女子美の中高大連携授業
しろくまさんにアドバイスを頂きたい人は集まりましょう。パート6
しろくまさま
パート5が容量オーバー気味の様子ですので、新スレを立てさせて頂きます。
出しゃばり、どうかお許しください。
いつもお忙しい中、親身で適切なアドバイスを下さるしろくまさまに
心から感謝申し上げますと共に、今後とも
中学受験に悩む保護者達に御助力下さいますよう
よろしくお願い申し上げます。
相談者の方々に
このスレでの御相談に対するしろくまさまのアドバイスは
外部ブログに掲載されます。
不都合をお感じの方は、その旨明記くださいますよう。
イヌイットさま 外の人さま
とても控え目でいらっしゃいますが、しろくまスレをこっそり支える
善意の協力者でいらっしゃると思っております。
いつもありがとうございます。
しろくま様
まだ現役ですか。もしくはまだ浜に忠誠心がおありですか。スルーされてしまいましたね。
危険信号を見落とした親が悪いので、しょうがないですね。子供には申し訳ない事をしてしまいました。
では皆さんさようなら。
咲夜さまへ、様
励ましのお言葉、ありがとうございます。
思わず、涙ぐんでしまいました。
けれど、私の書き方は誤解を与えるものだったかも・・・
うちの息子は、研究者タイプではないと思います。
そんな素晴らしいものでなく、どちらかというと、
クイズ研究会みたいなノリの、色んな知識を得ることを
楽しんでるタイプです。
塾が大好きでした。
野球の好きな子が、試合に出るために仲間同士で
励ましあったり、競い合ったりするように、塾漬けの生活を
楽しんでましたし、そういう学生生活を求めての
中学受験でした。
滑り止めに選んだのは、学校が難関国公立に力を入れてくれてる
所がいい、と本人が希望したためです。
個性はつぶしたくありません。でも、正確さ、丁寧さに欠けると
能力を生かしきれない、達成感を味わわせてやれない・・・。
本人もずっと言われ続けてたことだけに、いやというほど
わかってはいるのです。その故に選んだのだとおもいます。
(冬に入ってから、集中すればするほど、難題は解けるのに
基本的な問題でミスがでました。本人も歯がゆかったと思います。)
咲夜さまへ、様が書いてくださったように
息子を信じて見守るしかないのに、
どうサポートしていいか、フォローしてあげられるか
オロオロしている自分が情けないです。
しろくまさんは、よほどの事が無い限り順番にお答えしています。
感想さんの前の方への返答がされていないのに、スルーというのは余りに独りよがりではないでしょうか?
受験に向く子・向かない子であれば
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?104,1175545,page=7
にしろくまさんの見解は書かれていると思います。
「我が家の方針」さま
神女は、お母さまの母校なんですね。
兵庫県の女子校は、長い伝統があるところが多く、現在では親子三代で神女、な~んて方もおられることでしょう。
中学受験は、あくまでも通過点、というお考え方もたいへんよいですね。
しろくまは、こんなことを申し上げると、不謹慎だ、と、思われるかもですが、「お勉強」は「遊び」と同じ、とまでは言い切りませんが、「ゆとり」であると考えています。
遊びほうけて夜おそくまで、ということが感心できぬのと同様、夜遅くまでお勉強ばかり、というのも感心はいたしません。
でも、勉強もやり始めたら楽しい、おもしろい、という子も実際にはおります。本人に苦痛がなく、楽しいのならば、たくさん勉強させてやってほしいな、と、思います。
お話しになられている「計画」というので、とくに何もおかしいことはないと思いますよ。ただ、一言つけくわえさせていただくならば、今後「計画」に縛られすぎないようにご注意いただければよいと思います。
算数は、計算練習もむろん大切ですが、「考える」時間をたっぷりとって、じっくり考える、という曜日や時限をつくってやってほしいですね。語句なども、できるだけ「使える」ように、かんたんな作文練習などを通じた語句学習、というのを是非、お試しくださぃ。
漢字も、ようするに入試までに「小学配当漢字」が頭に入っていればよいのですから、先走らず、1つの漢字に関して、熟語への発展、部首、音読み・訓読みなど、じっくり向き合ってほしいところです。
歴史や科学系のマンガは、昔からありますよね。「予習」という堅苦しさを抜きにして、幅広い知識の定着をするおつもりで気軽に楽しむように読んでくれたらうれしいです。
なんだか「必須」という言葉が出てきていますが、発達段階やお子さんのキャラクターなどによって「臨機応変」に対応してやってくださいね。
しろくまの時代は、小5から受験勉強を始めるご家庭が多かったと思います。
