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投稿者: バラード (ID:h7.DIiHj8E6) 投稿日時:2005年 12月 10日 21:04
女子学院の「自由」とは、たとえば
「車が自由に運転できる」とか
「ピアノが自由に弾ける」 に似ていると思ってます。
車が自由に運転できるには、
教習所に通って運転技術を学ばなければなりません。2Cmの幅寄せには
優れた訓練やテクニック、高速道路を快適に安全にとばすにも経験が要ります。
いくらNAVIがあっても、目的地がなければ行けません。
車がなぜ動くのか知らないと、ガソリンが無い、とかパンクしたとか、ブレーキ踏んでる
だけでは動きません。
交通規則を熟知し きちんと守らないと、とてもじゃないけど自由な運転など
できません。あやふやだと人を危めることにもなります。
もし自由を求めて女子学院を受験するなら、あきらめずに自由を求めて最後まで
やり通す気持ちが大事かなと思います。
がんばり通せば、合格不合格にかかわらず、どちらにしても神に選ばれ、そして
悔いの無い、とっても良い受験ができると思います。
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【245877】 投稿者: 希望 (ID:zg2Rb0ra4WE) 投稿日時:2005年 12月 11日 07:32
以前にバラードさんからアドバイスをいただき、
娘が、現在こちらの学校を第一志望にして頑張っております。
ピアノの方は、練習時間は減ってしまいましたが、暗譜の力は以前よりついてきているように思います。
物凄い集中力でピアノに向かっております。
5ヶ月前のバラードさんの投稿のおかげです。
この子は入学を手に入れることができるのではないかと最近は考えています。
あと1年、悔いのないように上手く両立させながら進めていけたらと思っています。
この場を借りてお礼申し上げます。
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【246999】 投稿者: バラード (ID:h7.DIiHj8E6) 投稿日時:2005年 12月 12日 22:13
希望 さんへ:
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> この子は入学を手に入れることができるのではないかと最近は考えています。
> あと1年、悔いのないように上手く両立させながら進めていけたらと思っています。
> この場を借りてお礼申し上げます。
ぜひ娘さんのペースを守って励ましの言葉でご支援ください。
娘もピアノを夏まではずっとやってましたし、受験後ピアノの先生からもお祝いいただき
すぐ再開しました。
今のペースが持続できるよう、そしていよいよ6年秋になったら全開できるよう
体力や勉強の面では基礎の繰り返しが大事だと思います。
集中力は大事ですね。そのためにピアノは良いと思います。
あせらずコツコツがんばってください。
わざわざレスをつけていただきありがとうございます。
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【247184】 投稿者: マイナスターズ (ID:mg8bLFEeGLU) 投稿日時:2005年 12月 13日 09:03
JGの校長先生が、とある講演会で
希望者は家の手伝いをさせて入学させて欲しいと言ってました。
生活面で当たり前のことを当たり前にできる子供が
JGの自由を理解し、生かすことが出来るのだと思います。
勉強や芸事以外が上げ膳据え膳では底が知れてるのでしょね。
とても納得できるお話でした。 -
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【247599】 投稿者: 斉藤院長時代の卒業生 (ID:Ofp7q2mY8ls) 投稿日時:2005年 12月 13日 20:13
マイナスターズ さんへ:
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> JGの校長先生が、とある講演会で
> 希望者は家の手伝いをさせて入学させて欲しいと言ってました。
JGは、校長ではなく院長です。
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【247875】 投稿者: マイナスターズ (ID:mg8bLFEeGLU) 投稿日時:2005年 12月 14日 09:35
すみません。
講演会でお話を聞いただけなので間違えてしまいました。
今の方も素敵な院長先生ですね。
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【432828】 投稿者: A HILL - DUCK (ID:cgqIShqkEyA) 投稿日時:2006年 09月 01日 21:30
JGの自由に関して述べられています。
私自身感じていることは、学校生活に関する決まりごとや強制が他校と比較し、非常に少なく、一般常識&社会常識、理性ある個人の価値判断に基づいて行動することを強く求められているということです。 その理性形成にあたってはキリスト教の影響を強く受けています。 娘は、自由な行動は、結果に対する責任を持つことに繋がることを自覚しているようです。
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【432861】 投稿者: キリスト (ID:oFa.YWVvLTM) 投稿日時:2006年 09月 01日 22:12
A HILL - DUCK さんへ:
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> JGの自由に関して述べられています。
> 私自身感じていることは、学校生活に関する決まりごとや強制が他校と比較し、非常に少なく、一般常識&社会常識、理性ある個人の価値判断に基づいて行動することを強く求められているということです。 その理性形成にあたってはキリスト教の影響を強く受けています。 娘は、自由な行動は、結果に対する責任を持つことに繋がることを自覚しているようです。
>
宗教とは他者に非寛容であり、特定の価値観への同意を求めることであることにもっと留意すべき。
道徳が宗教になっているのも特定の宗門の生徒への教育を目的としているから許されるという認識はきちっと持つべき。
ミッション系が精神教育だというのは正に特定の価値観そのもの。
中教審における識者からのヒアリング概要から一部引用します。
『とかく宗教界の人間は「宗教平和」ということを言うが、宗教の基本は、自分たちとそれ以外を区別することである。
キリスト教では異端を審判し、ユダヤ教の教義の基本は神と選ばれた民であるイスラエルとの契約であり、神道でも国を治めるべしとの神の命令から神話や国造りが始まっている。
基本法第1項の「寛容の態度」が必要なのは、もともと他宗教に寛容ではないから。
公立学校には色々な人がいるので、特定の宗教を教えることができないのは当然である。』
『一方で、私学については、学教法施行規則(第24条第2項)において、「宗教をもって前項の道徳に代えることができる」とある。
いろいろな人が集まる公立学校で宗教教育をすることは押しつけになり、信教の自由に反するが、決まった宗門の生徒が集まる私学では、宗教が道徳教育に当たるとの認識は正しい。』
阿部美哉氏(國學院大学長)の意見陳述の概要
(中央教育審議会第20回基本問題部会(平成14年12月19日)より)
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/voice/001/v001_03.htm
ユダヤ教からキリスト教、イスラム教と続く一神教の教えについて日本人は安易に考えていないでしょうか?
現在この中で最も信徒の多いキリスト教徒も日本の人口の1%程度といわれていますが、安土桃山時代から江戸初期においては西日本を中心に人口の約10%を占めていたといわれています。
特に三宗教に共通して引き継がれている宗教感に終末観があります。
「信ずるものは救われる」・・・この言葉に代表されるように『最後の審判』に備え日々の生活を送る。
全ての教えの基本をなすものといっても過言ではないでしょう。
ここに、一種の選民思想が潜んでいるといわざるを得ません。
一神教の他者への非寛容さを無視して現代社会の国際情勢を語ることは出来ません。
宗教を考える際には一神教の問題を抜きに考えるのは非現実的ではないでしょうか?