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【5824111】なぜ理系男子はモテないのか

投稿者: ローランド   (ID:lBEt0lq3ctY) 投稿日時:2020年 04月 04日 18:58

大半の理系男子はモテないし、彼女がいる人も少ないのが現実。
女性慣れしていないのに、プライドが高いから?
思い付く理由を書き込んでください。

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「中高一貫校の生活に戻る」

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  1. 【6430423】 投稿者: おお、羨ましい  (ID:qbRcEUfWIxA) 投稿日時:2021年 07月 31日 11:01

    >日本語のタイトルは「アイドルを探せ」ですが、これは全く訳になっていない。

    存じ上げている。その事情は、香港を舞台にした『Love Is a Many-Splendored Thing』が日本では『慕情』として上映されたのと似ていると思った。

    それにしても、彼女の『La plus belle pour aller danser』の歌詞にある、あなたの手で私のドレスや髪の毛をめちゃくちゃに(してほしい)との部分は、若い時分の私にとってたいそう刺激的であった 笑

  2. 【6430437】 投稿者: パリ留学  (ID:I9aCogR523Q) 投稿日時:2021年 07月 31日 11:16

    Je fonde l'espoir que la robe que j'ai voulue
    Et que j'ai cousue
    Point par point
    Sera chiffonnée
    Et les cheveux que j'ai coiffés
    Décoiffés
    Par tes mains
    あなたの手で私のドレスや髪の毛をめちゃくちゃに(してほしい)

    これですよね。

  3. 【6430448】 投稿者: パリ留学  (ID:I9aCogR523Q) 投稿日時:2021年 07月 31日 11:26

    Tu peux me donner le souffle qui manque à ma vie
    Dans un premier cri 
    De bonheur
    こっちの方が刺激的ですよ。
    女が喜びに声をあげるとき、男は彼女の生に足りない息吹をそそぎこむ、
    くらいの意味です

  4. 【6430505】 投稿者: 日常生活で  (ID:V5nH4cqZDlA) 投稿日時:2021年 07月 31日 12:33

    やんわりが伝わらないから疲れそう。

  5. 【6430544】 投稿者: なるほど  (ID:qbRcEUfWIxA) 投稿日時:2021年 07月 31日 13:15

    ただ、まだ女性に幻想抱いていた当時の私にとっては、あの歌詞で女性が内心それを望んでいるとの事実が驚きであり、新鮮であった。

    その他では、フランス・ギャルの『Poupée de cire, Poupée de son』やダニエル・ビダルの 『Les Champs-Élysées』など、日本でも大流行した楽曲が好きだった。

    そう考えると、懐メロ、しかも金髪好きであったとあらためて自らを知る。

  6. 【6430576】 投稿者: なるほど  (ID:fiPXEjSY6fE) 投稿日時:2021年 07月 31日 13:58

    二俣川さんも、そうやって個人的な趣味や経験を書いた方がずっと生産的な議論になると学んでほしいです。
    うぶな青少年であったというのは、いわゆる文系理系と全く無関係じゃないですか。
    それは先史時代も現代も同じですよ。

  7. 【6430618】 投稿者: 文系・理系の意識の相違①  (ID:qbRcEUfWIxA) 投稿日時:2021年 07月 31日 14:58

    人間と環境とは密接に結びついている。人間の問題を考えるとき、つねにその自然的・社会的環境を無視することはできない。すなわち、人間と環境とは互いに相手を規定しあい、かつ依存しあう関係である。だが、その両者の関係は常にしっくりしているとは限らない。

    その「矛盾」は、人間と環境のみならず、環境を構成する客観的な諸条件の間にも、さらには人間同士の間においても存在する。そしてその矛盾は、まず「問題」として意識化される。だが他方で、そうした問題が意識化されず、さらに主観的な操作によって「なきもの」とされる場合もある。たとえば、それをどうしようもないものとして肯定的にとらえ、運命として受容する運命論者。その結果、そうした問題の解決はむしろ人間の側にあるとの方向へ向かう羽目になる。神仏に帰依して、世俗世界から逃れようとするものも同じ文脈上にあるといえる。

    しかしながら、それは一時の錯覚に過ぎず、なんら客観的に存在する問題の解決には結びつくものではない。そのためには、当該問題を現実的に解決する環境変革的な態度こそが重要であり、求められるものだ。だからこそわれわれは、原始共産制の時代から環境に積極的に働きかけるとの「実践」で以て食料を得、生産活動を通してその生存を維持してきた。また、そうした実践によって変革された環境によって、人間自身もまた創り変えられてきた。

    続く

  8. 【6430621】 投稿者: 同②  (ID:qbRcEUfWIxA) 投稿日時:2021年 07月 31日 14:59

    続き

    いずれにせよ、私たちがいくら解釈を含めても、問題は私たちの意識とは関係なく、客観的に社会機構の中に存在する。かくして意識が存在を決定するのではなく、人間の社会的存在が意識を決定するのである。そのうえで文系ならびに理系を考えたとき、そこにあるそれぞれの小社会=環境は私たちの個人的意識とはかかわりなく外部に存在し、私たちの解釈次第で以てどうにでもなるというものでないことが理解できる。

    したがって、理系諸氏が、人間とはそうした矛盾を本質的に抱えた不合理な存在であり、数学の如く答えはけっして一つではないことを知るためには、彼が文系的環境に身を置くことが必須である。そのためにまず、ラボから出て世間を渉猟し、昼間でも電車は乗客で混雑していることを知るべきだ。また、試験管の代わりに小説を手に取ってみることもよい。これが、哲学的な考え方からの結論になろうかと思われる。

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