最終更新:

269
Comment

【729817】麻布の空気 〜 主体的に生きる

投稿者: 新米保護者   (ID:byEsJszGne6) 投稿日時:2007年 10月 08日 22:18

麻布中学校・麻布高等学校

ブログ最新記事

記事がありません

新米保護者ですが、麻布の教育というか空気について感じてきたことを書かせてください。一番大切なことが、麻布では「主体的に生きる」ということを体験的に学んでいるのではないかという気がしています。そしてこの「主体的に生きる」ことを大切にする空気の中では、生徒は窮屈さを感じず、それがよく言われる「麻布の自由」として表されるのではないかと思うのです。また保護者はこの空気に、大事なことを学んでいることを直観的に感じ、どこかほっと安心してしまうのではないか、と思います。我が家ではそうでした。

「主体的に生きる」ということは人が自分の人生を豊かに送る上で、最も鍵となることではないかと思います。外側から当てはめられた、組織や集団などの成功の尺度から物事を判断し、行動を律することだけでは、人生は楽しく豊かに送れません。いつか「自分の人生は何のため?」と窮屈に思うことがあるのではないでしょうか。しかし、自分らしい生き方をしながら、社会貢献ができる道が探せると、経済的、社会的にどうであれ、個人的には人生に豊かさを感じることができるような気がします。

では主体的に生きる、ために必要なことは何なのか、考えてみると、「何かが起きたときに、条件反射的に物事を処理しない」つまり合間のポーズを置く、ということではないかと思います。しかしまず、ポーズを置いて、それから、何を判断尺度として考え、自分(や自分たち集団)にとりうる行動の選択肢としてどういうものがあるのか、考える。これが、主体的に生きる上で最初に必要な鍵なのだと思います。

現実には現代社会は忙しいし、組織などごとにノルムがあり、何かが起きると、条件反射的に物事を処理することが多くなっています。組織規範でものごとの処理をルール化しておいた方が、組織運営の効率は良くなり、組織が所与の目的を達するスピードは上がります。しかし、これでは、組織(小社会と言い換えても良いと思うのですが)が環境変化対応や、組織の進化が遅れ、脆弱なものとなりかねないのだと思います。

麻布の空気の中で育ちつつある者は、できごとがあったときに、まずポーズを置いて、そして皆で話し合う。何があったのか事実を確認し、事実を共有化する。そして、判断尺度、とりうる選択肢について話し合う、ということが当然のごとく行われるのだと思います。この方法はものごとの処理は非効率です。スピーディに自動処理することに慣れた者の目から見ると、理解しがたいこともあるでしょう。ですが、まずポーズを置くことをしないと、主体的に生きることを放棄し、流されて生きていくことになりかねない。これができるというのは、長い人生では武器になります。他者に勝つための武器ではなく、自分の人生を有意義に過ごす武器です。

言葉にするのは容易ではなかったのですが、我が家が息子が麻布に通っている端々から触れる空気から、感じ取ったことと、半年を経て、ますます安心している背景を改めて考えてみるとこんなところかな。

まだまだ新参者ですので、諸先輩からも学んで参りたいと思います。しかしまずはこの空気を作り、守り育ててくださっている関係者の方々に御礼を述べながらも、つたないながら学んだことを言葉にすることでお役にたてればと願い、また何らかの形で空気を理解したい方々のご参考になれば、と思います。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【914066】 投稿者: ざいこうせい  (ID:iS2cWN38c1w) 投稿日時:2008年 04月 29日 08:04

    言いたいことはちょっと違うかな…むしろ、エネルギーの源泉の問題と言った方がいいかも。
    まずひとつとして、伝統の保守に対して大きなエネルギーが生まれにくいということがあって、ふたつ目として時代背景というのがある。
    一つ目については簡単で、それは感覚的に分かること。既存のシステムが否定しがたいものになっている(なっているように思われる)時、次にどうエネルギーを使えば良いのかを考えるのは難しい。創造的活動へのそれのほうが生まれやすいのは明白。
    二つ目は安保闘争等の政治運動が当たり前だった時代だったからこそ、「破壊的」自治獲得のインセンティブが生まれたということ。それは麻布という下地があれど、そうした時代背景がなければなされえなかったものだと思う。

