女子美の中高大連携授業
天声人語の書き取り
先日文房具屋さんで天声人語の書き取りノートなるものを見かけました。
そういえば上の子が大学受験の時、塾で天声人語の書き取りを勧められた事を思い出しました。上の子は国語が得意だったので天声人語の書き取りはしないまま受験を終えたのですが、国語が超苦手&小学生並みの作文能力の下の子(高1)に勧めてみようかとふと思いました。
ちなみに読書は人並み程度、漢字も問題ありません。国語のテストでは漢字だけが確実な得点源と言ったところです。
天声人語の書き取り経験者の方のご意見を是非伺いたいです。
いろいろご意見を頂いていたのに、気が付かなくて申し訳ありませんでした。
あれからすぐ天声人語ノートを買いに行き、毎日ではないですが書き写しをさせています。
本人は文章の勉強になると思うと効果を感じているようですので、もうしばらく続けるつもりです。
実は我が家は新聞をとっていません。天声人語はネットで検索したものをプリント、あるいは実家に行ったときに切り抜いて持って帰ります(実家は朝日、読売、毎日、日経の4誌とっています)。
思想云々はこれまであまり気にしたことがないのですが、文章の勉強と割り切ってもう少し続けようと思います。
ちなみに息子は高校1年生で、小学生ではありません。ただ文章が小学生並みなだけです(笑)いや、難関校に進学されるような小学生なら既に息子の文章力を追い抜かしていると思われます。体育祭の事を書けと言われたら「今日は体育祭でした」と書き出してしまうような感じです・・・。
私自身は国語に苦手意識はなく勉強した記憶があまりないため、息子にどのように勉強させたらマシになるのかわからなくて中学受験の時も随分悩みました。受験を無事終了し、時間が出来たので沢山読書をさせるようにしました。そこそこ沢山の本(といっても軽いものが多いですが)を読むようにはなりましたが、国語力に結び付くといった効果は感じられません。
そこで次の手段として天声人語を選んでみた次第です。
皆様にご注意頂いた思想の件については、それらしき兆候がないかどうか確認しながら続けたいと思います。
ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
今更かもしれませんが・・・。
私が高校生の頃なので、数十年前ですが、天声人語をはじめ、
コラムや社説の要約が国語力・文章力をつけるのに、効果的とブームのように
語られた時期がありました。
が、当時から賛否両論でした。
とても、役に立つという先生(学校・塾共に)も居れば、全くなんの役にも立たない、
書き取りの練習になる程度という先生も居ました。
私が直接聞いたのは後者の意見で、それは、
そもそもコラムというのは、限られた文字数で起承転結をつけて収めないといけないので、
筆者が元々考えた文章を推敲を重ねて、起承転結は崩さないまま短くしたもの。
つまりは、既にプロが自ら要約したものを、それより文書力も要約力も拙いと思われる
子供が「要約」など出来るはずもなく、それで文章力が上がるとは甚だ疑わしい。
また、要約を要約したら、なんのことやらサッパリわからない文章が出来上がる。
というものでした。
私の同級生が「夏休みに自主的に天声人語を要約するから、添削してもらえませんか」と
国語の教師に申し出たところ、そう断られてました。(私は、そこに居合わせた)
もちろん、それは、その先生の個人的な意見であり、異を唱えられる方も
多々いらっしゃるとは思います。
が、当時、どちらかというと国語は得意だけど、短文で
簡潔に纏める力をつけたいと思って、毎日コラムの要約を日課にしようか
検討していた私は、その話を聞いて、ごもっとも、と納得し、取り組むのを
やめました。
当時通っていた塾の夏期講習の国語担当の講師も、コラム要約なんて
意味のない労力と時間の無駄なことは、くれぐれもするな、と言っていたので、
余計納得感があったんですよ・・。
それでも、件の友人は真面目に要約してましたが(結局、他の学年の
国語の先生で推奨している先生が居たので、その人に直談判して提出
してました)でも、卒業前に会った時に聞いたら、
結果的に効果があったかは、全くわからないと言ってました。
(元々、国語が苦手な子でもなかったので)
考えてみれば、その要約が要約として的を得ているかどうかの、判断基準も
難しいですしね。
娘の中学校では、国語の課題として毎週2回分の書き取りが課せられます。
おそろしく字が雑で、作文が大嫌いな子ですが、写経感覚(笑 で
修行としてやっていると言っています。
他教科のノートにくらべるとかなりがんばって丁寧に書いているので
字が少しずつきれいになってきたし、自然と漢字の練習になっています。
効果や思想うんぬんは抜きにして親としてはありがたい課題です。
社説の書き写し、要約。
どなたかも書いておられましたが、それをすることによる熟読に意味があるのではないでしょうか。
また、名文を写していると、その書き回しが移るというか、使い慣れてくるので、文章を書くのも上手くなるかもしれません。
どちらにしても、効果があるかどうかやってみないと分からないと思います。
全ての人に効果があるわけでも、ないわけでもないでしょうし。
天声人語の書き取り、親である私が昔から時々やっています。
小学生で始めて以来思い出してはやり、またやめて…の繰り返しできました。
子どもが小学生になり、国語の勉強もかねてやらせてみようかと
久々に私が再開したとき、今の天声人語のレベルにショックを受けました。
(曜日によって執筆者が違うので、全部がというわけではありませんが…)
オチがよくわからない内容だったり、決めつけた一方的な主張だったり。
昔はこのスペースによくこれほどの名文が…と感動するものも多々あったのですが。
質のいい文章を、と思うなら新聞以外にもあると思います。
何かで読みましたが、国語の教科書を書き写すのも勉強になるそうですよ。
文章勉強として天声人語の書き取りをする意義は殆ど無い。天声人語の書き取りなど宗教の修行である。なぜなら、天声人語の文章内容が意味不明の妄言だからだ。精神病者が書いたような文章ばかりである。そんなコラムから一体何を学ぼうというのだ?




































