在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
>一定レベル以上勉強すると、パターンが決まって来ちゃうんですよ。嗚呼またこれか、、みたいに。そこに達する前に次の論理レベルの学習しないと、脊髄反射みたいになっちゃうんですね。大学受験問題を完答出来る様になっても、先端科学がすぐできるわけじゃないですよね。せっかく先取りしたのに足踏みするのは無駄ですね。小学生でも中学生でも高校生でも一緒です。
「そこに達する前に次の論理レベルの学習しないと」というご指摘は確かに。
テキストオンリーのパターン学習癖はあとあといろいろなところで影響しますから。
学問全体がガウス平面の広がりを持つとすると受験学習はたった一本の実軸のようなものですから、実軸を抜け出して複素界をふらふらと楽しむ習慣を小さい頃から経験しておくと良いのではないでしょうか。その具体的な方法が、テキストから離れて体験遊戯読書を充分エンジョイすることだと思います。特に小学生は。
このあたりの調整が加味された家庭学習あるいはカリキュラムに反映されている中高(公私どちらでも)や塾であれば心配ないと思いますが。
さらにノーベル賞話に火がついたようですね。
正直言って、勿論賞を取ったり、論文が革新的なものであったり、そういう本当に特別な人はいることは確かですが、
99.99999999999999999%は、研究費ももらえず、満足な機器も揃えられず、アメリカに行って成功を収められず、
戻ってきて、職が無い。
こんな悲しい状況もある事を、考えてみてくださいね。
少しは、一般的な話に戻したら、いかがでしょうか。
日比谷や都立について書かれている方がいるのでちょっと失礼します・・・・。
>その灘と比べて日比谷は東大合格の内容に差があります。
ひとつの可能性として、当時の日比谷は他の都立進学校の選択もあり、灘ほど優秀な生徒は集まっていなかった。 とすると、当時の日比谷や他の都立進学校受験は当時の灘受験に比べて大変ではなかった。
まず都立の文化として「何が何でも現役」ではなかったんですよ。高校生時代にはしっかり文化祭、体育祭をやる。読書や運動部も徹底的にやる。受験第一主義で予備校に行くなんてやらないで「青春を謳歌してダメなら浪人」という感じなんです。
これが近頃の中高一貫は中学入学と同時に東大専門塾に通いだすそうですね。
6年間、高校受験がないから部活や好きなことができるのがメリットと言っているのにこの精神構造はなんでしょうね? 塾へ行く暇があるなら友人と語りなさい。高校生にでもなれば口角泡を飛ばして徹夜で議論しなさい。アルバイトでお金を作って海でも山でも友達同士で行きなさい。
後段の「受験が大変でなかった」なんてことはありません。必死こいて勉強をした人がほとんどでしょう。でもそれは親に言われてやったのではありません。憧れの高校に入るために自らの意思でやったのです。親にやらされる中学受験とは大違いです。ここが中学受験と高校受験の大きな違いです。
親があれこれ口を出すのは子供の成長を阻害します。親がリードする中学受験は自主性のない依頼心の強い子供を作ります。それは日本の将来にとって大きな懸念材料でしょう。
公立の復活を心から希望する所以です。 以上、終わります。
>友人と語りなさい。高校生にでもなれば口角泡を飛ばして徹夜で議論しなさい。
友達同士で長時間の議論が成り立つのが私立中学のいいところみたいですよ。
公立小学校の友達とは有り得なかったことです。
会話が楽しく止まらないと言っています。
>親にやらされる中学受験とは大違いです。ここが中学受験と高校受験の大きな違いです。 親があれこれ口を出すのは子供の成長を阻害します。
動機さん
そう単純に言えないのではありませんか。
中学受験する者と高校受験する者の年齢の違いは念頭にありますか?
数量的差ではなく、発達度の違いです。
そもそも発達度のまだ低い小学生集団においてもさらに個々で差があります。
だから定番は存在せず、親はいろいろ悩むわけです。
もし、動機さんのこれまでの主張の柱がこの点にあるとすれば
年齢における子供の成長が考慮されていないという一点で主張の土台がくずれ
全く説得力のない発言と受け止められるかもしれませんよ。
エチケットさん
エチケットさんが、当時の日比谷の現役合格者数が灘に比べて低いことを問題にしていらっしゃるとしたら
動機さんの書き込みにある
>まず都立の文化として「何が何でも現役」ではなかったんですよ。高校生時代にはしっかり文化祭、体育祭をやる。読書や運動部も徹底的にやる。受験第一主義で予備校に行くなんてやらないで「青春を謳歌してダメなら浪人」という感じなんです。
という文化があったことが一つの要因かもしれません。
塩野七生氏
>当時の日比谷高校では、最初の3分の1はそのままストレートに東大へ行き、次の3分の1は一浪して東大へ行くという学校だったのです。一浪するぐらいは何でもなかったのですけど、私の場合は「どうも一浪してもは入れないなあ」と見極めをつけてざるを得なかったわけです。
利根川進氏
>ぼくらが高校生のころは、ぼくは日比谷高校だからね。日比谷高校というのは、あのころは東大。ほとんど全員東大を受ける。ぼくともう1人だけだ、東大を受けなかったのは。京大受けた。それで、みんなにバカにされたもん(笑)。
内田樹氏
>日比谷では受験勉強をまじめにすることが禁忌だった。定期試験の前に級友からの麻雀の誘いを断って「今日は早く帰るよ」と言うためには捨て身の勇気が必要だった。「勉強したせいで成績がいい生徒」は日比谷高校的美意識からすると「並の生徒」にすぎなかったからである。努力のせいで得たポジションで同期生のリスペクトを得ることはできない。試験直前まで体育会系のクラブで夜遅くまで汗を流したり、文化祭の準備で徹夜したり、麻雀やビリヤードに明け暮れたり、詩や小説を書いたりして、それでも抜群の成績であるような生徒だけが「日比谷らしい」生徒と見なされたのである。
多くが東大を目指し、しかもガリ勉はかっこ悪いという美学があったため、
浪人を選ぶことに抵抗のない文化があったということでは。
「小尾通達」が出された頃は、すでに、日比谷等特定の高校に東大など有名大学の合格者が集中していたこと、
高校入試のため、公立中学で受験指導や補習までして高校受験が過熱化していたこと、
越境入学者が押し寄せていることなど、都民の不満が高まっていました。
背景に戦後の平等主義の広まりや権威主義への抵抗もあったようで、
都立高校離れが進んで行ったのだと思います。
これだけ問題視されるようになったということは、少なくとも1960年代半までは、
やはり都立のナンバースクールを受験するのは大変だったと思うのですが。
私がこの話題を持ち出したのは、当時のナンバースクールに入るような子どもたちは
いったいいつ、どこで勉強していたのかという疑問からです。
今の中学受験の勉強は過剰で、昔はそんなことなかったというご意見に対しての疑問でもあります。




































