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【1594613】また!?甲子園

投稿者: すごいですね   (ID:rylBDZtdLfY) 投稿日時:2010年 01月 30日 19:40

 ◆近畿<枠6、候補17>
 地区大会を制した神戸国際大付、準優勝の大阪桐蔭の力が抜けているとして、まず2校を選んだ。この後、8強以上と1回戦で神戸国際大付に善戦した北大津を加えた7校の戦力を検討。4強の立命館宇治、神港学園はともに準決勝で大敗したが、それまでの堅実な戦いが評価された。一般選考では同一県から3校を選べないため、好投手・堀田を擁する育英と神港学園も個別に比較されたが、神港学園が総合力で勝ると判断された。天理、智弁和歌山は打力を評価されての選出。走塁面の消極性が議論となった智弁和歌山が、最後の1枠に入った。
(毎日新聞 2010年1月29日)

1987年創部
3年ぶり4回目(夏5回,優勝2回)


トーダイに入学するより難しいでしょうね。
いろいろ言われても結果を出しているのは立派です。


「一将(誰だ?)功成りて万骨枯る」とならない学校になって欲しいですね。

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  1. 【2495606】 投稿者: 日本一  (ID:MnVVP/LhS42) 投稿日時:2012年 04月 05日 02:12

    優勝おめでとうございます(^^)v

  2. 【2634012】 投稿者: 春夏連覇 辛くもV  (ID:fGLmyVkG8pM) 投稿日時:2012年 07月 29日 21:19

    ●大阪桐蔭は冷や汗も 春夏連覇目指して出場

     第94回全国高校野球選手権大会は29日、8地区で決勝戦が行われ、春のセンバツ優勝の大阪桐蔭、3季連続の栃木・作新学院などが甲子園出場を決めた。

     大阪はセンバツ優勝校の大阪桐蔭が初回に4点を奪って逆転、8回に一挙7点を失い、冷や汗をかいたが10―8で履正社を振り切り、全国制覇した08年以来4年ぶり6回目の甲子園へ。奈良は初回に8点を入れた天理が畝傍(うねび)に13―6で大勝。2年ぶり26回目の全国舞台へ名乗りを上げた。

    [ 2012年7月29日 16:18 ]

    ●大阪桐蔭 辛勝Vも 藤浪まさかの8失点で完投できず

    大阪大会決勝 大阪桐蔭10―8履正社 (7月29日)

     今春の選抜大会覇者の大阪桐蔭は7回まで10―1と大量リードを奪いながらも、8回に履正社の猛反撃を受け、2点差に追い上げられた。最後は何とか振り切り西谷監督は「夏はすんなり勝てない。勉強になった」とほっとした表情だった。
     エース藤浪が突如崩れた。7回まで3安打1失点と好投していたが、8回に制球が甘くなる。一気に6安打を浴び、10―6に。そしてこの回二つ目の四球を出したところでマウンドを譲った。藤浪は「あれだけ点数をもらいながら完投できないのは情けない。自分一人だけ同じことをやってしまった」と唇をかんだ。
     甲子園では史上7校目の春夏連覇が懸かる。プロ注目の右腕は「自分が引っ張っていけるピッチングをしたい」と復調を誓った。 【29日の各地区試合結果】

    [ 2012年7月29日 19:19 ]

    ●大阪桐蔭が反撃振り切り甲子園
    <高校野球大阪大会:大阪桐蔭10-8履正社>◇29日◇決勝◇舞洲球場

     甲子園史上7校目の春夏連覇を目指す大阪桐蔭が履正社を圧倒し、4年ぶりの出場を決めた。初回に1点を先制されたが、その裏に田端良基内野手(3年)の2ランなどで4点を挙げて逆転。4回には5点を追加して大量リードを奪った。
     8回に履正社の猛攻にあい、先発の藤浪晋太郎投手(3年)は8回途中8失点降板。2点差まで迫られたが、最後は沢田圭佑(同)が締め、全国制覇した08年以来の優勝を飾った。
     西谷浩一監督(42)は「大阪の代表として、夏の優勝旗も取りに行きたい」と力を込めた。

     [2012年7月29日17時42分]

