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【397865】公文について…思うこと

投稿者: 元・公文教室スタッフ   (ID:wFsLDqiR7SE) 投稿日時:2006年 06月 30日 12:22

何箇所かのスレッドに書き込みをしてきましたが、スレ主となってここに私の書き込みをまとめる事にしました。


2006年06月29日 14:26

【397191】 Re: 公文プリント教材のジレンマ・・


ある公文教室でスタッフ(採点のパート)として働いていましたが、最近辞めました。
理由は・・・公文は子どもの能力を潰してしまうのではないか?という危険性を感じたからです。というより3年間見てきて、やはり間違いないと思いました。自分がそれに手を貸していると思うと、もう勤め続ける事は無理と判断しました。


「標準完成時間」…これが一番やっかい。ゆっくり考えながら取り組む事を許さないシステムになっています。「理解」より先に「できる」ということを優先します。
生徒さんのなかには1日分の問題(100問くらいの計算問題)の3〜4割を常に間違う子もいます。正しく計算するということより、時間内に終わらせる事を優先するため、何も考えないでただひたすら終わらせる事だけに集中しているようです。間違えた問題の訂正には膨大な時間がかかります。無駄なエネルギーの消費をしているように感じます。


要するに「できれば」先へ進む。決して「理解」はしていない。理解していないのにどんどん先に進んでいくって恐ろしい事だと思います。親も子も、その辺のところに全く気がつかないで、無意味な優越感にひたっている。



公文教育の問題点について書かれている本が出ていますので、公文をはじめようという方は一度読んで見たほうが良いと思います。
「危ない公文式早期教育」保坂展人
「公文式“プリント狂”時代の終わり」平井 雷太
ひとつの教育法に対して、このように強烈に批判する本が出ているのです。
アマゾンで検索してみてください。

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「小学校 低学年に戻る」

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  1. 【400435】 投稿者: サバンナ  (ID:AA8tiQ1PRZk) 投稿日時:2006年 07月 04日 11:26

    「元・公文教室スタッフ」改めサバンナです。


    花火さんよりご指摘がありました。

    >前の議論は終わっておりません


    私の書き方がわかりにくかったですね。すみません。
    「公文に代表されるような反復計算の積み重ねによって、考える力がつくのかどうか?」
    についての議論はまだ続いています。それについて次は「脳の活性化」という側面から考えてみましょうと提案したのです。


    単純計算(スラスラ計算するレベルの問題)で脳がいわゆる「活性化した」状態になるのは確認されています。
    果たしてそれが学力アップに結びつくのか?考える学習をしているときの脳の状態は?
    そういった観点から考えてみたいと思っています。
    私の意見は次の「家庭学習のようす」でお話しますね。

  2. 【400465】 投稿者: 塾の先生  (ID:6p6ubaMqGRk) 投稿日時:2006年 07月 04日 12:19

    やはりコメントをした限りは説明責任を果たさなくてはいけないと思い、再び書き込みます。


    >言いすぎでしたらすみません さん


    >1日の計算問題の適正問題数が2問程度でよいなら
    学校で落ちこぼれる子はいないかな・・と思うのは私だけでしょうか。


    適正問題数だけではありません。
    内容が大切です。
    漠然と作戦もなく2題こなしてもだめでしょう。


    私の手法をご紹介します。
    すでに習った計算は手順の暗記に頼ってもはや考えようとはしませんので、今現在習っている計算のすぐ先のもの、


    例えば、


    九九を習った後、九九の問題をさせればさせるほど
    頭を使わず反射的に答を出すだけで、私に言わせれば解かせるのは時間の無駄です。こうした類の問題は、問題をさせればさせるほど、かけ算の意味がどこか遠くの彼方に飛んでいってしまうのです。
    (九九を覚えないほうがいいと、最近は考えています。この問題に関しましては、あるブログ上に「九九神話の崩壊」というタイトルで記事が描かれていますので、興味のおありの方はお読みになってみるといいと思います)



