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【900832】客観視して!

投稿者: 一OBより。   (ID:ou/yRhrSgoU) 投稿日時:2008年 04月 13日 04:48

麻布中学校・麻布高等学校

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すこし失礼な言い回しがあるかもしれないがあえて本当のことを言う。
ここに巣食う輩は一体何なんだ。きもい。
俺は卒業生だ。息子が今年中学に進学した。ことあるごとに麻布を目指せよと言ってきた。しかしこの1年、以前の歯切れ良さとは違ってきていた。結局別の学校へ進学した。俺は入試というか、受験勉強はノータッチだった。妻任せだった。だから、多くは口出ししなかった。味気ない入学式のことを聞いた。そういう背景でこれを書こうと思う。

ここの掲載記事をいくつも読んだ。たくさん読んだ。一体ここで語られている麻布はどこの麻布なんだ、それが俺の印象だ。
高校なんて卒業したら 大学の学業、仕事、結婚、・・・などで高校のことなど顧みる機会など殆どなかった。しかし、今までもこれからも、高校の(俺の場合は中学から)ありようがよくわかる。
友人、が一番の絆だということがよくわかる。仕事をしている時に壁に突き当たらない筈がない。そういうとき、高校の仲間、バカ友たちが一番、いいことを言う。なによりも信用できる。

長くなるから結論を急ぐ。
麻布の自由だ、校風だ?知りもしない親が勝手なことを言うな。さらに言えばだ、麻布の自由というものを言うとすれば、トップ校だから言えるんだ。国の俊英が集まる学校だからこそ、そういう「遊び」も許されるんだ。いまの母校にその素地があるのか。
麻布が自由だとか、政界に有意な人材が多いとか なにをバカなことを言っている。自由は俊英の自律があればこそ、認められたのだ。有力者が多いのはバカ2世が多いからに過ぎないではないか。俺のころでも、政治家の2世なんて見向きもされなかったぜ。
どんな組織でも、自浄能力の弱体化から崩壊の途を突き進む。自浄能力の弱体は、自己を客観視できないところから始まる。母校がいまそういう現実に直面しているのではないか。
知りもしない自由だとか自治だとか 口幅ったくないか!
それより、トップ校にどうしたら戻れるか、それを語るべきではないか。
なお、あえて言えば、なぜTなどに負けるのか、kより番付が低いのか。
トップに立ってから、語るべし。
俺はUSA そしていまは中国にいる。トップの人間たちは ものすごく勉強しているぞ。そして、臆面もなく彼等は言う。トップ校は○○だと。
俺には次男がいる。数年後の受験だ。麻布が復権すること、そして、次男でもいいから「麻布の丘」を歌って欲しいと思っている。

母校の発展を願う。

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  1. 【929016】 投稿者: そうですね  (ID:UsDkrgWG0fY) 投稿日時:2008年 05月 18日 15:23

    >授業を聞かずに漫画を読んだりゲームをしている生徒は致命的ですね。理解に苦しみます。


    これは、その通りです。というか、「漫画を読んだりゲームをしている生徒」などが本当にいるのか?この掲示板を見る限り、そうらしいのですが、にわかに信じがたいことです。少なくとも、わたしの頃はそんなの居ませんでした。


    >麻布生の東大などへの現役合格数や率があれほど低いのは、どうしてでしょうか?


    麻布は露骨に授業で「東大入試問題演習」などやりませんからね。そのへんは、生徒の自主性に任されています。実力試験が東大入試に近いものがあるので、それを目標に勉強し、ある程度取れていれば、よろしいのではないでしょうか。


    >生徒が「勉強したい、知りたい」という欲求や意欲に目覚めることが大切だと思います。


    その通りです。というか、わたしが現在、身につけていることも、趣味の類を含めて全て麻布時代にルーツがあるといって過言ではないと思います。あらためて中等教育の重要さを思います。

