女子美の中高大連携授業
朝日新聞を見つめて
6月6日朝刊、「軍人の子という負い目がある一方、、、」
6月6日夕刊、韓国新聞社の日本語タブロイド紙が人気云々、、
よくやってくれますねえ。
皆さんも、お子さんとじっくり朝日新聞を読んでみて下さい。
自分の功名心のために証拠を捏造する、インチキなデータを採用する。
朝日の功名心はスクープであり、小保方氏の功名心は科学的発見である。
ともにデータねつ造とコピペにより作成された。
真実を探求する精神からほど遠く、人を欺き、証拠が出ても白状しない。
天網恢恢疎にして漏らさず。
悪事はばれるのである。
>引用させて頂いた
>>朝日新聞社の正義が正しいかどうか、
>まずもって我が国の害される、あるいは損なわれる「国益」とは何か、そして「共同体の体系」構築への道筋を具体的に読者に提示できるか、評価はこの点にかかっているのではないかと思う。
私は個人的には、新聞社は余計な価値判断をせず、事実をありのまま伝える、評価は国民に委ねる、それがマスコミの使命ではないかと考える。
国民に評価を委ねないと、民主主義なんて育つまい。
もちろん新聞社としての意見があっても構わないが、新聞社の意見だとことわって、事実の伝達と分けるべきだろう。
朝日新聞のような大量発行紙は、アメリカ、イギリスだと大衆紙である。
大衆紙任せの民主主義なんて、民主主義とは言えまい。
おっしゃる通り、これはマスコミの使命として当然に必要なことであると思う。
一方、こういう見方もできるのではないか。民主主義において(最大多数として)我々国民の意見を構築するためには、もはや国内のみに関心を向けてはいられないということ。諸外国の動向、意向にも関心を向ける必要があるのではないか。
例えば集団的自衛権の是非、あるいは靖国参拝に関する中韓の反応、直近ではオランダ政府高官の「河野談話」に関する評価など。これら諸外国が我が国に対する外交政策を決定する際、参考とするのが我が国の新聞も含めたメディアではないか。なぜならば報道フレームには一応、その国の国民の価値観、賛否の動向に沿うといった擬制が働くからである。要するに、諸外国にとってあるテーマにつきどういった方向で我が国の報道が為されているかということが、彼らの外交政策の決定過程で重要な要素であるということ。先にインテリジェンスの担い手として「共闘」という役割の増大に期待したいと述べたが、今や新聞も含めたメディアの役割は単なる事実報道のみというに足りず、ひとつの、そして重要な外交ツールになっているのが現実であろう。
翻って民主主義の実現過程において我々国民の意見構築の際、上述の通り諸外国の外交政策の方向性をある程度忖度する必要があり、この「キャッチボール」の過程においてマスコミには、やはりあるテーマの報道について一定の方向性が求められる、と思うのである。
>今や新聞も含めたメディアの役割は単なる事実報道のみというに足りず、ひとつの、そして重要な外交ツールになっているのが現実であろう。
まあ、しかし、朝日新聞の「ドイツを見習え論」のように、回り回って、今頃になって中国や韓国がこの誤った記事を流用するような事態を考えると、
何も、朝日新聞社が書くように、日本国民はドイツを見習えなどとは思っていないわけで、「事実」と「新聞社の意見」は分けて書くべきであろう。
>私は個人的には、新聞社は余計な価値判断をせず、事実をありのまま伝える、評価は国民に委ねる、それがマスコミの使命ではないかと考える。
理解はできるが、やはり違う。
たとえば、民事裁判においては、
①こういう結論にしたい(との裁判所の価値判断)→適用すべき法はこれだ→このような事実が必要だ、と考えていく。
しかも、その法的判断の基礎をなす事実なるものは、裁判官によって認定された「事実」である。
本件の場合にも、『朝日』にある価値判断が前提として存在したはずだ。
そして、それに適合する都合の良い事実を拾い上げて行ったものであろう。
しかし、それは単に『朝日』のみならず、おそらくすべてのマスコミが行っている手法のはずだ。
その意味で、今回の同紙の落ち度は、合理的な疑問が生じた時点で勇気をもって引き返すことができなかったことだ(その理由はいろいろあろうが)。
