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【133892】武蔵凋落の原因

投稿者: あ   (ID:Prmw0htrzNY) 投稿日時:2005年 07月 16日 18:38

武蔵凋落の原因はこれだな。

http://www.njc.yotsuya-otsuka.co.jp/point/p_index.html

せっかく優秀な受験生が受けにきてくれてるのに、
極端に独り善がりな入試問題でそういう受験生を落とし、
はるかに偏差値の低い受験生を合格させている。

ちなみに他の上位校は概ね合格率の増減が偏差値に従っている。

そういうと、すぐ「それが武蔵だ」とかいい出す人がいるけど、
要するにくじ引きで合格者を決めてるようなものである。

入試問題をもう少しオーソドックスなものにしない限り
武蔵の凋落は止まらないと思う。

そして、このまま入学者の学力の低下が続くと
武蔵の良い部分も死んでしまうのではないかと危惧している。

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  1. 【136248】 投稿者: ちょっと真面目に(?)  (ID:pJBre/jejtk) 投稿日時:2005年 07月 20日 10:37

    もし年次(期)がずれていたらすみません。


    新制で中1から入学して卒業する人たちは、昭和27年(24期)ですよね?
    だとして、卒業者数は、88,110,132,136,131,148,127,149(昭和34)などと推移していきます。
    東大合格者数は、昭和27年からだと、13,?,9,18,26,29,19,25(昭和34)といったところです。
    ただし、この合格者数のソースが何なのかは不明です(ネット上でひろったもの)。

    いえ、私は過去の数字の詳細には、ほとんど興味がありません。
    ただ、たいへんな武蔵ファンで、魅力ある校風を失ってほしくない、と願うものであります。

  2. 【138423】 投稿者: い  (ID:Prmw0htrzNY) 投稿日時:2005年 07月 23日 11:00


    東大合格が目標でないのはいいが、
    東大に合格できるくらいのレベルの生徒が集まってないと
    維持できない「校風」もあるからね。

  3. 【138586】 投稿者: う  (ID:Nv3bFV2vo3s) 投稿日時:2005年 07月 23日 17:22

    あ=い さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > > 東大合格が目標でないのはいいが、
    > 東大に合格できるくらいのレベルの生徒が集まってないと
    > 維持できない「校風」もあるからね。

    東大に合格できるぐらいのレベルの生徒は、もう武蔵には
    集まっていないので、武蔵の「校風」は維持できないとお
    考えですね。

    あ=いさんのお望みは、校風を維持したいのか、東大進学者
    数が増えてほしいのか、どちらでしょうか? 

    それで、あ=いさんのお考えによると、その2つの願望は両
    立可能でしょうか?


  4. 【138610】 投稿者: OBです  (ID:Jk5PZt4/vQg) 投稿日時:2005年 07月 23日 18:11

    仮に「東大多数合格」と「校風維持」の2つの方向があったとして、この2つは両立不可能ではないと思います。理由は単純です。創立当初よりこの2つを両立させてきたわけですから、現在でも可能だと思います。


    ただし、あまり東大(もしくは大学進学実績)に拘りすぎると武蔵の校風からは遠ざかってしまう。けれども、あまりに大学進学を無視すると校風が維持できなくなってしまう。このジレンマが現在の武蔵にとっては悩みの種だと思います。(それを凋落と呼ぶこともあるでしょう)


    それでも近年はだいぶ改革がされてきたようですし、塾産業に対しても多少は柔軟な姿勢を見せてきているようです。

  5. 【138863】 投稿者: むさ子  (ID:Ea2/TPu2sRQ) 投稿日時:2005年 07月 24日 01:08

    質問 さんへ:
    > 結局、どうしても某大学に行きたいと強く願う生徒が大勢集まらなくなった武蔵の実態
    >
    > これは実態として事実ですか?

    事実かどうかは分りません。

    > 某大学に行きたいと願う生徒は昔ながらにいるのに合格できなくなっている
    > のが実態でないと言い切れますか?

    答えはNOです。
    断定できるほどの確証どこにもはありません。
    でも、確実と思えることは、「誰もが某大学に行きたいと強烈に願っているわけで
    はない」ということです。「行ければ行くにこしたことはないが、何も無理をして
    まで行かなくてもよい」との考えの方が、今の武蔵ではむしろ主流ではないかと思
    います。

    当たり前ですが、某大学へは、行きたいと願わなければ行けません。そのため
    には塾に通ったり、予備校のお世話にならざるを得ないのが、悲しいかな今の受験
    の現実ではないでしょうか。(一部の天才くんを除いて。)

    余談ですが、どこの学校であろうとも、その学校の授業だけで、某大学に合格できた
    人はいったいどれほどいるのでしょうか? 

    ●●高校●名合格・・・と数字は示されますが、残念なことに、●●高校の生徒さん
    は、某塾や予備校の受験ノウハウに相当依存しているのが実態です。本来、●●予備
    校●名合格・・・・と数字を整理した方が、現実の受験実態に合っていると思うのは
    私だけでしょうか?