  3. 【2661243】 投稿者: 春夏連覇おめでとう!「全員がキーマン」  (ID:GMJf1/RLljc) 投稿日時:2012年 08月 25日 02:22

    ●大阪桐蔭が春夏連覇 史上7校目
     第94回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社・日本高校野球連盟主催、毎日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力)最終日は23日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で決勝があり、春の選抜大会優勝の大阪桐蔭が3―0で光星学院(青森)を破り、史上7校目となる春夏連覇を果たした。
     今大会の決勝は史上初めて春の選抜決勝と同一カードとなった。大阪桐蔭の優勝は第90回大会(2008年)以来、3度目。光星学院は3季連続の準優勝。

    ●「全員がキーマン」大阪桐蔭、見せた層の厚さ
    (23日、大阪桐蔭3―0光星学院)
    2012年8月23日16時20分
     春夏連覇へ。思いを乗せた白球は、バックスクリーン右へ吸い込まれた。
     4回。均衡を破ったのは、白水の一発だ。準決勝まで17打数1安打の7番打者。だが、「おいしいところで打ちますよ」。自信はあった。

    ◆西谷先生・名言
     明徳義塾・馬淵監督は大阪桐蔭の印象を聞かれて「向こうは横綱、ウチは前頭みたいなものだから全力でぶつかる」と答えた。
     それを記者から聞かされた大阪桐蔭・西谷監督は「それは私の体型を言っているのではないですか」と切り返した。

    ●全員野球モットーに春夏連覇を達成 大阪桐蔭監督・西谷浩一さん
    2012.8.23 20:42
     「高校野球は野球のヤの字。ここで燃え尽きてほしくない」。春夏連覇の偉業を達成した常勝校の指揮官には、勝利至上主義だけでは語れない一面がある。

     勝っても負けても、高校球児にとっては、その先の人生の方がはるかに長い。「大学や、社会人、プロとその後に通じる準備をしよう」と毎日のように部員に言い聞かせてきた。自身は甲子園出場経験がなく、大学でも出場機会に恵まれなかった。しかし、主将としてチームをまとめ、大学選手権準優勝。大阪桐蔭高でも指揮官として全国制覇を経験した。さまざまな形で野球の魅力を知り尽くしているからこそ、伝えられる言葉だ。

     コーチに就任した平成5年。PL学園高など、当時から大阪府内には歴史のある強豪が多かった。「同じことをしても勝てない」と考え抜いた末、寮で1年生が上級生の衣類を洗濯する慣例を改めた。「洗濯したって野球はうまくならない」。不満げな顔をする上級生たちには「文句があるなら、全部俺が洗濯してやるから持ってこいと言ったが、誰も持ってこなかった」と笑う。

     背景にあったのは、全員野球のモットーだ。優勝まであと1死となった場面で、決勝で登板機会のなかった控え投手の沢田を伝令に送った。「みんなの気持ちが一つになると思ったから」。そして、歓喜の瞬間-。背番号はもらえなかったが、チームを支え続けてきた記録員と真っ先に抱き合い、喜びを爆発させた。思いが結実した連覇達成に「よくやったと全部員をほめてやりたい」と破顔した。(藤原翔)

     粘りで春夏連覇をつかんだ。大阪代表の大阪桐蔭は23日、決勝で光星学院を3―0で下し、4年ぶり3度目の優勝を決めた。エース藤浪晋太郎君(3年)が2安打で完封。史上初めてとなった春の選抜決勝と同じカードに、スタンドを埋めた4万6千人の観衆からも大歓声が送られた。
     一塁側アルプス席の大阪桐蔭の応援団は、春夏連覇の喜びに揺れた。
     2回裏 校歌が流れた。作曲した大川進一郎さん(79)=大東市=も駆け付けた。「マンモス球場で何度も歌ってもらい、僕は幸せものだなあ」

    2012 選手権 8月23日 決勝 3-0 光星学院
    2012 選手権 8月22日 準決勝 4-0 明徳義塾
    2012 選手権 8月20日 準々決勝 8-1 天理
    2012 選手権 8月18日 3回戦 6-2 済々黌
    2012 選手権 8月13日 2回戦 8-2 木更津総合