また、その難しさは、サイパン島陥落によって客観的には敗北が必至となった太平洋戦争時における昭和天皇ら日帝指導部による無意味な悪あがき(『一撃講和論』への執着。
さらに、その結果としての沖縄戦や広島・長崎の悲劇。おびただしい戦死・戦病者・空襲による被災者らの発生)。
あるいは、数々の刑事事件における冤罪事件出来にもみられるところだ。
われわれが学ぶべき教訓は多い。
冷静に考えると さん
>よりによってこの時期に、、残念。
まあ、大所帯なので不届き者はいるわね、きっと(笑)
「天下の朝日新聞」と盲信している信者に支えられている新聞なのかもしれませんね。
こうも不祥事が続くと、さすがに良識ある読者なら、批判するなり、購読を止めると言った向きになるはず。
自由 さん
>正義のためなら事実を曲げても構わない
>という報道姿勢である。
うーん、言わんとしていることはわかるけれど、正義にせよ事実にせよものの見方を変えれば正反対にもなるのではないかしら。
微妙な言い回しだけれど、事実を曲げる(曖昧な部分を都合よく解釈する)ことなど、それこそいかんともしがたいものなのでは
ないかしら。
確信犯ならなおさら。
ですから、そこは国民が判断するところなので、新聞社は思いっきり偏向報道などするがいいと思うわ。
大本営発表の様に事実を曲げても、事実だと言い張ればいいと思っているのよ、きっと。
そもそも「事実を曲げる」というニュアンスは「捏造」とは若干異なり、読者欄に都合のいい声しか上げず、少数意見のみをあたかも
多数意見の様に報じ、自らと違う意見などは「見識にない愚かな意見」と断じる、二股皮(訓読み)のような高慢な態度を言っている
のかしら(笑)
新聞社が、自由さんが言うような報道姿勢を貫くのなら、国民の多くは離れていくだけで、しんぶん赤旗や宗教新聞と同じ地位に
落ち着くのでしょうね、きっと。
私が耐えがたいのは、反省しているのかどうかわからない態度や、「嘘」と分かったことを何十年も修正しない姿勢、それどころか
記事が嘘だと分かっていながら長い間読者に誤解を意図的にさせてうやむやにしてきたことへの無反省。
どれをとっても、日本国民が今まで新聞に期待してきた品質に比べると「非常に劣悪」としか言いようがないと思います。
今回の事件で、朝日新聞の信用度は地に落ちたわけですから、今後も一貫した報道姿勢を維持し、情報操作にまい進するのも良い
でしょう(笑)
しかしながらそういった一連の行動を国民は見ていることを忘れないでほしいものです。
民事裁判における裁判官のストーリー、事実認定はあくまでも原告、被告の言い分がまず前提にあり、それを調整しながら出来上がるもので、
最初からどんなストーリーを作ろうと自由な新聞社と同じとは言えまい。
裁判官の判決はたえず批判の対象になるが、新聞社の記事は書いたもん勝ちであろう。新聞社の記事には、何らかの第三者の検証が必要である。
>本件の場合にも、『朝日』にある価値判断が前提として存在したはずだ。 そして、それに適合する都合の良い事実を拾い上げて行ったものであろう。 しかし、それは単に『朝日』のみならず、おそらくすべてのマスコミが行っている手法のはずだ。
私などは最初から新聞なんて、そんなものだと疑って読んでいるが、
朝日新聞社は、一般の読者がそんな実態を知ったうえで読んでいると思っているのか?・・事実だと思って読むのだろうという前提で書いてるのではないか?・・だとすれば、そこに悪意の問題があるだろう。
朝日新聞綱領のなかに、
>真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
とある。
これを信じた朝日新聞の読者は、騙されたのであろう。
そうならないように、最初から「必要に応じて、ストーリーのために事実を曲げます」と宣言すればよいのである。
戦争における撤退と異なり、新聞社が誤報、虚報を認めるのは簡単である。
新聞記事で書けばよい。
しかし、残念なことに、朝日新聞社の中には「言論の自由」が無かったのであろう。




