模試などは、どこか中学受験をされる場合は、全体的な「位置」、男女別の「位置」、志望校内の「位置」を確認するための「ものさし」にはなりますから、小5からどこか志望校に実績数が多い塾の模試などを受けられてもよいとは思います。
ただ、小5の段階は、あくまでも、「苦手な教科」「学習の抜け」を発見すること、大人数の中で(ふだんの雰囲気とはちがう環境の中で)試験を経験しておく、という利点が享受できればよいと思います。
ですから、小5の段階では、毎週など受ける必要はありません(むろん受けてもよいですが)。夏休み前や冬休み前(季節講習受講者が受ける場合があるので母数が増えるので)の二回くらいで十分です。
お子さんの力を引き出す「魔法の鍵」はほんとうにいろいろで、鍵穴に合わなくては、どんな立派な鍵も役に立ちません。
家庭教師向けの子もいますし、塾の対面式の講義が向いている子もいます。同じ塾でも競争原理が働くと萎縮してしまってのびのび勉強できない子もいます。まだ小1ですから、海のものとも山のものともわからないところ… 「かくあるべし」と思いこまれることなく、いろいろ「お試し」して探すのもよいですよ。
いまどき、見学できない塾はないでしょうし、家庭教師も春休みだけ、みたいな期間限定使用もできる場合があります。個別の塾なども、しろくまの時代とは「質」を変えて多数設立されているようですし…
通過点としてとらえて、無理はしない… その過程をよくみられて、この子はまだまだいける、本人もやりたい、と言えばアクセルをふんでやればよいですしね。
じっくり、また楽しく勉強に取り組ませてやってくださいな。こんな感じでどうでしょうか。
「咲夜」さま
「咲夜様へ」さまの、すばらしいアドバイス、お話には、しろくまも圧倒されました。余計な付け足しにしかならないことを承知でいろいろお話しさせてもらいますね。
お子さんの本来持たれている才能や、可能性と、あるいは個性と、中学入試(あるいは高校入試も大学入試)は、あまり関係がありません。
何年経っても、入学試験というのは、
一定の時間内で
二次元の紙に表記された問題を読み
筆記用具を用いて、二次元の解答欄に答えを記入し
その記入された解答と、模範解答を照合し
模範解答と合致していない解答を不正解として採点し
得点化して順位をつけ
学校が必要としている定員数までを合格と称して入学させる
というシステムに変化はありません。
一定の時間内にできなかった 不合格の可能性が高くなります
問題文が読めなかった 不合格の可能性が高くなります
解答欄に答えが書けなかった 不合格の可能性が高くなります
間違った答えを記入した 不合格の可能性が高くなります
得点化された順位が定員数より下となった 不合格の可能性が高くなります(定員より多く合格者を出す場合があるので)
これらを総合的に満たしたものが合格者です。
才能や可能性を開くための「場」が、まぁ、教育機関であるとしましょう(その場は教育機関ではないときもあると思うのですが)、その「場」に入るための「方便」が入試で、塾などは、その「方便」を提供している組織にすぎません。
すべては、次の、まぁ具体的には中学、という「場」でどうやっていくか、ということです。
前に「悪しき合格者は失敗者」「良き不合格者は成功者」と申しました。合格したからよかった、とは限らず、不合格だからだめ、とはかぎらないのが「次のステージの世界」です。
合格=成功、不合格=失敗、というのは、入試がすんだ直後の時間軸のある一点の評価にすぎません。
頼朝は石橋山の戦いであやうく囚われの身となるところでした。
信長も金ヶ崎であやうく浅井・朝倉に包囲殲滅されるところでした。
秀吉も上杉攻めで敵前逃亡し、謹慎させられてあやうく切腹させられるところでした。
家康も三方原の戦いで、武田軍の追撃にあい、あやうく敗死するところでした。
みな「一断面の失敗」で、そのときの後悔はきっと深かったことでしょう。
お子さんの「自己調整能力」を信じてやりましょう!
「そこへ行って心機一転がんばる!」
と、本人は、おっしゃられたのでしょう? 入試を通じて(受験勉強を通じて)、以前の自分は「一転」しなくてはならないものだったと悟られたのです。すなわちそれが成長というもの。
前のお子さんと、今のお子さんは別人ですよ。
「覚悟の上や! 勉強させてくれる学校がよい!」
と、本人は、おっしゃられたのでしょう? 入試を通じて(受験勉強を通じて)、以前の自分に足りなかったこと、なかったことに気がつかれたのです。以前と違うことを決心したからこそ、それを「覚悟」と言い、自分の甘いところがあったからこそ厳しさを求めることをのぞまれたのでしょう。すなわちそれが成長というもの。
前のお子さんと、今のお子さんは別人ですよ。
自分に欠けたるところに気が付いたからこそ、それを埋めようとする…
「良き不合格」とする第一歩だと思うのですがどうでしょう?