    あとは、麻布の自由の維持の主体が高校生であるということを考えあわせると、「大人の社会でも大部分はなしえていない自由へのアプローチ」を高校生が自然状態において、しかも伝統の保守という形態で持続させるには多大の困難性を伴うといえる。保守的性格によって自由の内容も形骸化していくだろうし…自由の性格も、本質とはかけはなれた「一義的」なものに変化していくのは自然の流れ。

    だから、自由を生み出す方が簡単。自由を生み出す時代には、考えて実行すればそれは即自由の創造となった。そして、評価されるのである。今は…。

  2. 【914071】 投稿者: ざいこうせい  (ID:iS2cWN38c1w) 投稿日時:2008年 04月 29日 08:09

    あ、今良い例えを思いつきました。

    「市民革命の実行」と、「衆寓政治からの脱却」のどちらがより難しいのだろうか…。民衆は、革命が起こればその流れで意識も高まるが、何年か経つと…っていうのは民主主義社会の自然な帰結。

  3. 【914367】 投稿者: 昭和の日  (ID:GdIEa2/nrAU) 投稿日時:2008年 04月 29日 16:31

    ↑ さんへ:
    -------------------------------------------------------

    > それらの学校の方が東大の学部を選ぶ自由は多いでしょうから、それで、いかがですか。
    > 僕は父兄なので、麻布の教育に満足しながら、苦言も書いてますが、
     
     ご意見番を標榜しておられるようだが、どこかに苦言をされてましたっけ?
     
     他の学校は受験実績のことばかり書かれている、なんてことも全くないですよ。
     優れていれば、いきおい、話題が集中することもあるでしょう。



  4. 【914781】 投稿者: ↑  (ID:1lY7TLKWESU) 投稿日時:2008年 04月 30日 07:15

    昭和の日 さんへ:
    -------------------------------------------------------

    >  ご意見番を標榜しておられるようだが、どこかに苦言をされてましたっけ?

    そんな大層な役はしていませんが、
    「麻痺してませんか?」のスレで、ゲーマー君には批判しています。

  5. 【916108】 投稿者: ・・・  (ID:bUG54SFmEHM) 投稿日時:2008年 05月 01日 18:48

    閉鎖的自己陶酔 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 60年代以前と違って、今のこの時代に自由を
    > 希求するということは、余程不自由な受験生活を送って
    > きたとか家庭的な縛りが強く麻布に入ってやっと自由が
    > 手にはいった、とかですか?
    > 偉大な哲学者の高邁な思想を滔々と書き連れねられる
    > 父親達。麻布の自由の意義を滔々と述べられる在校生。
    > きっとそれは麻布でしか学べないすばらしさなので
    > しょう。

    確かに、自由というのは、不自由な状況において、より強く認識されるわけですね。
    ただ、「周りの人が東大行くから僕もひとまず東大行ってから人生考えよう」みたいな自我喪失的な考え方に嫌気がさして、この学校の受験を考える親も少なくないのも事実だと思います。そういう親たちは、進学校の中で称賛されるいくつかの学校に、そういった点での窮屈さを感じているのだと思います。
    だから、子ども自身が、ひとまず、自分の内面と向き合って自分が本当に何をしたいのかを探す姿に付き合うという実感がもてるとすれば、育てる側にとっては、大変魅力的だと思いますよ。
    別にこの学校でなくてもそういう経験ができればいいわけですが、積極的に、そういう機会が作られているような面がウケているわけです。
    哲学者の話を持ち出されると、私も閉口するほうですが、私と違ってこれがウケる人もたくさんいるのでしょう。まあそれはそれでいいではないですか。


  6. 【969345】 投稿者: もにゅ  (ID:Azjyr8HMcoE) 投稿日時:2008年 07月 02日 20:35

    流石、アカデミックですね。次男は麻布に憧れましたが、
    如何せん遠くて。体も弱かったので某進学校に通っています。
    勉強がきつく、通学による疲労もあり、かなり勉強に穴を
    あけました。先生からの所謂肩叩きがあり、不本意ですが親がヘルプしました。
    今勉強とは、どう生きるかなど、疑問や迷いがあるようで、
    それをじっくり考えている時間がないようです。
    麻布にはそれがあるように、感じました。
    スケールが大きいと思います。

