アートの才能を伸ばす女子教育
地方旧帝が低偏差値なのは受験制度が悪い 共テ廃止などの受験制度改革が必要だ
共通テストがあ
子供が半分なのだから大学の定員も半分にする。私学への援助はなし、これで国公立の学費を無料にする。
ただし、私学OBの母校への寄付は国公立への寄付同様全額、寄付金控除できる。でいいのでは。
あとは、国公立の学生寮の充実、地方からの学生は入寮できるように。
この手の「子ども半減だから大学も半減」という発想、大学を単なる人数調整装置としか見ていないんですよね。
現実には、大学は地域の知的インフラそのものです。
特に地方大学は、教員養成、地域医療、自治体人材、地場企業との接続、リスキリング、若年人口流出の抑制まで担っている。
だからこそ、「学長が注目する学長」3年連続1位にも選ばれた共愛学園前橋国際大学の大森昭生学長は、一貫して「Fラン不要論」に与していない。
偏差値や定員充足率ではなく、「その大学が地域でどんな社会機能を果たしているか」を見ろと言っているわけです。
実際、この少子化フェーズですら、新設大学構想は消えていない。
象徴的なのが佐賀の武雄アジア大学構想で、単なる学校新設ではなく、教育・医療・雇用を束ね、地域存続の装置として大学を再設計しようとしている。
一方で、三重のように構想自体が消えていった地域もある。
この差は、人口差でも財政差でもなく、自治体が大学という制度に何を託しているかの差です。
大学を「コスパの悪い進学先」としか見なくなった地域から、若者も産業も消えていく。
逆に、生き残る地域は、大学を選抜装置ではなく、地域再編の中核として使い始めている。
人口が減ったから大学を減らせば良い、というのは、
高齢化したから病院を減らせば良い、
地方衰退したから鉄道を廃止すれば良い、
と言っているのと同じ。
インフラが痩せた地域は、さらに痩せるだけです。
国家が最後に競うのは、トップエリートの数ではない。
そこに到達できる母集団の厚み。
日本はそこを削り続けてきたから、30年停滞したんですよ。
そもそも大卒が多く成りすぎました、世代人口の一割で充分、それが六割強になれば大卒が高卒の仕事に流れ出すわけでそもそも論の高等教育の意味がなくなります。もとより国公立をはじめとして私立文系に到るまで日本の大学学費が安すぎるんです。
私立文系なんて年300万位が妥当では?払えないなら行かなくても良い、選ばなければいくらでも仕事はありますから。
この手の「大学行き過ぎ論」って、一見リアルっぽいんですが、実はかなり雑なんですよね。
というのも、今の社会って単純な肉体労働比率が下がり続けていて、情報処理、法務、金融、IT、医療、設計、企画、マネジメント側の比重がどんどん増えている。つまり、高等教育人口が増えるの自体は、ある意味当然なんです。
しかも面白いのは、「大卒が高卒の仕事を奪ってる」と言いながら、その一方で企業側は「コミュ力」「論理力」「最低限の文章力」「ITリテラシー」を求め続けていること。
結局、大学が増えたというより、社会全体の要求水準が上がったんですよ。
あと、私立文系300万論とか、かなり危険です。
それやると結局、富裕層だけが教養資本と人的ネットワークを独占して、階層固定がさらに進む。欧米型エリート主義を雑に輸入したいのかもしれませんが、日本って既に教育格差かなり進んでますからね。
しかも毎回思うんですが、「選ばなければ仕事はいくらでもある」って言う人ほど、その仕事の待遇改善や労働環境改善には興味ないんですよ。
要するに、「誰かが低賃金側へ行けば社会は回る」という前提で喋ってる。
でも今の日本って、その構造自体がもう限界に来てるんですよね。
真面目にコメントするなら大学なんて進学する9割の人間にとって価値がない施設です 4年間遊ぶためにいくだけなのですから
その4年間で海外に行ったりするならまだしも今の若年層は基本的に内向きであって
子供の人数が多いうちは受験競争にそれなりに意味があったと思いますが、ここまで少子化が進むと大学進学自体にはさほど意味はありません
少子高齢化で就職難ということは基本的にありえないからです
特にコード生成では、実在しないAPI、仮実装、デモコード、検証不能な断定が混ざることがあり、これをそのまま業務真面目にコメントするなら大学なんて進学する9割の人間 ChatGPTは、子供の人数が多いうちは受験競争にそれなりに意味があったと思いますが?





