  2. 【930085】 投稿者: 四分五裂  (ID:F7L6yMlcH8k) 投稿日時:2008年 05月 20日 00:52

    なかなか興味深い議論だったのに。
    結局そこへ行ってしまうんですか...。

  3. 【930793】 投稿者: 麻布の価値  (ID:lMrXXh.yS/2) 投稿日時:2008年 05月 20日 22:13

    同感 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > スレ主さんの意見に同感です。
    > 「麻布の自由」などということに、大して価値があるとも思えません。
    > むかしは「私立でトップ」を、最大の売りにしていました。
    > やはり勉強主体の学校ですよ。公立に行っていたら「いじめ」にあいそうなインテリ少年の通う学校。それが麻布でした。
    > 卒業してから、他人に「麻布ってどういう学校?」とか聞かれると、「自由な学校ですよ」とか答えていましたけれど。その程度のことですね。

    一保護者ですが、麻布はいまは私立でトップでないのですか? ある意味、私立でトップだと考えている者ですが、麻布の価値は、麻布らしさそのものです。麻布らしさとは、自由と表現できるものでもあり、また一人一人の個性の尊重でもあるのです。また個性を引き出す教育方針、教育哲学です。

    同感さんが、もし麻布のOBならば、大学、東大などにはいったあとは、ある程度自由な空気だからどこも同じに思えるでしょう。私の記憶では、東大の一クラス、百人としましょうか、その中には、灘、開成、麻布、教駒から来たやつはそれぞれ二人ずつ(うち概ね一名が現役)で、あとは皆、様々な高校から一名ずつでした。全国の無名の高校から来たやつが半分。いったん大学にはいったあとはみな同じ大学生に見える。

    ですが問題は、人生のどこかで、外形的に与えられたことをやってきたのでない、自分の内発的なことを大事にすることができる期間を過ごしているかどうかです。そして内発的なものと教育が一致する時期をすごしているかどいうかです。

    いわゆる進学高校(中高一貫かどうかは別にして)で、外から与える教育を行っているところは多い(進学塾の類はすべからく外から与える教育です)。教育の真価が、人の内側にあるものを引き出すものであることに気づき、実践できている教育者や機関は残念ながらあまり見あたりません。

    東大(など)に進学することが目標ならば、東大に行くために有利と目される学校は日本中、たくさんあります。けれど東大に進学してなお、外側から与えられる教育(司法試験、国家公務員試験などは外側から与えられるものです)に縛られがちなのが、悲しいかなこの国に生まれて、スレ主様が描いているいわゆる「日本のトップ校」に進む者の宿命。

    国際的に通用するのは、中学受験塾に通って、中高一貫校に通って、鉄緑会に通って、大学には行ってなお、試験にしばられる人物ではないですね。そういう力と、異文化、激変する環境下で力を出していけるかどうかは、かなり異なる部分があります。今、東大、東工大のトップクラスの学生が就職するときどこを希望するか、というと、よく知られていることですが、ユダヤ系の金融機関や、カリフォルニア発祥のIT企業や、アメリカ系のプロフェッショナル組織など、もはや海外の、国際的な企業です。日本の組織で魅力を感じさせるところが減っている。国際競争では負けかけている。仕方なく消去法で公務員や医師を選ぶ人もいる。ところで国際的に価値が出せる仕事ができる人材は、東大入試への準備や、鉄緑会では育たない。というのは海外のトップクラスの人材は、大学入学時に、日本の大学入試みたいなものはできはしない。では知的に低いかというと、反対で、ものすごく知的レベルは高いのです。自分で問題をみつけ、自分からアプローチし、まとめ上げることができるわけです。