    2012 選手権大阪大会 7月29日 決勝 10-8 履正社
    2012 選手権大阪大会 7月28日 準決勝 10-0 近大付
    2012 選手権大阪大会 7月26日 準々決勝 7-2 東大阪大柏原
    2012 選手権大阪大会 7月25日 5回戦 10-0 生野工
    2012 選手権大阪大会 7月23日 4回戦 2-0 箕面東
    2012 選手権大阪大会 7月22日 3回戦 6-2 門真西
    2012 選手権大阪大会 7月19日 2回戦 14-0 牧野
    2012 選手権大阪大会 7月14日 1回戦 6-0 千里

  4. 【2786555】 投稿者: 野球部 今年の総括  (ID:dP9UybYjLWg) 投稿日時:2012年 12月 10日 01:37

    ●大阪桐蔭を変えた西谷浩一監督の常勝志向
    (スポーツ報知 12月8日(土)13時32分配信)

    今年の甲子園で史上7校目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭・西谷監督。プロに入ってからも伸びる選手を数多く育ててきた

     2012年の高校野球の主役は大阪桐蔭だった。甲子園で史上7校目の春夏連覇を達成した西谷浩一監督(43)。プロ野球界には、阪神入りが決まった西岡剛(28)、日本ハムの4番を担った中田翔(23)、“おかわり君”こと西武・中村剛也(29)、そして阪神にドラフト1位指名された藤浪晋太郎(18)ら、実力とともに華のある選手を輩出した。なぜ、大阪桐蔭はこれほど強いのか。監督の指導の根底にあるものに迫った。

     甲子園に春夏通じて7度出場して3度の優勝。通算成績は24勝4敗、勝率は8割5分7厘。PL学園で一時代を築いた中村順司監督(現名商大監督)の8割5分3厘を今年の春夏連覇で上回った。だが、西谷監督自身の野球人生は挫折の連続だった。報徳学園で公式戦に出場したのは2年生の秋だけ。最後の夏を前にした86年5月に下級生の暴力事件が発覚。兵庫県大会に出場できなかった。

     「今も覚えています。朝一番にグラウンドにいったら、カメラマンに写真を撮られました。新聞を見て、『あ、終わったんだ』と。野球も学校もやめた者がいましたが、僕は意地っ張りで。やめると負けた気がして、最後まで朝も晩も練習していました」

     当時、学校に出入りしていたスポーツメーカーの社員が、グラウンドの姿を見て、声をかけてくれたことがあった。

     「顔見知りになっていたSSKのオジサンが『関大がキャッチャーいないから、行ってみるか?』と言ってくれた。セレクションと思って参加した練習会で手応えがあったんですよね。でも、実は当時の関大はスポーツ推薦がなかった。関大のマネジャーから『(PLの)桑田と清原が来てもウチは通らない』と言われてキョトンした」

     当時の広岡正信監督(現・関西学院監督)から「じゃあ受験すればええんちゃうか」と言われ、「売り言葉に買い言葉」で受験を決意。しかし、文系全学部で全滅。野球で他の大学に進む道ではなく、浪人を決めた。

     「反骨心でね。1年やって正しかったと言いたくて、自習室で夜9時まで勉強して、11時まで開けてくれたジムに通って肉体改造。つらかったですね。この時の経験がなかったら、先生としてダメだったと思います」

     関大3年時に大学選手権準優勝。控えで主にブルペン捕手ながら4年で主将を任され、100人以上の部員をまとめた。

     「ひとつの組織をつくっていく楽しみ、やりがいを感じました。僕がよく言っているのは『高校野球で燃え尽きるな』ということ。たとえ甲子園に行けなくても自分に合った大学で野球を続けてほしい。大学野球のすばらしさを経験してもらいたいと思っています」

     90年秋、運命の再会を果たす。進学のきっかけをつくった「SSKのオジサン」は、大阪桐蔭の監督になって91年夏の甲子園で初優勝を遂げる長沢和雄元監督だった。コーチに誘われ、93年に大阪桐蔭に赴任した。

     「当時はPL学園の選手の方が2ランクくらい上。下級生が寮の雑用や洗濯をする時代でしたが、これをやめて1年生から練習を積ませれば、PLとの差は半ランクか1ランクくらい縮められるんじゃないかと。『どこかで変えようや、不満あったら俺が洗濯する』と上級生を説得しました。今では自分のことは自分でやるのが大阪桐蔭の伝統になりました」

