アートの才能を伸ばす女子教育
受験する学校選び
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を目指すご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容
面倒見が良く、イベントが多くて楽しそうな学校等の教育環境等で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共有しませんか。
その話、やはり順番が逆です。
ギフテッド教育を制度で用意する。
それ自体を否定はしない。けれど、それを「答え」として語った瞬間に、本質から外れる。
50代、私の知人の話。
サスペンションをやりたいと決めた時、日本の大学ではなくMassachusetts Institute of Technologyへ行った。
そのままアメリカで起業し、会社はGoogleに買収され、今は中枢にいる。
日本にいないから貢献していない?
違う。
完全なる畑違いの私ですら、彼に繋がっているし、日本の若手にも直接繋がり、刺激を与え続けている。制度の中で育てた人材では絶対に生まれない影響が、外から流れ込んでくる。
そして、もっと象徴的なのがカズ・ヒロです。
彼は日本の閉鎖性や同調圧力に嫌気が差し、日本を出て、国籍すら捨てた。ここが重要です。
「外に出た」のではなく、「拒絶して離れた」。
それでも後年、日本のメディアや展覧会を通じて、自らの意思で日本と再接続してきた。
強制でも制度でもない。完全に本人の選択として。
これが何を意味するか。
人は制度に「活かされる」ものではない。
環境を選び、嫌なら離れ、必要なら戻る。
この往復運動こそが創造性の源泉です。
にもかかわらず、
「2030年から制度化」「学校の裁量で対応」
この発想。遅いし、内向きです。
制度に入れた瞬間、それは平均化される。
扱いやすい形に整えられ、突出は削がれる。
ギフテッドという言葉が空回りしているのはそこ。
ラベルを貼って、理解した気になっているだけ。
本当に必要なのは、囲うことではない。
外に出てもいい、寧ろ出ていける。
大学も東大である必要がない。
知人のように、いきなりMIT、それで良いじゃないですか。
そして、戻りたければ戻れる。
その回路を開いておくこと。
動く人間は制度を待たない。
制度の中でどう活かすか、という発想の時点で、もう彼らの後ろを追っているだけなんですよ。