    国際的にトップクラスのことを意識するなら、早く、サピックスや鉄緑会的な、偏差値的なものの見方から脱却したほうが良い。海外(リードしているのはどうしてもアメリカですが)の、そのトップクラスの人材は、出身大学は様々です。修士号を持っている人は多いですが、ほとんどの場合、学部と、大学院の大学が異なっています。多様な教育を好み、受けている。日本の入学試験のように一点を競う入学試験がものをいうわけではないし、大学の所在地や奨学金などでも進学先をきめるから、仮に思考実験ですが、ある一つのテストで偏差値をとったら、東大よりも低い偏差値で超有名大学に進学できるでしょう(ですがそれは東大等が入学困難、ということでなく、ペーパー入試一本で選考する馬鹿馬鹿しさ、時代遅れ感をいいたいのですが)。しかし多様な尺度、多様な選考過程という仕組みの中で、自分のことも内省する時間をとり、また真に知的な教育を受け、追求して、力をつけている人たちが沢山、います。

    麻布が海外(特に米国)のトップハイスクールと比較したらどうか、というと、きっと大甘ではないかと思います。ですが、東大や医学部入試が強く意識される中高や、鉄緑会での教育にくらべれば、きっとまだまし。はるかにまし。

    まあ、麻布流の教育環境の中で、日本的な目に見える成果も出しておいてくれ、と言いたくなる気持ちもあるけれど、角を矯めて牛を殺す方が怖い。麻布の子らには、常に世界を見ておけ、と言いたい。

    (そういえば、海外留学を2年間以上しても、学年がおくれることなくもどれるのは、麻布くらいでしたね。こういう自由さが麻布らしさ。国際的には、どこの国の教育を受けようと、意味のあるものとして認め、復学させるのが常識。ところが日本だけが、他国での教育を認めず、1年だけに限定するか、1年ですら学年を送らせる学校が多い。日本の大学受験の準備のためのカリキュラムからはそういう判断もあるのでしょう。だが、日本の大学受験中心のカリキュラムは、海外で活躍するのには、さほど役には立たない。中学入試もそうですが、大学入試だって狭い世界で、決められたルールの中で、入試の専門家が徘徊できるような狭い世界の中での競い合いです。麻布が海外留学を何年しようともとの学年に戻れる仕組みにしている、その背景にある、考え方とか、自由さとか、またカリキュラムの特色(つまり狭い世界の競い合いでないという)とかを、私は高く評価しています。)

    最後に、inter edu の投稿には、中学受験の影響からかのバイアスを感じます。中学受験前の親御さんはある程度は仕方がないかもしれませんが、社会に出た後までのことを考えると、中学受験の偏差値も、鉄緑化委も、東大も、さほどの意味は持たない。社会の前線で働いている父親族(母親もいらっしゃるかもしれませんが)は、このことをひしひしと感じていると思いますね。社会の前線でしっかりとよい仕事をし、自分でも満足がいくためには何が必要か。

    一に、自分がとことん、努力したいと思う、努力できるものごとを見つけること。絶え間ない努力と工夫。仲間とのチームワーク。そんなもの。そういう力をつけるにはどうしたらいいか。どういう教育の環境にいたらいいか。麻布にはバランスの良さを感じますね。麻布に通う学生たちには、ぜひ、麻布の自由な教育環境を無駄にしないでほしい、と思いますね。




  4. 【931013】 投稿者: 望  (ID:ptsPpy6HyLc) 投稿日時:2008年 05月 21日 08:00

    改行を望みます。
    読みたいのに読みづらくて。
    目が疲れます。
    改行を望みます。

  5. 【931144】 投稿者: はい  (ID:n7uomT1r0z2) 投稿日時:2008年 05月 21日 10:15

    一保護者ですが、麻布はいまは私立でトップでないのですか? 
    ある意味、私立でトップだと考えている者ですが、
    麻布の価値は、麻布らしさそのものです。
    麻布らしさとは、自由と表現できるものでもあり、
    また一人一人の個性の尊重でもあるのです。
    また
    個性を引き出す教育方針、教育哲学です。



    同感さんが、もし麻布のOBならば、
    大学、東大などにはいったあとは、
    ある程度自由な空気だから
    どこも同じに思えるでしょう。


    私の記憶では、東大の一クラス、百人としましょうか、
    その中には、灘、開成、麻布、教駒から来たやつは
    それぞれ二人ずつ(うち概ね一名が現役)で、
    あとは皆、様々な高校から一名ずつでした。
    全国の無名の高校から来たやつが半分。
    いったん大学にはいったあとはみな同じ大学生に見える。