     打倒PLを目指した道のり。中学生をいかにスカウトするかは重要なポイントだ。西谷監督が描く「いい選手」とは。

     「大げさに言えば、三度のメシより野球が好きな子。人柄も見ます。僕は食事している様子をよく見ますね。中田(翔)はいかつい中学生でしたけど、お弁当を小学低学年の子と会話しながら食べていた。『俺の卵焼きと、空揚げかえてくれや』とか言って。ほほえましい光景でした。この子は悪い子ちゃうなと」

     中田が中学時代までいた広島には、1年半で40回以上も通い詰めた。金曜夜に新幹線に飛び乗って、土曜の午前中に数時間だけ見て、高校のグラウンドに戻ることも。

     「ときめきですよ。妻が『また広島?』ってあきれてましたね。夏の大阪大会開会式の日までが(勧誘の)区切り。最後のあいさつと思って出向いたら、その日に受験するという返事をもらった。うれしくて、うれしくて。帰りの新幹線で珍しくビールを空けました」

    一方で、3学年合わせ60人前後の部員全員で戦うスタイルが西谷流だ。

     「技術がある子でも大阪桐蔭に合わないと思えば断ります。通いも疎外感が出てしまうので、2年前からやめました。最近は命がけで野球するというのは減ってきている。昭和っぽいと言われるんですが、自分のためだけじゃなくて、チームのために動ける。そういう子と一緒にやりたいんです」

     1年前。当時のエース・藤浪について「(歴代の先輩に比べ)まだ足りない」と話していた。彼は驚くほどの成長を遂げた。

     「僕は叱っているイメージがないと言われますが、藤浪はよく叱っていました。ボーッとしていて間が遅いし、以前は打たれた時にニヤッとしていた。防衛本能だと思いますが、『味方はいいように思わんぞ』とじっくり言ったことがあります。今年はマウンドで弱さを見せなかった。向上心がある子。プロではさらに地に足つけて、文字通り大きな投手になってほしい」

     常勝軍団としてブランドになりつつある。

     「僕の出身の報徳学園は(創部)100年、大阪桐蔭は25年。OBには4倍グラウンドに足を運んでくれ、と言っています。プロ含めてOBは本当によく来てくれて、それが財産になり、いい伝統になっている。僕が報徳学園に憧れを抱いたように、子どもたちがここでやりたいと思うチームにしたい」

  5. 【2923130】 投稿者: センバツ・痛恨のプレー  (ID:g8M0D3Wy0us) 投稿日時:2013年 04月 07日 11:02

    【野球のツボ】プロでは当然…大阪桐蔭のあのプレー (スポニチ2013.4.4)
    http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/04/kiji/K20130404005543710.html
     ◆高代 延博(たかしろ・のぶひろ)1954年5月27日生まれ、58歳。奈良県出身。智弁学園-法大-東芝-日本ハム-広島。引退後は広島、日本ハム、ロッテ、中日、韓国ハンファ、オリックスでコーチ。WBCでは09年、13年と2大会連続でコーチを務めた。[ 2013年4月4日 11:13 ]

    <県岐阜商・大阪桐蔭>9回に本塁生還を狙った走者が捕手に体当たりするようなスライディングをし、守備妨害でアウトになった
    Photo By スポニチ

     閉幕した選抜高校野球で、印象に残るプレーがあった。3回戦での県岐阜商と大阪桐蔭の対戦。大阪桐蔭は9回2死一、二塁からの中前打で二塁走者が本塁に突入。このときのクロスプレーでの出来事だった。好返球を受けた捕手は、ホームをブロックしながら、突入に対してミットを構えていた。これに対して、走者は体当たりで強行突破。ミットからボールがこぼれ落ちた。

     私はこの瞬間、走者のナイスプレーだと感じていた。回り込んだりしてタッチを避けることも出来ない状況なら、ぶつかっていくしかない。「大阪桐蔭はさすがに鍛えられている」とも思っていた。プロ野球なら、このプレーは当然セーフ。WBCに限らず、国際大会でも同様だ。顔面を狙ったわけでも、スパイクの歯を向けたわけでもない。セーフになるため、走者は最善の選択をしたと見ていた。

