうするしか生きられなかったからだ。
しかし自由主義社会は自由を得た。それ故に結婚せずとも生きていけるようになった。社会的な圧力ももはやない。
こうなると本当に好きな人に出会い、相手からも好かれるという奇跡が起きでもしない限りは結婚しない。もしくはどうしても子供が欲しいからと妥協して結婚するかだ。
だから婚姻世帯の子供の数は減っていないというデータになる。婚姻できるようにすれば子供が増えるというのはお門違い。
自由を制限はできない。諦めることだ
浅いですね。
あなたの言う自由は、制度の放棄を言い換えただけです。自由とは本来、放任ではなく、選択肢を保障する構造の中で初めて成立するものです。結婚も出産も、自由の結果として減ったのではなく、自由を支える仕組みを国家が整えなかった結果として減った。自由を得たからではなく、自由を支えられなかったから人が減っているのです。
誰も有効な解決策を見つけられない問題。
大日本帝国憲法下の国策により、国民が従順に国に従って産めよ増せよという時代でもないのだから。戦後は個人の自由の時代になり、私権も非常に強くなり国に自由を奪われない。産みたい人産みたくない人の自由で、誰ももっと産めよと強制できない。だから、子供が少ないことを前提にした国づくりが必要になる。今は過渡期で、過疎地にも人がかなり住んでいて少子化の実感がない。しかし、全く子供を見ないような地域も出てくるかもしれない。地方が非効率に細かく分かれている必要もない。仮にリニアが通れば、東京から大阪までの都市部を「東京」に改めてもよい。日本全国が一つの自治体になれば、地方も東京もない。22世紀に生きる世代はどのような国づくりをやっているのだろうか。日本に住み着いた外国人が子供を増やしているかも知れない。外国人同士が結婚しハーフの子が増えているかも知れない。
段落くらい分けましょう。
折角のご主張がちょっと読みづらい。
あなたの言う誰も解決できない問題という言葉が、まさにこの国を止めてきた呪文だと思います。
少子化は宿命ではなく、設計の失敗です。社会の在り方を変えれば、人口動態は変わる。問題は人間の欲望ではなく、それを支える制度と文化の方向性にあります。
戦前のような強制は論外ですが、戦後の自由は放任にすり替わった。国家が関与すべきは産めよ増やせよではなく、生き方の多様性を支える構造そのものです。子を持つ自由も、持たない自由も、同じだけ肯定される社会。その両立を設計するのが本来の政治です。
東京から大阪を一つの自治体に、という発想も短絡的。物理的な距離を縮めても、精神的な断絶は埋まらない。地方が消えるのではなく、地方という概念自体を更新すべきなのです。中央集権か地方分権かという旧来の軸を超えて、分散と連結の両立をどう描くか。その構想力を欠いたまま、未来を語ることはできません。
日本が今問われているのは、どこに人を住まわせるかではなく、どんな人を育てたいかです。
国づくりとは地図の再編ではなく、価値観の再定義です。




