    ですが問題は、人生のどこかで、
    外形的に与えられたことをやってきたのでない、
    自分の内発的なことを大事にすることができる期間を
    過ごしているかどうかです。
    そして内発的なものと教育が一致する時期を
    すごしているかどいうかです。




    いわゆる進学高校(中高一貫かどうかは別にして)で、
    外から与える教育を行っているところは多い
    (進学塾の類はすべからく外から与える教育です)。
    教育の真価が、
    人の内側にあるものを引き出すものであることに気づき、
    実践できている教育者や機関は
    残念ながらあまり見あたりません。



    東大(など)に進学することが目標ならば、
    東大に行くために有利と目される学校は
    日本中、たくさんあります。
    けれど東大に進学してなお、
    外側から与えられる教育
    (司法試験、国家公務員試験などは外側から与えられるものです)
    に縛られがちなのが、
    悲しいかなこの国に生まれて、
    スレ主様が描いているいわゆる「日本のトップ校」に進む者の宿命。



    国際的に通用するのは、
    中学受験塾に通って、中高一貫校に通って、鉄緑会に通って、
    大学には行ってなお、
    試験にしばられる人物ではないですね。
    そういう力と、異文化、激変する環境下で力を
    出していけるかどうかは、かなり異なる部分があります。


    今、東大、東工大のトップクラスの学生が
    就職するときどこを希望するか、というと、
    よく知られていることですが、
    ユダヤ系の金融機関や、
    カリフォルニア発祥のIT企業や、
    アメリカ系のプロフェッショナル組織など、
    もはや海外の、国際的な企業です。


    日本の組織で魅力を感じさせるところが減っている。
    国際競争では負けかけている。
    仕方なく消去法で公務員や医師を選ぶ人もいる。
    ところで国際的に価値が出せる仕事ができる人材は、
    東大入試への準備や、鉄緑会では育たない。
    というのは海外のトップクラスの人材は、
    大学入学時に、日本の大学入試みたいなものはできはしない。
    では知的に低いかというと、反対で、
    ものすごく知的レベルは高いのです。
    自分で問題をみつけ、自分からアプローチし、
    まとめ上げることができるわけです。



    国際的にトップクラスのことを意識するなら、
    早く、サピックスや鉄緑会的な、
    偏差値的なものの見方から脱却したほうが良い。
    海外(リードしているのはどうしてもアメリカですが)の、
    そのトップクラスの人材は、出身大学は様々です。
    修士号を持っている人は多いですが、ほとんどの場合、
    学部と、大学院の大学が異なっています。
    多様な教育を好み、受けている。
    日本の入学試験のように
    一点を競う入学試験がものをいうわけではないし、
    大学の所在地や奨学金などでも進学先をきめるから、
    仮に思考実験ですが、
    ある一つのテストで偏差値をとったら、
    東大よりも低い偏差値で超有名大学に進学できるでしょう
    (ですがそれは東大等が入学困難、ということでなく、
    ペーパー入試一本で選考する馬鹿馬鹿しさ、
    時代遅れ感をいいたいのですが)。


    しかし多様な尺度、多様な選考過程という仕組みの中で、
    自分のことも内省する時間をとり、
    また真に知的な教育を受け、追求して、
    力をつけている人たちが沢山、います。



    麻布が海外(特に米国)の
    トップハイスクールと比較したらどうか、
    というと、きっと大甘ではないかと思います。
    ですが、東大や医学部入試が強く意識される中高や、
    鉄緑会での教育にくらべれば、きっとまだまし。
    はるかにまし。



    まあ、麻布流の教育環境の中で、
    日本的な目に見える成果も出しておいてくれ、
    と言いたくなる気持ちもあるけれど、
    角を矯めて牛を殺す方が怖い。
    麻布の子らには、常に世界を見ておけ、と言いたい。