    武蔵生も、●●塾や●●予備校に通う生徒の数はけして少なくは無いようですが、他
    校に比べると少数に止まるようです。そのような数字をみても、某大学を目指すこと
    に、熱をあげている生徒が比較的少ないと言えなくもありません。

    中学に入るときから、迷いなく某大学一直線の道を思い描いている子供や親は、武蔵
    の場合どれほどの数になるでしょうか。それこそ、昔は多かったのかも知れません。
    某大学以外は大学ではないと言う親もいたそうです。(今は居なくなったとは言い切
    れませんが。)

    武蔵をよい教育機関だと考える親御さんは、子供がどのような進路を選ぶかも含めて、
    子供自身にのびのびと考えさせたい、某大学に入ることが中高生活の目的ではないと
    の思いが強いのではないでしょうか?

    誤解を恐れずにもっと分りやすく書けば、某大学への進学のことしか頭に無い親御さ
    んやお子さんは、恐らく武蔵を選択しないだろうという感じがします。

    なぜならば、第二外国語やら、山へ行ったり海へ行ったり、課題のレポートが沢山あ
    って・・・、受験勉強に表面的には直接役に立つとは思えない教育メニューが武蔵の
    教育の根幹をなすわけですから。本物を見る、自分で課題を見つけるという教育の最
    も大切な部分は、残念ながら今の大学入試ではあまり重視されていない部分です。

    某大学の合格者数をもって教育の質を評価するような人が、このような武蔵の教育に
    とびつくような魅力を感じるとは思えません。

    なお、これらの仮説を検証するデータを、私は一切持ち合わせておりません。
    念のため。

  6. 【138888】 投稿者: 進学実績を伸ばすには?  (ID:/bjqQq5E.5s) 投稿日時:2005年 07月 24日 04:18

    「目先の利益(東大合格実績)よりも、生徒の将来の利益(真に有用な社会人に育てること)を追求する」
     武蔵の教育理念は素晴らしい!
    「(御三家としての)矜持を持ち、塾屋に媚び諂わない」
     武蔵の教育内容も立派!

     現在、「うちの子も武蔵なら対策をうまくすれば行けるかもしれない。教育理念も内容も立派だし、うちの考え方にぴったり。きっとうちの子は対策をうまくして東大に行けるに違いないし」と庶民に夢と希望を与えてくれる学校になりましたね。

     関西にも独自路線を歩む武蔵とよく似た学校があります。
    一方で、そこに追いつけ・追い越せを目標に塾と共存共栄を図り、スパルタを標榜しつつ進学実績については少なくとも結果を出した学校があります。
    どちらが真に有用な人材を育てられるかは人それぞれの評価に任せるとして、前者は教育理念・内容共に、昔の美濃部都政・蜷川府政に行われた、公立高校の改革(改悪)を彷彿させると思うのは私だけでしょうか?

     独自路線を歩む関東・関西それぞれのブランド校の行く末を憂います。いくら格好いいこと言っても、目先の進学実績を支えているのは塾や予備校で錬磨する生徒なのに、先生が進学実績について腕をこまねく一方、その生徒の基礎学力が年々低下しているという事実をデータという名で煽り続けられたなら・・・

  7. 【139106】 投稿者: 武蔵の一父兄より  (ID:IDlg.dlKNeY) 投稿日時:2005年 07月 24日 17:17


     私も願わくば子供は東大へと思っていた父兄の1人です。
    実際、子供を武蔵に入学させてみて思ったことですが、小学校時代のいわゆる有名校に
    進学した受験仲間だったママ達のお話を聞くにつれ、武蔵の教育は東大をめざすには
    ちょっと不安と思えるのも事実です。 でも今は、中1の山上教室で学んだこと・
    中2の海浜学校で学んだことなどは、東大に受かるかどうか以前に彼がこれから生きて行く人生において意義のあることだったのではないかと思っています。

     入学して3ケ月、ほとんど知らない者同士がアットランダムにひとつの
    グループとなり、経験したことのない山登りを通して多くのことを学びました。
      初日、到着の順番を競っている中で、遅れがちなお子さんに対してまわりは非難ゴウゴウだったそうです。
      2日目、タイムを競う以上、協力しないと班としての行動が成り立たないことがわかってくると、遅れがちなお子さんの荷物を持ってあげる子が出てきたり、先頭になったペースメーカーは先を急ぐのではなく、休憩の取り方・ペース配分に気をつけたそうです。
    先を急いでも、道を間違えるリーダーであったり(リーダーは日替わり)誰ひとり完璧
    というわけではなく、それからは許したり許してもらったりの連続だったようです。
    その間、先生はただただ見守っていらしたそうです。(ひとグループに必ず1人引率の先生がつくが、道に迷っても身に危険が及ばない限り黙って見守るのが原則)
    かなり年配のその先生が黙々と山を登っている姿に息子は感動すら覚えたようで、(途中、道を間違えて相当な距離を歩かせたらしい)あの先生の授業オレ頑張るヨと言ったものでした。中2の海浜学校では、己の力との戦いだったようで,遠泳を通して海のコワさを知り、山上教室よりはるかにキビしかったと申しておりました。

