充実した教育環境の日大付属高校
田舎の自称進学校特有の国公立信仰に苦しんでいます。助けてください。
僕は某田舎の自称進学校に通う高校2年生です。
一応そこでは首席です。笑
本題ですが、僕の学校は田舎+自称進学校なので国公立信仰が凄まじいんです。
「お前なら名大を狙える!」と先生は言ってくれますが、僕は慶應に行きたいのです。
だって同じくらいの入試レベルで就職実績、社会的評価が上なら慶應の方が絶対良いじゃないですか。
大学4年間を東京で通うこともすごく憧れです。。
地方国立に行けば、毎日農道みたいなシケた道で大学と自宅の往復。
東京で便利で文化的に豊かな生活して、田舎では絶対無理な経験を積み重ねてる同級生の姿を見て劣等感を抱く人生は送りたくないです。
でも先生は許してくれないのです。
親は高卒で代々菊農家ですから受験には特に口出ししてこないかと思います。
お金は多分出してくれるかと思います。
皆さん、田舎自称進学校の国公立信仰から僕を救ってください。
AI化によって、生産性が向上した未来社会を想像して見ましょう。
そこでヒントになるのが、奴隷労働によって、労働から解放された古代ギリシャの自由民の社会です。
「小人閑居して不善をなす」ではないが、そこではギリシャ悲劇に代表される演劇や文学が流行った。
また、cynicismの語源にもなった犬儒派と呼ばれる世の中を皮肉る哲学が盛んになった。ソクラテスもその一人です。
むしろ、社会の主役は彼らで、理系の技術者は、奴隷労働の監督者に過ぎなくなる。
君が文系を侮ると困るので昨夜、簡単に卑見をご披露した。そこで、再確認したいことは一般科学たる哲学の存在である。それは文系のみならず、自然科学といった特殊科学をも包摂する役割を有する。とりわけ注目すべきはヘーゲルの存在だ。彼は、あらゆる現象をその全体としての関連において捉えようとした。それは与えられたどの瞬間においても静止していない(生成)との現実である。私の拙い学問も、それから大きな示唆を与えられてきた。まずは、そのことをお伝えしたい。(続く)
(続き)
そのうえで君には、1995年5月に当時の『日経連(注 財界労務部と言われていた)』が公表した「新時代の『日本的経営』」を是非、ご覧いただきたいと思う。そこには、当時の大企業がICT(情報通信技術)革命と多国籍企業化に対応するための「本音」が率直に記されてある。それは財界(経団連)のみならず、彼らを批判的にウォッチしてきた我々にも衝撃を与えたものであった。まさに、高度経済成長期に彼らが自ら確立した日本的雇用慣行(終身雇用制、年功制、企業別組合)を一転自ら解体しつつ、徹底的なリストラ、人員整理を行うとするシロモノであった。それがいかに実行されたについては、その後の非正規雇用者の増大、正規雇用者への成果主義の導入などからも明らかである。
そうすると、今般の「理系人材不足」なるものの背景には(それらの提唱者に竹中平蔵らネオリベらがいることからも)、一連の財界、大企業の経営戦略の大転換、すなわち「日本的経営」から「新自由主義的経営」への強引な転換があるのではないか、と思われるのである。したがって、巷間つたえるところによる「理系人材不足」にはたしてどのような意図、企みが隠されているのか、大いに警戒せねばならない。国民を憤激させた今般の自民党議員らの裏金疑惑あってさえ、なお経団連会長は何らの苦言を呈することなく企業献金を続行すると述べた。その信じがたい倫理観、歴史観の欠如を見せつけられて、私のこの疑念はさらに深まるばかりである。
新自由主義的経営というのは難しいと思う。コストカットするために従業員を解雇することが新自由主義なのかどうか。むしろそれは資本主義下ではよくあることなのではないか。1960~1970年代にはそういう解雇が少なかったのであれば、それは単に労組が強かったからなのかどうか考える必要はあるかもしれない。
今日愛媛大学の前期合格発表。7学部平均の競争率は1.6倍だそうな。医学部が3.6倍だから医学部除いた競争率は空恐ろしくなる。
2倍を切ったら「選抜」の意味が無くなると言う。松山市内の公立数校が、それぞれ100人近い合格者を出すのも頷ける。





