    (そういえば、海外留学を2年間以上しても、
    学年がおくれることなくもどれるのは、麻布くらいでしたね。
    こういう自由さが麻布らしさ。
    国際的には、どこの国の教育を受けようと、
    意味のあるものとして認め、復学させるのが常識。
    ところが日本だけが、他国での教育を認めず、
    1年だけに限定するか、1年ですら学年を送らせる学校が多い。


    日本の大学受験の準備のためのカリキュラムからは
    そういう判断もあるのでしょう。
    だが、日本の大学受験中心のカリキュラムは、
    海外で活躍するのには、さほど役には立たない。
    中学入試もそうですが、大学入試だって狭い世界で、
    決められたルールの中で、
    入試の専門家が徘徊できるような狭い世界の中での競い合いです。


    麻布が海外留学を何年しようと
    もとの学年に戻れる仕組みにしている、
    その背景にある、考え方とか、自由さとか、
    またカリキュラムの特色
    (つまり狭い世界の競い合いでないという)
    とかを、私は高く評価しています。)


    最後に、inter edu の投稿には、
    中学受験の影響からかのバイアスを感じます。
    中学受験前の親御さんはある程度は仕方がないかもしれませんが、
    社会に出た後までのことを考えると、
    中学受験の偏差値も、鉄緑化委も、東大も、
    さほどの意味は持たない。
    社会の前線で働いている父親族
    (母親もいらっしゃるかもしれませんが)は、
    このことをひしひしと感じていると思いますね。
    社会の前線でしっかりとよい仕事をし、
    自分でも満足がいくためには何が必要か。



    一に、自分がとことん、努力したいと思う、
    努力できるものごとを見つけること。
    絶え間ない努力と工夫。
    仲間とのチームワーク。
    そんなもの。
    そういう力をつけるにはどうしたらいいか。
    どういう教育の環境にいたらいいか。
    麻布にはバランスの良さを感じますね
    。麻布に通う学生たちには、ぜひ、
    麻布の自由な教育環境を無駄にしないでほしい、
    と思いますね。



    ・・・勝手に改行してしまい申し訳ありません・・・

  6. 【931277】 投稿者: 毎度実情も知らずにー  (ID:Miv.cpXAzYY) 投稿日時:2008年 05月 21日 13:36

    >麻布の価値さんへ:
    > 東大(など)に進学することが目標ならば、
    > 東大に行くために有利と目される学校は
    > 日本中、たくさんあります。
    > けれど東大に進学してなお、
    > 外側から与えられる教育
    > (司法試験、国家公務員試験などは外側から与えられるものです)
    > に縛られがちなのが、
    > 悲しいかなこの国に生まれて、
    > スレ主様が描いているいわゆる「日本のトップ校」に進む者の宿命。
    >
    >

     東大や医学部入試が強く意識される中高や、
    > 鉄緑会での教育にくらべれば、きっとまだまし。
    > はるかにまし。
    >
    >
    >
    > 結局、いつものように、どうしても自画自賛、麻布が一番だって事も言いたいわけね。

     毎度毎度の同じ話の繰り返しだけど、ここで言うところの「日本のトップ校」って、
     
     残念ながら、あなたの思う通りのひどいところではないよ。ご期待には添えないけど。

     また、書き込みが荒れていくよ。




     塾だって、通塾生はどこの学校でも、結構それ相応に楽しんで、そんな不満を持っているものは、ほとんどいないだろう。

     
     
    >

    >
    >

  7. 【931753】 投稿者: 趣旨  (ID:H/g6mx6LWOA) 投稿日時:2008年 05月 22日 00:31

    -------------------------------------------------------
    >  また、書き込みが荒れていくよ。

    あれるんじゃなくて、荒らし始めているのはあなた。日本語がおかしい。
    こちらはまじめに見解を書いているだけ。反論は歓迎するが、建設的にしてくれ。
    人を批判する前に考えることがあるだろう。