    それを防ぐためには、まだ習っていない計算問題が一番です。


    まだ習ったことのない計算問題は、考える計算問題に変身します。



    九九を習った後であれば、


    6×15とかがいいですね。


    ただここで、注意しなくてはいけないのは、解き方を絶対に教えてはいけないこと。


    6×15を出しておいて、筆算の仕方を教えるとこれまた、手順の暗記学習に逆戻りです。


    解き方を知らずに、習ったことのない計算問題を解くから、頭を使うことになるのです。


    もちろん、6×15の意味をもし忘れていたら、教えます。


    まずは「2×3は?」「2のかたまりが3つあるということ」


    「図に描いてみよう!」


    ○○○
    ○○○


    「全部で6個だね」


    そうしたやりとりから、かけ算の意味を思い出すはずです。


    「6×15は」「6のかたまりが15個あるということ」
    を認識させ、後は図に描かせるだけです。


    ○○○○○○○○○○○○○○○
    ○○○○○○○○○○○○○○○
    ○○○○○○○○○○○○○○○
    ○○○○○○○○○○○○○○○
    ○○○○○○○○○○○○○○○
    ○○○○○○○○○○○○○○○


    はじめのうちはこれをひとつひとつ数えます。
    (この時、いらいらされるでしょうが、楽になる数え方を教えてはいけません。本人が見つけないと意味がないのです。クイズでも何でも、本気になって考えている子はヒントをもらおうとしませんね。あれと同じです。子どもは自分の力だけで解きたいと思うものなのです)


    このように描いていけば、


    これを数えているうちに、
    ある時、次のように区切れば
    簡単に数えることができることに気づきます。


    ○○○○○○○○○○●●●●●
    ○○○○○○○○○○●●●●●
    ○○○○○○○○○○●●●●●
    ○○○○○○○○○○●●●●●
    ○○○○○○○○○○●●●●●
    ○○○○○○○○○○●●●●●


    6×10と6×5を合わせれば、答が楽にでることに気づきます。
    この発見が実は次の単元の予習になっているのです。


    つまり、6×15の筆算のしくみそのものを理解したことになるのです。こうした図解でかけ算を深く知ったお子さんは、後に「2けた×1けた」のかけ算を筆算で習ったときに、手順を覚えるだけということにはなりません。それぞれの手順の計算の意味がイメージとして理解されることになります。


    また、同時に、この気づきは、高学年で習う


    6×15=6×10+6×5の分配法則につながります。
    (用語はのちのち学校で習いますから、この時点ではどうでもいいことです)


    これをたいてい学校では


    ○×(△+□)=○×△+○×□というような
    奇っ怪な公式を使って習いますから、
    子どもたちにとっては不評なところです。
    毎年、わけがわからんと悩いる子どもたちが山のようにいるはずです。


    また、
    ○の部分を数えるときに、
    はじめは
    6×10「6が10個」の意識で見ていたのが
    90°回転させて、
    ○は10をひとかたまりに数えて
    それが6こあるから、10×6=60
    6×10=10×6
    交換法則の発見です。


    もしかして、時間が経っていけば、
    次のように区切るかもしれません。



    ●●●●●○○○○○●●●●●
    ●●●●●○○○○○●●●●●
    ●●●●●○○○○○●●●●●
    ●●●●●○○○○○●●●●●
    ●●●●●○○○○○●●●●●
    ●●●●●○○○○○●●●●●



    そうなると、
    6×15=6×5+6×5+6×5


    つまり、


    6×15を見た瞬間、30の固まりが3つあるぞと
    思えて、すぐに答が90と出るようになるのです。
    (別に答をすぐ出すのがいいわけではありませんが…。
    いろいろな見方ができることがいいのです)


    今、例をあげたような深い問題であれば
    1日1問でも十分だとお分かり頂けると思います。
    たくさんやると上記のような深い見方を獲得しようと
    思ったら、速算と称して、だれかに教わらなくてはならないでしょう。


    これまで1日2問と言ったのは、
    すでに習った問題を2題比較しながらということだとお考えください。



    このように、


    かけ算に限らず、
    すべての四則計算を図を描いて解かせると、


    計算はある時をさかいに信じられないくらい
    速くなります。


    だけど、じっくりとその時を「待つ」という覚悟が親の方にないとだめですよ。


    いつぐらい待てばいいのでしょう?


