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【4118132】80年代、三大女子大生という学歴

投稿者: あらふぃふ   (ID:vLCLvdIZvPk) 投稿日時:2016年 05月 20日 14:21

青学、立教と似たようなスレがありましたので、私も書き込みしてみました。

タイトルの通りです。
当時としては、津田塾・東京女子大・日本女子大は人気があり、それなりのレベルもあったと思うのですが。
今や別の大学かと思うほど、その凋落ぶりは悲しいものがあります。

息子に、昔はよかったのよ~と言っても信じてもらえません。
それとも、自分の勘違いだったのかとも思えてきました。

皆さまのイメージを教えてください。
(そんなこと聞いてどうするの、今更・それはそうなのですがお許しください)

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  1. 【6273537】 投稿者: でもでも  (ID:QXNFIY7K.iM) 投稿日時:2021年 03月 24日 15:04

    公認会計士や弁護士も、いますね。
    (翻訳や通訳は、家族を養える程稼げないから含めません。)

    皆さん頭がよろしくて、羨ましいです。

  2. 【6273628】 投稿者: 人間は過去を美化する生き物  (ID:PEW/AMssv2c) 投稿日時:2021年 03月 24日 16:20

    >それとも自分の勘違いだったのかとも思えてきました。

    それはそのとおり、「勘違い」です。人間はどうしても過去を美化しがちです。「早慶以外の私大は今も昔も大したことが無い」が事実です。

    1980年 私大 偏差値

    このキーワードで検索すると「各種偏差値データ - Index of」がヒットするので、そこから1980年度を開くと受験雑誌のPDFが読めます。
    (PDFなのでおそらく修正・改ざんはされていません)

    そのころから早慶が圧倒的に難しく、それ以外なら上智。それら3校以外は大したことがない数値であることが確認できます。

    女子大が「今よりはマシ」であることは間違いありませんが、1980年代という広い年代でいえば当時すでに立教や明治にも負けていたことがわかります。

    とはいえ「女子大としての格式」「世間の見方」は違っていたと思います。そこは間違いありません。

  3. 【6273641】 投稿者: でもでも  (ID:EI1ACMjbo0s) 投稿日時:2021年 03月 24日 16:37

    私が高校生の時代は、慶應大学は英語ができて経済力があれば慶應ニューヨークルートから入れました。
    今より英語レベル(TOEFLの点数や英検の級の入学基準)は簡単だったのではないですか?

  4. 【6273738】 投稿者: 例外  (ID:PEW/AMssv2c) 投稿日時:2021年 03月 24日 18:09

    >私が高校生の時代は、慶應大学は英語ができて経済力があれば慶應ニューヨークルートから入れました。

    それはあくまでも「例外」の域を出ませんよね。当時の慶応は学部定員600名~800名です。ニューヨークから学部100名入っていれば納得ですが、学部に10名もいなかったのでは。
    小和田雅子さんも東大は帰国子女枠でしたし、それはそういうものでしょう。

    話はそれますが、私からすれば当時ニューヨークで高校生活を送っている高校生は企業や研究者からすれば希少価値のある学生だったと思います。
    ネットも何もない時代、生のニューヨークのティーンズの意識や感覚を知ることができるのですから。
    その意味でも今とは全く価値観がちがいますよね。

  5. 【6273772】 投稿者: 仰せの通り  (ID:daXSGVgTOp.) 投稿日時:2021年 03月 24日 18:42

    >女子大が「今よりはマシ」であることは間違いありませんが、1980年代という広い年代でいえば当時すでに立教や明治にも負けていたことがわかります。

    たしかに、私の記憶でもそうであった。
    もっとも、その事実を以前指摘したところ、当事者からの反発を蒙った。当該女子大における教育内容の質の高さはともかく、難易度では当時すでに女子大の下落現象が始まっていたことに間違いあるまい。

    しかし、それでも多くの優秀なOGの方々の活躍により、それらの女子大学には「よき幻想」が伴い、世間からの好印象が続いた。換言すれば、当該女子大の後輩たちはそうした先輩たちによる恩恵をこれまで享受してこられたのであった―さすがに、その賞味期限も切れたようだがー。

    それは、今でこそイメージチェンジに成功したものの、長らく「学生運動」「男くさい」「汚い」といった昔の印象―ある程度事実ではあったが―に苦しめられた『明治』との大きな相違であるといえる。明治の女子学生諸氏には気の毒な事情であったと思われる。

  6. 【6273833】 投稿者: でもでも  (ID:V98anPgNRxE) 投稿日時:2021年 03月 24日 19:29

    >話はそれますが、私からすれば当時ニューヨークで高校生活を送っている高校生は企業や研究者からすれば希少価値のある学生だったと思います。
    ネットも何もない時代、生のニューヨークのティーンズの意識や感覚を知ることができるのですから。
    その意味でも今とは全く価値観がちがいますよね。

    確かに。あの頃はまだバラエティー番組に出ているような芸能人が海外で暮らし御子息御令嬢をニューヨークの学校に入れる風潮ではなく、外交官や銀行のニューヨーク支店長や一流商社マンの御子息御令嬢ばかりでしたでしょうし、芸能人と言っても坂本龍一さんや矢野顕子さんレベルの有名人の御子息御令嬢が慶應ニューヨークかはわかりませんが海外で暮らしていましたからね。
    今は庶民からも海外が近いですけど。

  7. 【6273840】 投稿者: 懐かしいです  (ID:g1KmASvwH7M) 投稿日時:2021年 03月 24日 19:35

    自分の時は既にバブルは弾けていたので、タバコを吸いながら嫌がらせ質問の圧迫面接はされました
    同世代の人達はもっと酷い目に遭っていたようです
    短大高卒の方が就職はよかったですし、女子大の偏差値の上下動や高学歴の自殺等を何人も目の当たりにしたのでアホらしくて子供達には勉強させないように気をつけながら大学付属に入れちゃいました

  8. 【6273845】 投稿者: でもでも  (ID:V98anPgNRxE) 投稿日時:2021年 03月 24日 19:43

    >自分の時は既にバブルは弾けていたので、タバコを吸いながら嫌がらせ質問の圧迫面接はされました
    同世代の人達はもっと酷い目に遭っていたようです

    大変でしたね。
    私の頃も既にバブルは弾けていましたから、急いで帰国しました。
    夜の街で繰り広げられていたバブリーなアレコレは、まだ中高生だったので主にニュースからです。父達も夜な夜な電話とポケベルが鳴り、仕事(飲み以外の緊急の徹夜仕事もよく入り、その度に家族皆が目を覚ます)に飲みに呼び出されていましたし。

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