    >  塾だって、通塾生はどこの学校でも、結構それ相応に楽しんで、
    そんな不満を持っているものは、ほとんどいないだろう。

    わかってらい。でも子供っぽい議論だね。まるで小学生向けの塾の経営者。
    戸の感覚が問題。また子供たちに、いまのままでいいのだと思わせてしまうことが問題。

    日本人は国際社会では、すぐれた家電品、自動車などを作った民族としては敬意が
    払われてきたけれど(それも過去の話になっているが)、個人個人と接すると、
    知的水準が低いと思われている。日本のトップ校(中、高、大)を卒業していてもそう。
    その中で、競っていても仕方がない。東大が「日本の中ではいいのね」程度の扱い
    しか受けていないのだから、仕方ない。しかし国際的に評価を受ける人物はやはり
    いて、そういう方々は、大学もバラバラ、中・高もバラバラ。どちらかというと、
    自分の好きなことを極めているような方々。

    私の先の投稿の主要な論点は、
    日本の知性のトップが、世界のトップに並べていない。
    日本の学力トップが狙っているのは、日本の中で比較有利な職業につくこと。
    世界のトップに並ぶために必要な教育が何か、疑問を呈している。
    これらが私の書き込みの趣旨です。

    例えば鉄緑会。鉄は医学部で、緑は法学部。
    東大医学部も、東大法学部も、日本が国際社会で生き残り、貢献していく上での
    貢献度は小さいのでは? いずれも世界のトップクラスではない。日本が世界の中で活躍し、
    日本国民が敬意を払われ、国民が豊かに食べていけるようになったのは、技術開発や
    モノ作りの現場の力です。中小下請けを含め、学歴のない方々を含め、現場の力で
    日本はなんとかなってきたのです。

    そうした、世界レベルで貢献している人たちの、小学生時代、中高生時代の特色は、野山を
    駆け回り、物作り、電気工作など好きなことに没頭し、というような体験です。

    塾がいくら楽しくても、それはエセ。与えられた、パターン演習的なカリキュラムが
    楽しいような人間が、新しいなにかを生み出すことで貢献することはない。
    そして、沈みゆくタイタニックの中で特等席を求めても仕方がない。

    もう一丁。理系なら医学部か東大か、というような議論が巷間、ある。
    また理系の学生に医学部受験を勧める有名進学校、医学部がよいとする空気を持つ
    学校もある。けれど、それはナンセンス。理系科目が楽しいとおもう人間のうち
    半分近くが医学が楽しいと思う、ということは本来、ないはず。分野の数がはるかに
    多いのだから。外形的に「人生の選好」に影響を与える空気は、人の内側にあるものを
    引き出す教育方針の対局にある。

    でも、沈みゆくタイタニックの中での特等席を求めても、それで一生、うまくいく
    ものではない。人間は一生の中で、なんのために生まれてきたのか、考え始めるから。
    だから、自分が生きている中で意味のあると思えるもの、内発的なものが志す方向に
    エネルギーを集中させてこそ、人生は花開くし、そういう人が多い社会は栄える。

    今の日本の塾、学校の教育者、大学の学者ががんばって、カリキュラムを作って、
    子供たちに「与える教育」をしても、日本が国際社会できちんと貢献していく、生き残っていく、
    あるいは満足に食べていくことは難しくなっているかもしれないのです。

    日本の社会システムが時代にそぐわなくなっている、それを修正する力が、緑卒の
    官僚たちにも、ないのです。

    人の内側にあるものを引き出す、という概念、感覚を知っている教育者。教育風土。
    価値観と個性の多様性。
    自由な時間。自由な空気。

    こういうものはとても重要です。













  8. 【931755】 投稿者: 趣旨  (ID:H/g6mx6LWOA) 投稿日時:2008年 05月 22日 00:34

    あ、トップ校が一つと思うこと自体、価値観が単一。
    価値観が多様だと、トップはたくさんある。
    「この軸で、トップ」
    軸の数だけ、トップがある。
    トップは無限にある。

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