    という声が聞こえてきそうです。


    人間は機械ではありませんから、そんなものはありません。個人個人によってちがうとしかいいようがありません。


    >卒業母さん


    >なぜ公文をやらせることが、遊べないことになるのか、という点です。


    遊べないということではありません。幼児期は寝て食べる以外の時間はすべて遊びについやすのが当然と思っていますから、その時間が削られてしまって残念だなあということです。遊べば遊ぶほど、工夫することを学びますから。できれば外で友達と○○ごっこのようなものは最高ですね。



    >リズムさん


    >問題は小3の長子なのですが、(どちらの兄弟もこんな感じかもしれませんが)受動的で大人から見た所謂いい子ちゃんです。
    こういう子は外で思いっきり遊ぶことをしません。かといって家の中で何かに夢中になることもないのです。
    お友達とのお付き合いも無難にこなし、先生から出された課題(宿題も含め)について誠実にこなします。
    ただ、無難にこなしすぎて集中することがあまりないのです。
    計算は好きです。単純な作業を黙々とこなすことも苦痛を感じないようです。
    これを短所とみるか長所とみるか…。


    短所と見るか長所と見るかは見る視点で異なってくると思います。だから、どちらともいいがたいです。


    が、


    これまでおそらく勉強するおもしろさ(発見する面白さと言い換えてもいいです)というものを体験してこなかったようです。これからの学力の伸びはあまり大きく期待できそうにありません。もしこのままいけばの話ですが…。


    私が知る限り、かなりできるお子さんはほとんど例外なく「計算はきらい」です。何も考えることなくすらすらできる問題をなんでやらなくてはいけないのかと疑問を大きく感じるようです。それよりも、う〜んと時間のかかる難しい問題を好みます。


    どうすればいいか。ですね。


    もし私が親の立場だったら、即刻学校の先生のお話しして、計算ドリルなどの単純作業の宿題は免除をお願いします。


    計算問題は上記の私がやっている方法でやるのもいいですし、


    あと計算問題だけでなく、他のも欲しいところですね。


    そして、その代わりに、うんと考えそうな問題をさせてみるといいと思います。過去算数オリンピックに出題された比較的簡単な問題でもいいでしょうし、どんぐり倶楽部さんの文章題もいいかもしれませんね。パズルなども取り入れるのもいいかもしれませんよ。宮本哲也氏の本などを検索されてみてはどうでしょう。


    とにかくいろいろ試してみましょう。


    コツは結果を求めないです。


    楽しんでやっていくうちに自ずから結果はついてくるものです。


    そのためには、もしかして、お母さんが一番の正念場かもしれません。


    >サバンナさん

    >単純計算(スラスラ計算するレベルの問題)で脳がいわゆる「活性化した」状態になるのは確認されています。

    確かに血流量が増えているのは確認されていますが、そのことが本当に子どもの脳にとっていいかどうかは、まだまだ仮説の段階です。川島教授のご専門は「学習療法」といってお年寄りの痴呆状態を改善する研究だとお聞きしています。お年寄りの痴呆患者さんにいいからといって、子どもにもいいというのは、論理の飛躍だと思います。その証拠に、このことに関しては川島教授以外の脳の専門家は沈黙を保ったままです。それは、「まだよくわからない」からなのです。


    最後に、脳科学についてこれから意見も出てくるでしょうから、
    みなさん、次のサイトも是非参考にしてみてください。


    <科学の先端にある脳科学者の古風な教育観を批判する>
     http://www.lekton.co.jp/news/index2.html


    <>内の後をそのまま丸ごと検索エンジンにかけてもすぐにヒットします。


    ※この欄でコメントした説明責任を感じて書き込みをしましたが、現在夏期講習前ということもあり、テキストの作成等などにも追われている身です。質問に対してはできるだけ、お答えしていきたいとは思っています(時間が取れるかどうかわかりませんが…)が、なるべくこれまで書いたことをじっくりお読み頂けるとかなりのことがおわかりいただけるのではないかと思っております。m(_ _)m

