在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
愛子様と同学年の子供の中学受験について
子供が愛子様と同学年です。
こちらの入学試験の合否に、試験の点数以外のもの
(家柄、縁故等)は
関わってくるのでしょうか?
それとも、点数が達していれば普通に合格するのでしょうか?
(当方、一般的なサラリーマン家庭です。)
愛子様お見かけしたことありますけれど、テレビよりずっと可愛らしいお嬢さんでした。
細いし。
ご学友の方々とご一緒で楽しそうでした。
◯◯〜〜!とお友達の名前を呼ばれてとても元気そうな利発そうなお嬢さんという印象で、世間のそれとはずいぶん違うように思いました。
もう中学生になられるのですね。
時の経つのをはやくかんじます。
どうして秋篠宮紀子妃は、こうした侮辱の対象になるんでしょうね?
紀子様、修士課程を卒業して、日本学術振興会の研究員になり、今年の3月には人文科学博士号を取得しておられます。
この方を「研究者」「学者」と呼ばずに誰をそう呼ぶんですか?
「戦前国立・戦後私立」の学習院
学習院は、明治維新の10年ほど前に、京都御所の中に設けられた貴族の子弟を教育する機関で、その名も「学習院」でした。
明治になって10年ほどしてから、東京に移され、「華族学校」と改名しました。神田錦町にあったそうです。
やがて、宮内省所轄の官立の学校となり、現在、小学校のある四谷尾張町に移転しました。
当初は学習院は男子だけで、別に「華族女学校」というのがあり、学習院に隣接していましたが、明治の終わりに、合併して、男女合わせた学習院が誕生しました。いや、共学にはならなかったんですけどね。
1908(明治41)年、裕仁親王(昭和天皇)が学習院小学校に入学したので、そのために、明治天皇の意志で、日露戦争の英雄・乃木希典が学習院長に任命されました。
もっとも、皇居内に分校を作って、親王は選ばれた十数人の学友といっしょに勉強したそうです。
歴代の学習院長の名前を見ると、乃木のほかに、谷干城、大鳥圭介、三浦梧楼、近衛篤麿、野村吉三郎と言った、歴史の教科書で見かける、錚々たるメンバーの名が並んでいます。
戦前は学習院設立のための特別の法律がありました。日本銀行の設立のための法律があるのと似ています。
1947(昭和22)年に廃止され、学習院も新制私立大学として、改めて発足しました。
>これは、悠仁さまのためにつくられた特別枠ですから、いちおう、国立なのに、優待できないから、入学を優待するための苦肉の策じゃないでしょうか。
おっしゃる通り。
>研究者といっても、何を研究されたのか不明ですよね。しかも、入園前のタイ>ミングにあわせて、研究者におなりになったわけだから。
まさにおっしゃる通り。
博士号、ふつうの人は、ものすごく苦労してとるものでしょうに。皇室だから、次期天皇の親だから、簡単にとれちゃうなんて、この国は自由民主主義?と首を傾げてしまう。。。
むしろ、この方を博士とか、研究者とか、呼ぶ人は、むしろ、いないでしょう!
中学卒業したら、どこに行くのかしら?
あるいは、もしかして、急にお茶高が共学になって、お茶大が共学化?まさか、そこまでしないでしょうね。やめてほしいな、それ。
愛子様のお母様の方が、よっぽど、優秀なのに。




































