入学後の不安が安心へ明誠の宿泊研修
今の都立武蔵が有るのは、故石原慎太郎の都立高校改革のおかげです。
今の都立武蔵が有るのは、故石原慎太郎の都立高校改革のおかげです。
改革前の都立武蔵は次の様にあまり宜しくありませんでした。
・教師は教科書をテキトーにしかやらず、授業の中身は薄く、生活指導もしません。
TVのバラエティ番組の雑談等をよくやっていました。
また、生徒を偏った思想で洗脳していました。
・受験指導や補修授業はやらず、授業の無い3年の2月に担任の教師は
「君達の分まで滑って来るから!」と言ってスキーに行ってしまいました。
そして、税金から給料を貰っていました。
(自由な校風≒放任主義≒手抜き?)
・遊び目的で入学して来る生徒が多く、ガラが悪く、攻撃的で、
生徒をヒマにさせていることもあり、イジメが多かったです。
温厚な性格だとイジメの標的になりました。
勉強しないことを肯定する校風で、同調圧力的な見えない校則が有りました。
生徒の成績は下がり、浪人が多かったです(二浪も多い?)。
・都立武蔵の校風が嫌で、都立武蔵を蹴ってマーチの付属校に行く人や、
学力は有るのに武蔵野北(当時は新設校で規律が良かった)に行く人もいました。
>武蔵野北(当時は新設校で
武蔵野北高校は1978年創立。
是枝裕和監督が都立武蔵に入学したのも多分1978年。
高校の授業がつまらなくて授業中に小説を書き始め、小説家になろうと早稲田大学第一文学部に進学し、映画に目覚めて監督になった方。
当時の都立武蔵が勉強熱心な学校だったら、映画監督是枝裕和は誕生しなかったかもよ?
改革前の都立武蔵の生徒は、
是枝監督が作る様なタイプの映画を「暗い!」と言って嫌っていました。
また、是枝監督は「弱者」をテーマにした映画を多く作っていますが、
改革前の都立武蔵の生徒は自己主張が強くて攻撃的な人が多く、
西高の様な個人主義的で多様性を認める校風でもないため、
温厚な弱者はイジメの標的にされました。
そして、是枝監督も浪人しました。
>西高の様な個人主義的で多様性を認める校風でもないため、
いえ、改革前の都立武蔵こそ、個人主義的で多様性を認める校風でしたよ。
勉強面でも、先生にはきちんとした授業をするかしないかの自由があり、生徒にもきちんと勉強するかしないかの自由があるような。
いじめはゼロではなかったでしょうが、自己主張が強く攻撃的な人よりものんびり者の方が多く、そのため浪人する人が多かったのだと思います。
ちなみに当時の早稲田大学は7割が浪人生でしたから、浪人して入学するのが普通の大学でした。
西高は、どんな人にも居場所が有る多様性を尊重した校風ですが、
改革前の都立武蔵は、同じ多摩地区の都立国立高校に校風が似ていて、
「お祭り学校」の雰囲気に合わせないといけないので、
個人主義的で多様性を認める校風ではありませんでした。
先生に、きちんとした授業をするかしないかの自由有るのか分かりませんが、
授業は通り一遍おざなりな感じで、宿題無く、勉強面で生徒をのんびり者にしてしまうため、
入学時より成績が下がり、浪人が多かったです。
そこで、都立高校改革が行われ、成果を出しました。
「都立高校を改革前に戻して欲しい!」という意見は無い様に思います。






