  3. 【400484】 投稿者: 脳のはなし  (ID:oIUQZOfjG3o) 投稿日時:2006年 07月 04日 12:39

    わが家は年長から公文をやらせて1年強になります。
    実は、同じようなレベルの計算や音読の繰り返しの有効性について疑問をおぼえ、ちょっと周辺の本を読んでみました。

    「単純な計算や音読で脳が活性化する。」
    「繰り返しによって知識は脳に定着する。」
    by 川島教授

    「100マス計算等の繰り返しで子供のIQがどんどん上がっていった。」
    by 陰山氏

    「数学オリンピックの入賞者には幼児から低学年の間に公文をやっていた者が多い。」
    「数感を身につけるには低学年までの間に徹底して暗算能力を身につけさせるとよい。」
    by 栗田氏

    これらを読んで、とりあえず安心して続けていますが、確信がある訳ではありません。
    反対のご意見も、参考になります。

  4. 【400486】 投稿者: もう一人の塾講師  (ID:VuS5ujSA7CY) 投稿日時:2006年 07月 04日 12:49

    はじめまして。−塾の先生−さんと同じく、私も塾の講師です。小学生〜高校生まで見ています。


    計算力と文章題を解く力,計算力と考える力、このテーマの論争はあたこちの掲示板で見てきました。公文経験者の子が入塾してくると私だけでなく、多くの塾は身構えます。何故か? −塾の先生−さんが指摘する症状を持つ子がほとんどだからです。


    考え方がとにかく機械的。数量感覚がない。概数の観点から計算結果を点検できない。


    「計算力と考える力とは別物だ!」というご意見がかなりありました。このようなご意見にはうんざりします。計算とは数量を組み合わせる能力です。数量感覚を伴わずに数字を組み合わせてあれこれし、これが正解だと覚えることは、本来の計算能力を阻害することに他なりません。


    −塾の先生−さんが出された事例でいえば、2.79×4.8=という問題。機械的反復計算での教え方からすればほとんどが「279×48」を計算し、「はい、小数点以下の数字は2.79で2つ,4.8で1つだから、末尾から3つのところに小数点を付けましょうね」となります。これを覚え込ませ、機械的に作業が出来るまで訓練しますよね。このような問題が大量に続けば、注意力は持続せず所々で小数点以下の数字の個数を数え間違いした答えが出てきます。


    「はい、あなたは○○個ミスしました。ミスをしないようにもっと注意しましょうね!」、通常はこれで終わり、ミスとか注意力のせいにされます。でも、本当にそうでしょうか?


    私はこのようなことについては「ミスではない。計算の意味がわかっていないのだ。数量感覚がないのだ。」と言っています。私自身がこのような計算で「小数点以下の数字がいくつあるか?」なんてことは問題にしないで計算していますから。279×48を計算し、「さてどこに小数点をつけるか」の段になって、「これは約3×5の計算だから、15前後になるところに小数点を打つ」で処理しています。この方が疲れない。で、その理屈は・・・となると、−塾の先生−さんがおっしゃるようになります。


    小学校低学年のうちは数量感覚というものが発達していません。5という数字、この大きさを認識するのは子どもにとってじつはたいへん難しいことです。5個とか5cmとか5杯ならわかりやすい。でも5リットルとか5kmとなると、もう難しい。ただの「5」を認識するのはもっと難しい。このような段階で大量の機械的反復練習をしても、結局は何も残らないのです。抽象的操作ができるようになるには、それが可能になるまで具体物でのたくさんの経験をつんでおいたほうがいい。それが遊びの中からの学びであり、デスク学習なら良質の文章題の中での計算です。