  7. 【979163】 投稿者: 自由とは?  (ID:RHyg4tI7doE) 投稿日時:2008年 07月 12日 23:59

    私的に思うには
    自由の欠点は、
    1,適度な強制と適度な競争があれば、進学先がもっと上に行けたであろう生徒がいる。
    2,自由と言っても、主体的に生きているのはどうしても、生徒の中での社会構造から、指導的役割をしている生徒になる。生徒という社会の中でどうしても上下関係が起きる。
    究極的に自由にするなら、完全に個人主義的なクラス・学校作りが必要。混沌とした、エントロピーを最大にした、バラバラなクラス形成が必要。
    また、自由と言っても、所詮は生徒の集団的自由であり、
    その集団内では内部ルールが存在し、主導的立場の生徒が
    暗黙のルールを作り、先生に従うか、生徒のリーダーに従うかの差?か。
    3,自由であるが故に、行動量が少なくなり、楽な方に流れ、ワーク量が減ってしまう生徒もいると予想され、6年間、何も考えず、楽に過ごし、かえって、社会に出たときにギャップが大きい場合もある。
    自由の利点は
    1,確かに主体的にはなる傾向にある。
    2,居心地がよい。
    3,勉強や進学という価値観だけでなく,いろんな価値観に生徒がさらされる。
     逆に,いわゆる進学校はいろんな価値観の中で,偏差値的な価値観に偏る傾向がある。
    ただし、究極の自由は、大工になろうが,音楽家になろうが,スポーツ選手になろうがすべて自由。ところが、麻布は,自由でスタートし,ほとんどが進学という価値観に戻っていっているような進学実績。
     つまり、「麻布の自由」とは他の進学校のように価値観を進学実績に置いていないという建前ながら,高2,高3で最後は生徒の価値感が進学先に向くような自由であり,
    言い換えれば,進学実績だけじゃないですよと教えておいて,実際には最後は進学実績に向いていく。
    ゴールもしくはシナリオは進学だが,はじめはかくしておいて、何をやっても自由という。
    進学校が、はじめから、進学が大事・勉強が大事と教えるのに対し、
    麻布では,進学や勉強が大事であることを気づかせるということですか。
    しかし、「自由」という言葉は、進学に限定すると意味がなくなる。音楽家になろうが大工になろうが自由なのが本来の意味。
    わかりません。いくら考えても。
    もしかしたら、大学受験に熱心な進学校と麻布との差は
    1,宿題があるかないか。
    2,授業で大学受験可能か、塾に行かないと授業だけでは一流大学受験むずかしいか。
    程度の差なのでは?。

  8. 【979302】 投稿者: 知的バイタリティ  (ID:qh7o9bMlKJc) 投稿日時:2008年 07月 13日 08:07

    自由とは? さんへ:
    -------------------------------------------------------

    麻布の自由は、何事も生徒(やりたい人)が提起し、皆で考えて徹底的に討論して決め、リーダーの下で自分達の力で実行することができ、そんな生徒達の活動を先生方は邪魔をせず温かい眼差しで(注意して)見守っています。
    生徒達に教えるのでなく、生徒達自身から自発的な興味や意欲を引き出し、他者を説得したり共感を得る術を身につけ、お互いに対話し刺激し合いながら新たな気づきや知恵が生み出されていく、そんな教育の環境が備わっている気がしますよ。
    そんな中からリーダーシップが育っていくのだと思います。
    何をしてもよい、しなくてもよい、自由は格差も生みますから、結果の平等ではありません。


    大学進学は、東大や医大を目指す人もいれば、芸術に進む人もいれば、ホントに大学には行かないと言い出す子もいるようですよ。
    麻布に入る時には慶応や早稲田の付属校にも合格しただろうに、早慶にも進まないなんて信じがたいですが。麻布が最終学歴でもいいくらいに思ってるのかも?笑
    実際、マイクロソフトの古川・元社長も、最終学歴は麻布高校です。今は慶応大学の教授になりましたが。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す