在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
早稲田政経、数学必須へ。
受験生は激減するかもしれないが、私大トップの矜持を感じる。これで初めて難関国立と肩を並べるかもしれない。
私大文系専願に数学必須はキツイ。
ますます、難関国立落ちの受け皿になるのを危惧するが、英断。
私立文系専願が回避するから、倍率かなり下がるが、全く狙い目にはならない。
私大の中では孤高の存在になりそう。
慶應どうする?
ところで、今後の入試がそのような傾向で定着していくのであれば、受験生にも「本質認識」「全体認識」のための歴史的傾向や展望といった視点の修得・確立が求められてくるのではあるまいか。
そこで私は、経済学科や国際政治経済学科志望の受験生に伊東光晴著『ケインズ(岩波新書)』の一読をお勧めしたい。たしかに一部は内容的に古くなっているが、依然として素晴らしい名著であると思う。もはや同新書の古典だと言っても過言ではない。
これと、エドワード・ハレット・カー著『歴史とは何か(岩波新書)』を併読して頂けると受験生には有益だろうと思われる。
> その一つに現実の経済の複雑多面な動きに対して、実証や推論を重ね、精密な用具を使って分析する「現象分析」がある。
そこで終わるのは総務省の統計局くらいなもんだよ。通常はその結果を示したところで、それを踏まえて今後はどうをすればいいの?と問われるだけ。分析することが目的ではない。
本来は何かしらの仮説があって、それを裏付けるために統計学や計量分析を使うんだよ。「今日の資本主義経済とはいかなるものか」を長々と述べたところで、現実の数字と乖離していたら誰もそんな話を聞こうとしないだろうね。
マル経の枢軸は価値論にあるといえる。ただ、そこに入るとまたややこしくなるので・・・
ところであなたは、あの創価学会御用達の佐藤優らの『真説 日本左翼史(講談社現代新書)』をご覧になったであろうか。内容的には突っ込みどころ満載であるものの、その序において「私は『左翼の時代』がまもなく到来し、その際には『左派から見た歴史観』が激動の時代を生き抜くための道標の役割を果たすはずだ(14頁)」との部分には、同感である。
しかし、そこでクロカン(故黒田寛一)と(創価学会の)「人間革命」との共通点に触れているところ(同208頁以下)がいかにも、浦和高校時代に唯物論者であったはずが同志社で観念論者に転向した佐藤らしいな、と感じた。
だれが「『分析』で終わる」と言っているのかね?
ただ、経済学における「数学」とは、経験科学や精密科学(exact science)としての分析用具の一つに過ぎないということだ。数学自体が主たる目的ではない(教育学部にある数学科ではないのだから)。
たしかに社会科学においては、そうした個別的現象分析の緻密さも大切だ。だが一方で、現代資本主義観形成のための本質認識に関わる基本的な問題提起を提出する学問。これもまた重要だと考える。その意味で、政経学部で基礎分野として経済理論や統計・計量以外に経済史や経済学史といった専門科目も配当していることは理に適っていると考える。




