     だからこそ、球審の「アウト」のジャッジには最初、びっくりした。2月にアマ野球内規が改訂され、「野手がボールを明らかに保持している場合、走者は野手を避ける、あるいは減速するなどして野手との接触を回避しなければならない」と危険防止ルールが加えられたことは後で知った。くしくも大阪桐蔭の選手が昨年夏の高校野球の国際大会で、再三激しいタックルを受けて負傷したことが、改訂につながったということだが、プロ側の人間として、このルールは果たしてどうなのか、と思ってしまう。

     もし、アウトになった選手がプロ入りしてきたら、「あのプレーはナイスプレーだった。同じ状況になったら、迷わず当たれ」と指導するし、捕手の子がプロ入りしたら、「あの程度の当たりでボールを落とすな。ミットを右手で抑え込んで、何が何でもボールを離さないように練習しろ」と命じる。それがプロの世界だ。あのプレーを「ラフプレー」と見るプロ側の人間はいないと思う。

     個人的な意見だが、ルールは中学生からプロまで共通であることが望ましい。野球界全体のレベルアップのためにも、それは必要だ。高校や大学でも国際試合はある。このとき「日本では体当たり禁止だから」と言っても、対戦相手は「そうですか」と応じるはずはない。日本の野球が世界基準と違った方向に向かわなければいいのだが。(前WBCコーチ・高代 延博)

  6. 【2923133】 投稿者: 森友哉ルールが皮肉にも…  (ID:g8M0D3Wy0us) 投稿日時:2013年 04月 07日 11:05

     ◇「危険防止ルール」に沿い判定

     第3試合の県岐阜商-大阪桐蔭戦で、九回に大阪桐蔭の走者が本塁に突入した際、捕手と交錯したプレーで、守備妨害により走者にアウトが宣告された。
     赤井淳二・大会審判副委員長(日本高野連審判規則委員会委員長)は「捕手が本塁で待ち構えている状況だった。落球を誘発するような体当たりをすれば野球にならなくなる」と説明。大会本部は、大阪桐蔭の西谷浩一監督に厳重注意した。

     昨年の18U世界選手権では、本塁に突入した米国の走者が2度、捕手・森友哉(大阪桐蔭)を突き飛ばした。このプレーをきっかけに、日本アマチュア野球規則委員会は今年2月、内規に「危険防止(ラフプレイ禁止)ルール」を新設。「攻撃側のプレーヤーが野手の落球を誘おうとして、あるいは触塁しようとして、意図的に体当たりあるいは乱暴に接触することを禁止する」と明記した。審判員の判断で、野手が落球しても走者にはアウトが宣告されるとした。

  7. 【3202219】 投稿者: 森友哉捕手が人命救助 すごいぞ森クン!  (ID:HjR3jkM5k8g) 投稿日時:2013年 12月 10日 01:00

     2013/12/09 14:00 【共同通信】

     線路に転落した男性を救助し、JR西日本から感謝状を贈られた大阪桐蔭高の森友哉捕手(右)と久米健夫捕手=9日午後、大阪府大東市
     線路に転落した男性を救助し、JR西日本から感謝状を贈られた大阪桐蔭高の森友哉捕手(右)と久米健夫捕手=9日午後、大阪府大東市
    西武入団の森友哉捕手が人命救助 ドラフト1位、感謝状贈呈
     プロ野球西武からドラフト1位指名を受け、入団が決まった大阪桐蔭高の森友哉捕手(18)が11月、大阪市浪速区のJR新今宮駅で、線路に転落した男性をチームメートと協力して救助していたことが分かった。JR西日本は9日午後、感謝状を贈呈した。  森捕手は「体が反応して、助けられて良かった。2人の息がぴったり合いました」と笑顔で話した。

  8. 【3202345】 投稿者: なんだかね  (ID:H5GS50QVi4c) 投稿日時:2013年 12月 10日 08:27

    もと副主将のほうが転落の瞬間を目撃して「行くぞ森」と言って行動を起こし
    森君はわけわからずついていって助けたという話だから
    副主将の久米君のほうが称えられるべきなのに、
    有名なほうの森君ばかりを持ち上げる書き込みはいかがなものかと思う。

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