「南山の竹」の話を思い出しました。
南山の竹は、それだけで強く、鉄の盾をも貫くという
ほんとうに力あるものは、何もしなくても強いのだっ
という主張に対して、孔子は答えました。
では、その南山の竹を磨いて、鏃をつけ、羽根をつければただ鉄の盾を貫くだけではすまぬであろう。
本人の個性を損なわずしてなお、「丁寧さと正確さ」を身につければ、それこそ大成功でしょう。今回、そういう機会が得られたとお考えくださいな。
しろくまが、以前に第二志望校は、あえて第一志望校(本人にぴったり合う学校)とは違う性格の学校を選択されたほうがよいですよ、と、申し上げたのは、この矛盾の整合、止揚を可能とする「良き不合格」とできるからでもあるんです。
一断面の失敗… 「が、しかし」を続ける第一歩をお子さんはちゃんと踏み出されておられますよ。
「感想」さま
お返事が遅れてたいへん申し訳ありませんでした。
もう20数年前にギョーカイを離れております。
浜への忠誠心、ですか…
誤解されても、仕方がない話をしてきたのかもしれません。先日もご批判をたまわりましたから… ほんとうに、しろくまにはそんなつもりはないのですよ。昔話そのものは、どうしても自分のいた塾でのお話になりますし、講師を経験したことで得た知識しかありません。
忠誠心、という言葉をお使いになられたことに、すごく驚きました。あ、けっして怒っているとか不快に思っている、なんてことではなく、塾と講師の関係というのを主従関係のように思われているのかなぁ、と、ふと思ったもので…
「○○」塾に向いていない、あるいは向いている、という説明にしろくまは違和感をおぼえております。
能力別クラス編成
通常の講義
志望校別特訓
模試
学習計画表とそれに基づく日々の小テスト
たいていの大手の塾は、名称が違うだけで、ほぼこのシステムで成り立っていると思うのです。「名称」に対して、しろくまは向き不向きは無いと考えています。
能力別クラス編成に向いていない子、おりますよ。順位をつけられておいたてられる意識を持つと、どうしてもクラスをあげるための勉強、クラスが落ちないための勉強にとらわれてしまいます。競争が苦手な子はこのシステムに適しません。
通常の講義では、どこの学校にでも通用する7割の学習がめざされています。一回の講義がすめば、次の週はその範囲からのテスト… ところが毎回のテストで点数をとることにとらわれると、とにかくおぼえたらよい、前日につめこんでやる… 日々の学習を持続的にできない子はこのシステムに適していません。
志望校別特訓では、ある特定の志望校に特徴的な3割の学習がめざされています。そこで得点がとれないと、志望校に落ちてしまうと焦ってしまい、基本を疎かにしてしまう子が出てきてしまいます。志望校合格への強い意志を持てない子はこのシステムに適しません。
模試では、全体の順位はもちろん得点が偏差値化されます。模試を弱点の発見の装置とわりきって、順位や偏差値は参考にし、苦手なところをみつけてしっかりと補う学習をしていく参考とする… それができずに順位と偏差値だけにこだわる子ならばこのシステムに適しません。
では、これらに該当しない子は中学受験に向いていない子なのか… ちがいます。それは、このようなシステムの塾に向いていないというだけで中学受験に適していない子、というわけではないでしょう。
しろくまは、いつも矛盾に苦悩していました。若いときは、「入試に向き不向きってあるよね」と友人たちと話しをしたことがあり、「ナタ」と「カミソリ」の話もしました。
カミソリのような切れ味って中学入試には必要だよね。鈍さは中学入試には適していない。
でもカミソリって、髭は剃れても大木は倒せないよね。刃こぼれしておしまい。
ナタって、刃こぼれしても、少々さびても、大木を切り倒せるよね。そんな鈍さと太さを持ったやつって高校入試向けかも。
でも細かい細工や仕上げる作業には適していないよね。素材そのものを壊す場合もある。
高校入試に向いていて、中学入試に向かないだろうな、という子がいたとします。その子が中学入試をして中学入ってパッとしなくても、その学校で中3になれば、高校生で開花するってこともありえますよね。
高校入試をしたほうがよかった、とは、正直わからない部分でもあります。
また逆に、中学入試に向いていて、高校入試には向かないだろうな、という子がいたとします。そいつは中学入試をして、中でいずれ高校生になるわけですから、ひょっとしたら中3になったら成績が低迷しているかもしれませんよね。
中学入試をしたほうがよかった、とは、正直わからない部分でもあります。
考えれば考えるほど、正直、わからなくなるんですよ… 人って予測不能です。それは一面、可能性という美辞でも語られますが、けっきょくのところ、よき結果を求めて何かを為していく、でもそれが裏目に出ることもある… 結果でプロセスを語るのはだめだ、といわれても、結果の出ない努力は徒労だ、と言われると、それも一理あると思ってしまう…
だから、いえることは、子どもはその都度変化する生き物で、その都度適したことを見つけてやって、その都度適した対応をしていかないといけない、ということなんですよ。
○○に向いている、××に向いていない、が、ずーーーと同じ、一本調子で同じってありえないと思うんです。
ヘーゲルではないですが、「動くものは、動く手でしかつかまえられない」ということです。
どうか、お子さんを「壊した」とお考えにならないでくださいな。
なんだか支離滅裂な話を垂れ流してしまいました。ごめんなさい。




































