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【432742】JGの自由って?

投稿者: JGについて知りたい父親   (ID:irLq6rFspyM) 投稿日時:2006年 09月 01日 19:33

娘がJG志望の父です。
JGは自由な学校とよく耳にします。
OGの方、在校生の方、ご父兄の方に伺いたいのですが、
JGが自由な学校って感じる場面はどういう時ですか?
宜しくお願いします。

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  1. 【469018】 投稿者: m☆si  (ID:k4td5bduK2Y) 投稿日時:2006年 10月 18日 21:23

    http://school.milkcafe.net/jg/
     ↑こちらの掲示板ご覧になったことありますか?

    コラムニストの辛酸○め子さんのエッセイなどお読みになってみてはどうでしょうか?
    JG時代の事書かれてますよ。

    ○め子さん、膳場貴○(元某局アナ)さん、馬場典○(某局アナ)さんは同期だったんです。
    この一学年上が島津ゆり○さん(某局アナ)です。

    話題からそれてしまってすみません。

  2. 【485915】 投稿者: j  (ID:.p1miMcLkg6) 投稿日時:2006年 11月 05日 19:54

    >m☆siさま
    アドレスの----の部分には何を入れればよいのですか?

  3. 【487242】 投稿者: Forest  (ID:OPKD6hl3Pnw) 投稿日時:2006年 11月 06日 22:26

    JGについて知りたい父親 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 娘がJG志望の父です。
    > JGは自由な学校とよく耳にします。
    > OGの方、在校生の方、ご父兄の方に伺いたいのですが、
    > JGが自由な学校って感じる場面はどういう時ですか?
    > 宜しくお願いします。
    >


    JGっ子の母親です。JG の「自由」は、なかなか奥が深いと私は思います。
    確かに校則はほとんどないし、制服もありません。早弁OK。ピアスOK。
    携帯電話も校内で電源切ることを条件に、OK。だけど、それらはむしろ表面的で、
    実はささいな事柄ではないか?と気づかせてくれるのが、JGの凄さなのです。
    禁止事項がないと、子どもは、「隠れて何かをする」ことをしなくなります。
    制服の改良も必要なくなります。そしてむしろ、自分で考えたり判断する場面に直面するのです。

  4. 【488061】 投稿者: JGについて知りたい父親  (ID:B0OEq5EMSHk) 投稿日時:2006年 11月 07日 16:05

    Forest さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > JGっ子の母親です。JG
    > の「自由」は、なかなか奥が深いと私は思います。
    > 確かに校則はほとんどないし、制服もありません。早弁OK。ピアスOK。
    > 携帯電話も校内で電源切ることを条件に、OK。だけど、それらはむしろ表面的で、
    > 実はささいな事柄ではないか?と気づかせてくれるのが、JGの凄さなのです。
    > 禁止事項がないと、子どもは、「隠れて何かをする」ことをしなくなります。
    > 制服の改良も必要なくなります。そしてむしろ、自分で考えたり判断する場面に直面するのです。
    >


    スレ主です。
    コメントありがとうございます。
    「隠れて何かをする」こととしなくなる...
    ナルホド、奥が深いですね。
    JGから感じる自由な学校はこういう形で現れるのですね...

    そして、自分で考えたり判断できるようになれるのですね。
    昨今、会社内などで指示待ち人間が多いと言われますが、大切なことですね。

  5. 【489577】 投稿者: バラード  (ID:EwXC2oa0pmA) 投稿日時:2006年 11月 08日 21:09

     以前 JGの自由について感じたことを書いたものです。
     
     手元にある「女子学院の歴史」から、少し学校がどのような教育をしてきているのか
     部分的ですが引用させていただきます。
     
     ご存知の通り女子学院は、「あなたがたは聖書を持っている。自分で自分を
     おさめなさい」の キリスト教にもとづいたミッションの学校です。
      
     昭和41年大島院長が就任されて以降、学園紛争が社会的現象になった時期
     女子学院でも、服装自由化、30時間カリキュラム、二期制などが導入されました。
      それと同時に、学校教育のあり方、個々の主体性にもとづく学習のあり方、
     を問い直し 「真の自由を追求するためのアイディンティティの確立と 真理の追究」
     という新しい方針が打ち出されました。
     