    小学生低学年や高学年で抽象的計算が速くできることを達成したとして、それに何の意味がありましょう? 「自信を持つことができる!」・・・これを持ち続けられれば良いのですが、やがて中学数学,高校数学では意味がわからずにつけてきた「計算能力(?)」などは、木っ端みじんに吹き飛びます。別に計算は必要以上に速くできる必要はない。意味がわかってやっていれば、自然に速くなります。年齢相応の理解力という限界があります。


    それから、塾では教務力ある人材を確保することがとても難しい。塾長の第一の仕事は人材の確保です。公文式教室とて同じはずですが、あれだけ乱立できるということは・・・ということです。


    公文式指導者で自立して(公文プリントを使わずに)英語や数学,国語などをきちんと教えることができる人材はどのくらいいるのでしょう? 私は身近では1人だけ、「この人なら、何も公文プリントを使わずとも子どもの学力を伸ばせる」という方を知っています。子どもの質問には当然的確なアドバイスをしています。でも、ほとんどの教室では○×つけで終わるだけ。場合によっては腕の立つバイト指導者が邪魔者扱いされたケースも知っています。「教室によりけり」というのは本当ですね。


    「計算ができる」ということは本来どのようなことを言うのか? −塾の先生−さんがこの直前の投稿で語ったような状態になることでしょう。数量感覚の自然的発達を無視した無理な進め方、例えば小6で微分計算とか・・・このような子のほとんどが高校生になって潰れていく姿を今までさんざん見てきました。潰れずに順調に進んだ子は、私が見る限り公文にどっぷりは染まらなかった子です。数は少ないですけどね。

  5. 【400523】 投稿者: リズム  (ID:qsn.qeE3V2I) 投稿日時:2006年 07月 04日 13:48

    塾の先生さま
    お忙しいところ、お返事いただきましてありがとうございます。
    小3につきましては、1年、2年とやらなければ出来ないと自宅学習で詰め込みしておりました。
    そのため、激しい先取りはしていないものの計算ダケは速い子になりました。
    ただ、ちょっと難しい問題になると頭がフリーズしてしまうようでした。
    そこでまた問題集を買いに本屋へ、、、。
    ここまでやっても何故出来ないのか?何故考えることが出来ないのか?
    いっそ公文に入れてしまおうか。
    そんな中、いま話題になっているDONGURI倶楽部の問題をやらせてみましたところ、案の定出来ません…が、私の気持ちの中に一つの変化がありました。
    絵を書かせることで何処が理解できないのか、明確になったということです。


    塾の先生さまの仰るとおりこの子は今後あまり伸びない子かもしれません。ただ、本人の従順であることを否定するよりもこの子なりの性格を伸ばしつつ、せめて<勉強は本来クイズみたいに楽しいものなんだよ>それだけは、今後教えていきたいと思っています。


    そうなると結果重視の公文には否定的になってしまいますね〜(中間の立場だったのですが…。)
    計算力と思考力は別物と考えていたのですが、その結果は自分の子供で判断してみることにします。







  6. 【400525】 投稿者: ?  (ID:mtw8YZnlAto) 投稿日時:2006年 07月 04日 13:48

    <科学の先端にある脳科学者の古風な教育観を批判する>
     http://www.lekton.co.jp/news/index2.html



    ■上記サイトより
    >「数学は計算である」という「くもん」の考えがただしくないことは、
    >少しでも数学を学んだことのある人には容易に理解できることである。



    そもそも、誰が「数学は計算である」などと言ったのでしょう。
    『「数学は計算である」という「くもん」の考え』という
    言葉自体がただしくないと思います。いきなりこんな曲解が
    Webサイトにあることで、「宣伝!」っていう印象受けてしまいます。


    http://www.lekton.co.jp/


     ↑↑↑↑↑


    「水道方式」が、「公文式」を批判しているっていう構図。
    どっちも、昔からあって古風な教育観なんだけどね。
    メジャーになりきれない分だけ、新しく見える「水道方式」。
    公文批判だけによって、存在感を示してる印象です。

