最終更新:

39
Comment

【2388938】30年前と最近のJG入試レベルについて

投稿者: 初投稿です   (ID:SBhbRTIM/L2) 投稿日時:2012年 01月 18日 16:29

初めての投稿です。

ご近所で 30年ほど前にJGに入学したお母様がそのことが
かなりご自慢のようです。(現役で慶応にいらしたとか)

当時も現在と同じようなレベルの子が行く学校だったのでしょうか?

ご存じの方、いらしたら教えてください。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【2392168】 投稿者: 30年前  (ID:Ojf7UnqIoJA) 投稿日時:2012年 01月 21日 08:00

    女子学院は素敵な学校ですよね。私もあこがれます。
    でも・・・現役で慶応、は別に自慢することではないのでは?
    30年位前、中学受験もせず、地元公立高校に進みましたが、現役で慶応、早稲田は100人単位の合格者がいました・・・。
    なのでJGから慶応、と聞いたら、私だったら「ふーん」と内心、残念な印象を持つだけかも。公立からだと、やっぱり国立大の併願校ですから。
    ただ、慶応の方の慶応大好きオーラって、ちょっと微笑ましいところがあって、自慢とは取りにくいんですよね。ホントに楽しかったのねーっていう。
    JGも似た感じかな?
    学校のレベルうんぬんっていうより、そんな風に受け止めてみては?

  2. 【2392198】 投稿者: 特別  (ID:Sn8Re5UOWR6) 投稿日時:2012年 01月 21日 08:42

    現役で慶応については別に自慢していないのでは?
    確かに女子学院から慶応は普通だとおもいますし。
    知らなかったと言っている人、首都圏にお住まいだったのなら、住む世界が違ったということですよ。

  3. 【2392464】 投稿者: トピ主です  (ID:SBhbRTIM/L2) 投稿日時:2012年 01月 21日 12:39

    短い間にたくさんのご意見、本当にありがとうございました。

    ついつい僻み根性で、きつい書き方をしてしまいました。

    落ち着いて考えると
    ご近所の方は「自慢」でおっしゃったわけではないと思います。

    JG関係者(?)の方、みなさん良い方ですね。

    勉強になりました。ありがとうございます。

  4. 【2412270】 投稿者: 一番町  (ID:QyXr/17nON6) 投稿日時:2012年 02月 04日 16:37

    30ウン年前でも、御三家、桜蔭の次、の位置づけですね。

    でも、きっと今の方が合格するのは大変なんだろうなとは思います。
    なんとなく。

    私もJG大好きです。社会人になってから、桜蔭卒の友人に、
    「JGのにおいがする」と言われたことがあります(笑)

    そんなものなのだと思います。
    JGで多感な時を過ごせたことは、うれしい限りです。

    どこの学校もそうだと思いますが、母校についての思い入れはあるでしょう。
    スレ主さんのお知り合いもそんな感じなのでは?

    まあ、「何女子学院?」は悲しいですけどね。
    常についてまわる質問でした(涙)

    そうそう、道に落ちている缶カラの話、知ってますか?
    桜蔭生:参考書を常に読んでいるので、缶カラに気がつかない
    雙葉生:拾ってゴミ箱にすてる、神様が奉仕をなさいと言っている
    JG生:缶けりをはじめる

    よく御三家の特徴を表したものです。

    長文失礼

  5. 【2417619】 投稿者: ももんが  (ID:bISPDycSPKc) 投稿日時:2012年 02月 07日 23:30

    私もちょうど30年前にJG生でした。ホントに楽しい6年間でいい仲間と出会えて・・・。そして今年は娘の受験。私同様、JG入学を夢見て頑張ってきましたが、力及ばずでした。でも、本当に娘の遺志での第一志望だったのか、親のエゴではなかったのか。結果的には、かなり実力も伸び、本人も満足する学校に決まりましたが、あまりにも思い入れがあり過ぎて・・・。質問に対する答えにはなりませんが、上位層の質的には、昔も今も変わりがないと思います。ただ、さまざまな塾ができている今、240名のギリギリ下の層については、かなり高いのではないか、と感じますが。

  6. 【2438501】 投稿者: 老人  (ID:fIDzUW0ZeFs) 投稿日時:2012年 02月 21日 12:51

    30年前とはどういう意味でしょうか。1967年に日比谷その他の都立名門校潰しの学校群制度が導入されましたから、50年前を聞かないとあまり意味がないように思われます。当時は、女子学院もそうだったでしょうが、開成や麻布も優秀な生徒はいましたが、裕福な家庭とか趣味的な進学先で、普通の家庭では都立かせいぜい教育大付属だったように思われます。その頃の東大は一学年全体で女子は50名程度で超エリートでしたが、小生の母校である元府立高女から毎年一、二名は入学していました。今は昔の余計な話でした。

  7. 【2439425】 投稿者: 通りすがり  (ID:30Cq25f0KCA) 投稿日時:2012年 02月 21日 23:31

    30年前のJGといえば、東大合格者数がそれまでの数名から2ケタの大台に乗せてくる節目の時期に当たりますね。ちなみに50年前ですと、東大合格者数は0~3名を行ったり来たりの時代でした。

  8. 【2439711】 投稿者: バラード  (ID:i1G1gw3/By2) 投稿日時:2012年 02月 22日 08:44

     私が感じる女子学院について、学院およびOG、在校生と保護者
     それとこれから受験する受験生ご家庭、興味を持っている人
     と、それぞれにかなりの温度差があって、どうしても
     他校と、偏差値だの進学実績や入試、あるいは教育カリキュラム
     の比較などに違和感があります。
     
     これは、おそらく、学校自体の「他と違うことの個性」を活かす
     という大前提の一つの教育方針があるからかなと思います。
     
     学校側という言い方はちょっと変かもしれませんが
     大学進学実績、偏差値、塾の教育あるいは御三家なるものに
     ほとんど無関心で、東大に何人入ろうが入るまいが関係ない
     というイメージです。
     ただし、生徒一人ひとりの個性を活かしてどのように
     自分で進路を選んで、何を持って他者や社会に尽くしていくか
     という教育は一貫して行われていると思います。
     
     今では進学者は少ないですが、かつての高等教育部門であった
     東京女子大、あるいは、青山学院や明治学院とは、キリスト教
     つながりで、連携はあると思いますが、どこの大学めざして
     という雰囲気は少なくても学校側にはないと思います。
      このあたりは、30年前も50年前もあるいは戦前も
     変わっていないのではないかと思います。

     とはいえ、在校生や保護者、あるいは中学受験生家庭では、やはり
     進学実績推移なり、偏差値など気にはなることと思いますが。

     もし、このようなことを学校に期待するとしたら、かなりの
     間違いの部分があるような気がしまして、一意見を述べさせて
     いただきました。 

あわせてチェックしたい関連掲示板

このスレッドには書き込めません

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す