     女子学院には、一年の教育指針というべき標準聖句というのが大正の時代から
     ありまして、毎年院長先生が選びます。
     昭和44年の聖句は「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」
     昭和51年は「自由を得させるためにキリストはわたしたちを解放して下さった」
     昭和59年は「あなたがたが召されたのは 実に自由を得るためである
           ただその自由を肉の働く機会としないで愛をもって互いにつかえなさい」
      などなど たびたび登場しています。

     他に「狭い門よりはいれ」 とか「主を恐れることが知識のはじまりである」
     なども ある年の聖句であるとともに、よく出てきますし女子学院教育の根底に
     あるものではと思います。 
     
     娘が入学したころ、人と違っていることがすばらしいこと、神に生かされている
     存在であること等々の教育、進学校だと思っていた私ども親子も多くのお友達の親子も
     びっくりしました。
      今の田中院長の前の斉藤院長は、そのさらに100年前のミセストゥルー
     のことば「私たちは 強くないものたちの弱さを担うべきであって 自分だけを
     喜ばせるようなことをしてはならない」 福祉やボランティア、差別問題など
     生徒への意識も高まっていったと思いまし、これも伝統だと感じます。
     その前が大島院長ですので、在任期間も長いですし、大昔から教育の根底は
     変わっていないのでしょう。
      ある意味 枠にはめないこと。強制、強要はしないこと、させないこと。
     自分で考えて行動すること。人と違った神に生かされているいのち、個性を
     活かしなさい。 ということが入学してはじめに学ぶというようなことでしょうか。
     
     
      
     
     
     

  6. 【492413】 投稿者: キリスト教精神賛美主義について  (ID:DTU1.RH5NiU) 投稿日時:2006年 11月 11日 15:16

    バラード さんへ:
    -------------------------------------------------------
    >  以前 JGの自由について感じたことを書いたものです。
    >  
    >  手元にある「女子学院の歴史」から、少し学校がどのような教育をしてきているのか
    >  部分的ですが引用させていただきます。
    >  
    >  ご存知の通り女子学院は、「あなたがたは聖書を持っている。自分で自分を
    >  おさめなさい」の キリスト教にもとづいたミッションの学校です。
    >   
    >  昭和41年大島院長が就任されて以降、学園紛争が社会的現象になった時期
    >  女子学院でも、服装自由化、30時間カリキュラム、二期制などが導入されました。
    >   それと同時に、学校教育のあり方、個々の主体性にもとづく学習のあり方、
    >  を問い直し 「真の自由を追求するためのアイディンティティの確立と 真理の追究」
    >  という新しい方針が打ち出されました。
    >  
    >  女子学院には、一年の教育指針というべき標準聖句というのが大正の時代から
    >  ありまして、毎年院長先生が選びます。
    >  昭和44年の聖句は「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」
    >  昭和51年は「自由を得させるためにキリストはわたしたちを解放して下さった」
    >  昭和59年は「あなたがたが召されたのは 実に自由を得るためである
    >        ただその自由を肉の働く機会としないで愛をもって互いにつかえなさい」
    >   などなど たびたび登場しています。
    >
    >  他に「狭い門よりはいれ」 とか「主を恐れることが知識のはじまりである」
    >  なども ある年の聖句であるとともに、よく出てきますし女子学院教育の根底に
    >  あるものではと思います。 
    >  
    >  娘が入学したころ、人と違っていることがすばらしいこと、神に生かされている
    >  存在であること等々の教育、進学校だと思っていた私ども親子も多くのお友達の親子も
    >  びっくりしました。
    >   今の田中院長の前の斉藤院長は、そのさらに100年前のミセストゥルー
    >  のことば「私たちは 強くないものたちの弱さを担うべきであって 自分だけを
    >  喜ばせるようなことをしてはならない」 福祉やボランティア、差別問題など
    >  生徒への意識も高まっていったと思いまし、これも伝統だと感じます。
    >  その前が大島院長ですので、在任期間も長いですし、大昔から教育の根底は
    >  変わっていないのでしょう。
    >   ある意味 枠にはめないこと。強制、強要はしないこと、させないこと。
    >  自分で考えて行動すること。人と違った神に生かされているいのち、個性を
    >  活かしなさい。 ということが入学してはじめに学ぶというようなことでしょうか。
    >  
    >  
    >


