アートの才能を伸ばす女子教育
受験する学校選び
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を目指すご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容
面倒見が良く、イベントが多くて楽しそうな学校等の教育環境等で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共有しませんか。
あのさぁ、高市早苗首相は普通に早慶を蹴った上で奈良県の自宅から神戸大学まで1日往復6時間以上掛けて通っていたのだよ
今だと宇都宮から東京まで通学してる感じだな
都心の大学に受かっていようがそうまでして神戸大学に通う価値が十二分にあるということなのだよ
うん、そういえば松下政経塾出身者だね
神戸大学様は世界最高であらせられ世界最強でもあらせられる
皆の者、神大様を崇めろ
雰囲気で桜蔭に決めた人に言われてもね。雰囲気や直感って大事だよ。同学年がどうなるかなんて当然わかるわけないよね。先輩たちの表情や考えていること、雰囲気って凄く大事だよ。
今の学校説明会では生徒にいろいろ質問できる学校も多い。生徒も選ばれた人だけでなく、どの生徒にもコミュニケーションできる学校もある。
考えていること等いろいろ聞けるので、できるだけ多くの学校にいった方がいい。特に併願校を含め、併願する可能性のあるところはできるだけ行くことを勧める。最低10校はいくべき。
今の中学受験は平均7校ほど受験する。6年で偏差値急落する可能性もある。できるだけ5年生までに学校説明会にいった方がいい。
人気校は数百人、千人等満席だし、そうでない学校は数十人等、学校の人気、保護者の雰囲気を含め、生徒や教師、この学校は誰が仕切っているのか、どんな教師陣なのか、教師は若いのか、考え方に柔軟性がありそうか等も一目でわかるので、いろいろ知ることができる。
整理されていない概念を、雰囲気で接続しすぎ。
まず、日本の教育が「下を作らない教育だった」という認識自体がかなり粗い。
日本は確かに中央値付近を厚く育てることには成功してきたが、一方で飛び抜けた上位層への研究投資や飛び級、ギフテッド教育、大学院待遇は長年かなり弱かった。
つまり、日本は「下を作らなかった国」というよりむしろ「突出した才能を制度的に扱うのが苦手な国」。
しかも今起きている変化も「AI時代だから上だけ育てよう」という単純な話ではない。AIによって価値が落ちるのは、中途半端な暗記や定型処理。
逆に重要になるのは、抽象化、構造理解、問いを立てる力、複数領域を統合する力。これは一部エリートだけの話ではなく、教育全体の設計変更に近い。
あと「神から与えられた能力」という表現も危うい。現代の教育研究や認知科学では、能力は遺伝、環境、訓練、社会資本が複雑に絡み合うものとして扱われている。そこへ急に宗教的才能観を混ぜるから、議論の軸がぶれる。
更に。
「深掘り教育をすると不満が出る」というのもズレている。
本質は、能力別最適化と機会公平性をどう両立するか。世界中どこでも、上位層向け選抜教育は普通に存在する。
ただ、その副作用として階層固定化や社会分断が起きるので、制度設計が難しいだけ。
最後の、「AIを使えなくても普通に暮らせる道を政治が示すべき」という部分も、かなり現実逃避に近い。
寧ろ今後は、AIやデジタル適応を避けたまま安定的に中流へ入れる仕事の方が減る可能性が高い。
だから必要なのは「AI不要社会」を願うことではなく、技術変化の中で人間側の価値をどう再定義するか。
教育論、AI論、階層論、文化論を全部一緒に語っているが、全体として解像度がかなり低いですね。
志望校は文化祭や体験学習等のイベントに子どもたちも連れて行くので良くわかっているが、併願校は学校説明会等で保護者がどういう学校なのか、知ることが大事。
平均7校受験するので最低でも10校は5年生までにいった方がいい。
学力別組織編成は、偏差値教育で、学校ごとに組織化されてきた。中学受験はまさに学力別。
学力が高い人ほど偏差値高い学校にいく。
しかし、今は学力別というたての関係ではなく、何をどのように学ぶか、どのような教育が必要か、というヨコの関係で編成される。
つまり、グローバル教育が良いのか、探究的な学びが良いのか、医学部進学を目指す教育が良いのか、STEAM教育が良いのか、従来の学力偏重教育が良いのか、
最近は今の偏差値や今の大学合格実績ではなく、どのような教育を受けたいのかという選択に移行しつつある。