     授業も良く言えば個性的であり、その分野に興味のあるお子さんはどんどん自分でその勉強を進めていくといった感じでしょうか。何にも興味を持たなければそれなりに。
    その差は大きいと思います。
     武蔵では、勉強・部活すべて自分自身の力は自分でつけるが、基本のような気がします。(積極性という意味において)
     手とり足とりに慣れた現代っ子にはシンドイ学校かもしれません。
    我が子の落ちこぼれを覚悟しなければならないかも・・・。
    キビしさとあきらめの間を行ったり来たりの毎日になるかもしれません。
    でも、何故かそういう武蔵が好きになってしまうのです。もしかしたらそれは子供だけでなく、親としても何かを学び成長させていただいたからかもしれません。

     例え、東大に行けなくても、彼が精一杯の頑張りを見せ、世の中に貢献できれば・・・
    と思います。
    卒業生の方々の中には、東大卒ではなくても、学者や医者になり勿論どんな職業であろうと、社会に貢献されてる方がたくさんいらっしゃると思います。
    息子にも、自分の道を迷うことなく進んで行ってもらいたいと思います。
     東大入学者数ベストテンの学校の御父兄から見れば、こんな意見は負け犬の遠吠えになってしまうかもしれませんが、凋落って言われるだけスゴイとか、そのうち話題にものぼらなくなってしまうかも・・・。と思いつつも、武蔵の父兄はきっと武蔵が大好きで、
    やはり、この醍醐味は入ってみないとわからないと思います。
      ぜひ、お子さんを入学させて下さい。そして、武蔵の父兄としてこの醍醐味を一緒に味わいましょう。













     

  8. 【139695】 投稿者: むさ子  (ID:bXHhbRtd1Mo) 投稿日時:2005年 07月 26日 02:00

    山上学校のあり方が、武蔵の進路(進学)指導そのもの
    のような気がします。

    生徒自らが己の進む道を考え、選択していくことを教師
    が後ろからじっと見守ってくれるという感じでしょうか。

    「自分でよく考え自分の責任で行動した結果の無駄や失
    敗は、必ず本人の財産になるはずです。失敗さえもしな
    い生徒ではなく、財産になるようなよい失敗をたくさん
    する生徒が、武蔵の考えるよい生徒です。」と武蔵のHP
    にも書いてあります。

    受験に失敗するのも、ある意味で武蔵ではよい生徒とい
    うことかも知れません・・・・・いや、これはジョーク
    ですが。

    生徒がどこどこの進路を選択したいと願うならば、教師
    は、その進路選択が可能な学力をつける努力を、必ずや
    惜しまないと思います。

    武蔵では教師と生徒は、相当近い関係にあるように感じ
    ます。武蔵の体育祭を見てそれを強く感じました。

    従いまして、武蔵の生徒には、教師の力を引き出す努力
    も、当然に求められていると思います。

    これはどのの学校でもそうだと思いますが、ポカンと口
    を空けてエサが落ちてくるのを待っている金魚のような
    生徒はエサが落ちてこないという事実だけを学ぶはめに
    なります。

    間違いなく武蔵ではエサは落ちてきません。自分でアグ
    レッシブに探しあてなければ、飢えて死にます。その意
    味で、武蔵は大変厳しい学校です。

    ところで、武蔵では学問の取り組みというものを教え込
    まれるようですが、その中の教えの一つに、「学問とは
    他人との競争ではない」というものがあるそうです。

    例えばテストの点取りの競争の中からは、真の学究は生
    まれない。他人と比較優位に立つ事が、学問の目的では
    ない。そのような教えでしょうか。

    基本的に競争が求められる受験・入学試験突破に向けて
    は、役に立つ教えではないかもしれません。

    そのような日頃の教えのためか、武蔵では受験に打ち勝
    つぞ・・・と言った、競争心が比較的乏しいような気も
    します。

    しかし、その一方、仲間や他者との協調性を尊ぶ考え方
    はしっかりと身に付くかもしれません。仲間とうまくつ
    きあいながら人生を楽しく生きることは、大切なことだ
    と思います。

    円満な人格形成をめざす教育は、受験に打ち勝つ競争心
    を植え付ける指導とは、相容れないものかも知れません。

    さて、このスレッドの本題に戻るならば、「武蔵の凋落」
    とされている事実が、仮にあったとしても、それは武蔵
    の教育にとって凋落であろうはずがないのです。

    それは、むしろ武蔵の教育のありようを示す事実であっ
    て、けして上から下へ落ちたなどと例えるべきものでは
    ありません。

    そもそも凋落と称する指標においても、武蔵が必ずしも
    上にいたかどうかさえ定かではありませんし。

    「武蔵の凋落」などと客観的評価に過剰に頓着しないで、
    自らが生きる路を自らの力で探しあてる力をつける努力
    こそが、ご子息や親御さんが気を配るべきことのような
    気が致します。

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