     宗教とは他者に非寛容であり、特定の価値観への同意を求めることであることにもっと留意すべきです。道徳が宗教になっているのも特定の宗門の生徒への教育を目的としているから許されるという認識はきちっと持つべきです。ミッション系が精神教育だというのは正に特定の価値観そのもの。


    中教審における識者からのヒアリング概要から一部引用します。


    『とかく宗教界の人間は「宗教平和」ということを言うが、宗教の基本は、自分たちとそれ以外を区別することである。
     キリスト教では異端を審判し、ユダヤ教の教義の基本は神と選ばれた民であるイスラエルとの契約であり、神道でも国を治めるべしとの神の命令から神話や国造りが始まっている。
     基本法第1項の「寛容の態度」が必要なのは、もともと他宗教に寛容ではないから。
     公立学校には色々な人がいるので、特定の宗教を教えることができないのは当然である。』
    『一方で、私学については、学教法施行規則(第24条第2項)において、「宗教をもって前項の道徳に代えることができる」とある。
    いろいろな人が集まる公立学校で宗教教育をすることは押しつけになり、信教の自由に反するが、決まった宗門の生徒が集まる私学では、宗教が道徳教育に当たるとの認識は正しい。』


    阿部美哉氏(國學院大学長)の意見陳述の概要
    (中央教育審議会第20回基本問題部会(平成14年12月19日)より)
    http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/voice/001/v001_03.htm


     ユダヤ教からキリスト教、イスラム教と続く一神教の教えについて日本人は安易に考えていないでしょうか?現在この中で最も信徒の多いキリスト教徒も日本の人口の1%程度といわれていますが、安土桃山時代から江戸初期においては西日本を中心に人口の約10%を占めていたといわれています。


     特に三宗教に共通して引き継がれている宗教感に終末観があります。
    「信ずるものは救われる」・・・この言葉に代表されるように『最後の審判』に備え日々の生活を送る。
     全ての教えの基本をなすものといっても過言ではないでしょう。ここに、一種の選民思想が潜んでいるといわざるを得ません。一神教の他者への非寛容さを無視して現代社会の国際情勢を語ることは出来ません。
    宗教を考える際には一神教の問題を抜きに考えるのは非現実的ではないでしょうか・


    最後の審判(さいごのしんぱん)
    「世界の終末においてメシアが出現し、死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄へ墜ちる者とに分ける、という思想をいう。
     これはユダヤ教からキリスト教・イスラム教に引き継がれ、これら3つの宗教において重要な教義となっている。
     元々はゾロアスター教の教義から来たものと言われる。」


    (出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%AF%A9%E5%88%A4)


     現代社会について宗教国家なんてイスラム圏の特殊なことと考えがちですが決してそのようなことはありません。最近NHKをお辞めになった池上彰さん(子供ニュースでお世話になった方も多いかと思います)の近著『そうだったのか!アメリカ』(2005年ホーム社)などをお読みいただくのもいいかと思います。
     また、多神教国家であったローマがキリスト教によってローマでなくなっていく悲痛な叫びを塩野七生さんは『ローマ人の物語壱 ??〜??』(2003年〜2005年)で述べておいでです。
     更に、最近の研究では『島原の乱』は農民の圧制に対する反乱ではなくて『宗教戦争』であったという見方も有力になっています。実際、騒乱時という特殊事情下にあるとはいえ、キリスト教徒による非キリスト教徒の虐殺行為の記録もあります。


     決して日本も例外とは言い切れないと思います。

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