  7. 【400531】 投稿者: 塾の先生でない親の立場  (ID:SzPWQBY2inU) 投稿日時:2006年 07月 04日 13:54

    > 私が知る限り、かなりできるお子さんはほとんど例外なく「計算はきらい」です。
    > 何も考えることなくすらすらできる問題をなんでやらなくてはいけないのかと疑問を
    > 大きく感じるようです。それよりも、う〜んと時間のかかる難しい問題を好みます。
    > どうすればいいか。ですね。
    > もし私が親の立場だったら、即刻学校の先生のお話しして、計算ドリルなどの
    > 単純作業の宿題は免除をお願いします。


    親の職業が「塾の先生」なら その強引なお願いが通用するのかもしれませんが、
    普通に教育熱心なだけの親なら ただのワガママにしか思われないでしょう。


    中学受験の塾に通っている子供にとって、小学校の算数の宿題は苦痛そのもの。
    受験する子でなくても、簡単すぎると思っている子は多いでしょう。
    その子供たちの親が皆、単純作業の宿題免除を申し出て、それが認められたら、
    クラス運営は成り立たなくなるのではないでしょうか。


    そういう子供たちにとっての学校の宿題は 学力向上のための「勉強」ではなく
    学校の約束事を守るための「試練」だと、私は思います。
    だから、やりたくなくても やらなくてはいけないのだと理解しています。


    先生によっては、授業中、早くできすぎる子供に対して、退屈しないような工夫を
    してくださる方もいます。宿題を 学校でやってもいいと言う先生もいますし、
    以前、うちの子供のクラスでは、「課題が終わった人は 算数のテストプリントを
    自分で作ってみよう」と言われたようで、一番に完成した子のプリントは
    クラス全員に印刷配布もされていました。
    そんなやり方もあると 他の先生にも うまく伝えられたらいいのですが、
    現実問題として、先生の資質や やる気には ばらつきがあり、難しいですね。

  8. 【400569】 投稿者: あの・・  (ID:gLnJnDmTnQo) 投稿日時:2006年 07月 04日 15:01

    もう一人の塾講師 さんへ:
    -------------------------------------------------------

    >
    > 「計算ができる」ということは本来どのようなことを言うのか? −塾の先生−さんがこの直前の投稿で語ったような状態になることでしょう。数量感覚の自然的発達を無視した無理な進め方、例えば小6で微分計算とか・・・このような子のほとんどが高校生になって潰れていく姿を今までさんざん見てきました。潰れずに順調に進んだ子は、私が見る限り公文にどっぷりは染まらなかった子です。数は少ないですけどね。
    >

    基礎を軽視した人たちの考え方にはちょっとうんざりしています。

    思考を重視する問題ができたらかっこいい、苦悶式の問題は単純計算ばかりでかっこ悪いとお考えの人が多いようですが、数学はファッションじゃありません。理想と現実とは違います。


    思考力を重視する問題ばかり解いていると、計算を間違っても「答の出し方がわかっているのだから別によいだろう」と計算を軽視するようになります。

    まず理解ありきという考え方は、弊害があります。

    数学は、先に進むにつれ、どんどんと机上の学問になってきますよ。いくらひらめきや思考力、問題の解き方が即座にわかっても、実際、計算を体で覚えていなくてはどうしようもないです。特に、将来、高等数学に進むと、頭の中でイメージすることなんて限界がでてきます。「式」だらけの世界です。


    いくら数量感覚が発達してても、机上の計算の学問(高等数学)の前には、まったく無力です。

    ひらめき型の人間で、一番最初にとき方がわかっても、計算ができないと答えには到達しません。解くのは一番最後、しかも、計算ミスという結果になりますよ。


    小学生のうちは計算が簡単だからよいのでしょうが、式を机上で自由自在にいじくれる能力がないと後で困ります。


    苦悶式で地道に体で覚えるの大事ですよ。確かに、単純作業の繰り返しで、つまらないかもしれません。

    でも、式を見て感覚的に理解し、自由自在にいじくったりすることを体で覚えるように訓練することは大事だと思います。


    たとえば、小学生で「因数分解」・・・まったく結構なことじゃないですか。






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