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投稿者: 東京県民の母 (ID:OLax0oWOqvE) 投稿日時:2008年 10月 12日 16:38
はじめて投稿します。
母娘ともに女子学院に憧れています。娘は現在小学校5年生です。
先日田中弘志院長先生のインタビューが10ページにわたって掲載されている「中学受験で子どもを伸ばす親ダメにする親」という本を拝読しました。
子が親に反抗する必要性、親が子に過干渉になることへの警告、健全な批判精神を育てることの大切さ・・・そして女子学院が目指す教育について語られていらっしゃいました。
改めて女子学院の教育方針のすばらしさ、院長先生のお考えに感服するとともにいまの私の母親としての力のなさを突きつけられたように感じ、ふだんの母親としてのふるまいを反省させられました。
皆様はどのような感想をお持ちになったのか聞きたいです。
また田中院長先生が女子学院にいらっしゃったのは何年前でしょうか。娘がお世話になったときにはひょっとしたらいらっしゃらないのではないかと不安にも思っています。もちろんその前に娘が成績をのばし、結果合格しなければ無用な不安でもあるのですが・・・
この本を書かれた方は元WのNNの先生なんですね。著者紹介ではじめて知りました。それも興味深かったです。
長々と失礼いたしました。まとまりのない文章で申し訳ありません。
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【1055921】 投稿者: 素晴らしいですね。 (ID:ZZvBI0SGhzw) 投稿日時:2008年 10月 13日 20:40
わたしも、まったく同じ感想を抱きます。
ただ、他の何校かでも、全く同じお話をうかがうことができました。
おそらくは、中学高校という思春期の子を預かる学校の先生方にとっては「基本中の基本」事項なのではないでしょうか。 -
【1056746】 投稿者: 教えてください! (ID:KzDNOctOCZU) 投稿日時:2008年 10月 14日 14:51
はじめまして。
その本についてもう少し詳しく(出版社名・出版年など)教えていただけないでしょうか?
現5年生の娘と共に女子学院を志望しております者です。ぜひ読んでみたいので、よろしくお願いいたします。 -
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【1057266】 投稿者: 私見偏見 (ID:9K1hVYC6M4k) 投稿日時:2008年 10月 14日 23:00
学校掲示板で宣伝するのはなんですし、本がでたのはついこの前なので。タイトルをグーグルで検索すればすぐ出てきます。著者は、娘もお世話になった先生なので、立ち読みしましたが、女子学院だけでなく、関西の2校(西大和と大阪桐蔭)にもインタビューされていたことの方が私にとっては斬新でした。というのもこの先生はJG受験専門でしたから。さて、田中院長は大変ダンディな方で生徒たちの人気も高いのは確かですが、院長というより、まあよくも悪くもリベラルなこの学校の伝統のなせる技といった感じで私はうけとめています。
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【1059407】 投稿者: 興味? (ID:/oNlXNfpXVs) 投稿日時:2008年 10月 16日 21:45
<院長というより、まあよくも悪くもリベラルなこの学校の伝統のなせる技
といった感じで私はうけとめています。
この言葉に興味を覚えます。
リベラルな校風というのは知るところですが、院長も? -
【1060233】 投稿者: バラード (ID:MNhMUc1zdEM) 投稿日時:2008年 10月 17日 16:32
田中院長はたしか2001年斉藤正彦院長の後任として
女子学院の院長になられたと思います。
はじめて来られた時、様々な行事に熱中する
生徒たちの姿を見て感動したというようなこと。
ずいぶん前の三谷院長が、女子学院は「才媛主義ではなく
前掛け主義です」という頭でっかちではなく、実演志向
本物志向の教育と言っていたことに共感したことなど
記憶にあります。
スレ様が書かれている「反抗心を暖かく見守る」「過保護
過干渉にならないように」ということは、全く同じような
言い回しで私どもも前斉藤院長から聞かさせまして
耳の痛いお話だったと同時に、以降肝に銘じて
子育てをしてまいりました。
リベラルというのは、人によって捕らえ方が
ずいぶん違うのではと思いますが、私が感じる
女子学院のリベラルというのは、あくまでも
キリスト教の精神に基づいた、「神にいかされている
大切な一人一人個性を持ったいのち」
「神に与えられたすばらしい個性をできるかぎり
他者のために=社会のために=いかせる努力をしなさい」
そのために、神の前に謙虚であれ、真理の追究のために
破ってはいけない規則などはない というような教育
で、一人一人の役割や、問いかけに対する考え方や答えが
当然違っている という教育だと思います。
イデオロギーとか思想とかいわれるものではないと
思います。
このあたりは、創立以来のミセス=トゥルーや初代院長
矢嶋楫子の時以来変わっていないと思いますし
それが一世紀半にもわたる伝統なのではと思います。