在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
「シルバースプーン」さんの、
【1967226】【1967227】
すばらしい。
「視点」氏が、仕込んでいたみたい。
ひょっとして、これまでのは、このための、
ネタふりだったのですか?
一人二役で、これを成し遂げたのかと思うぐらい、
見事なできばえでした。
>東大元総長の小宮山さんは、東大に入ることだけが目的だったために、
>入学後無気力になってしまう学生がいることが大問題だと言われています。
>小学生から東大や医学部合格を目指して突っ走る。それで合格と同時に燃え尽きるわけです。
ちなみに現総長の濱田さんは中学受験時代は「特に何も考えないで、「がんばって東大に行くものだ」と思って勉強してました。」と言ってますね。
ちなみに彼は灘中・灘高・東大です。
中学受験の悪い面ばかりピックアップして書き連ね、それが全てであるような書き方をされるのってどうなんでしょうね。
皆様新年おめでとうございます
知的頭脳集団を目指すならさん
年末の問いかけに対するものです。
A1 No
A2 No
Q1に関して:「絶対的に価値が高い人生の(最終)目標」は「幸せになりたい・人の役に立ちたい・何かを極めて満足したい・・・」など概ね感情表現で表されるようなもので、「一つのことに優れること」は目標そのものではなく、目標に達するまでの過程(あるいは手段)の1つの在り方として位置するものと考えます。従いまして、NOです。
その「1つの在り方」を追求し始めるのが中高生時期であっても不自然ではないと思います。中高生自らがそれを感じて能動的に行動する場合にはあえてそれを制止する必要もないと思いますが、他者が恣意的にそうさせるのは不自然なことのように思います(①)。ただし、当該中高生が潜在的に持っているポテンシャルを他者が上手く引き出す結果として当人が極自然な形で才能を発揮する場合(②)は例外のように思います。しかし、①と②の微妙な違いについては、かく言う私も、釈然としません。
Q2に関して:「専門家になりたい、専門を極めたいひとばかりなのでしょうか?そしてそれを目指して若い世代を教育すべきなのでしょうか?」
まずは、この「専門家」の程度を明記したいと思います。
「専門家」=「1つのことに極めて優れている人」=「各界の第一人者相当」とします。
Noとする理由です。
それなりの数の中高生がそれを「願」っているとは思います。しかし、その「数」がそのまま大学学部・院に進んで、「願」をかなえるために(「専門を学ぶため」)に全力を尽くしていないのが現状です。この時点で「専門家になりたい、専門を極めたいひとばかり」から相当数の否定ができます。さらに、「願」の有る無しとは別に、「能力」を無視することができないのも事実であり、「願」のみでこの件を考察するのは難しいと思います。
「専門家」=「1つのことに極めて優れている人」=「各界の第一人者相当」というシナリオで考える場合、上記②を除いて、若い世代に対しそのような教育を恣意的にすることは不自然ですし大きな困難を伴います(と思います)。
このこととは別のこととして、大学・大学院というところは、「専門を追求するためだけの場」でありそれに文字通り全力を尽くす人だけが進学できるところである、という本来のものが崩れています。そのことについて、行く側も迎える側も送り出す側も再認識することはとても大事なことだと思います。若い世代に教育「すべき」ことがあるとすれば、そういうことかもしれません。
(自分の学生時代のすごし方を完全に棚に上げて書いています。新年早々ですから正直に)
大学・大学院というところが「専門を追求するためだけの場」という観点から、例えば数学が極めて 非常に できる生徒が数学をさらに追求することを望んで大学進学を希望するのであれば(この条件部分に議論はあるかと思いますが)、数学だけで大学に進める制度は存在してもいいのではないかと思います。根本的さんが一貫して主張されていることでもございますが。
《昨年12月末 知的さん》
Q1 一芸にすぐれることは、いつも絶対的に価値が高い人生の目標でしょうか。(そして中高生の目標でしょうか)
→ 一芸に優れた専門家がすばらしい、というのは他者からの評価、自分の興味でそうなりたい、の両面が本来あります。
主に、他者からの評価についてですが、かりに優れた、化学者・物理学者、研究者・開発者を目指すとして、一芸に秀でていることはすばらしいですが、それだけでは、難関大学の教授という役職で期待される職務はこなせないか困難があるはずです。足元では研究室のマネジメントがまずありスタッフ・学生の育成・教育計画があり、大学内外のさまざまな会議の対応、予算調整、企画への参画、マスコミや社会への発信など、バランスが必要な業務がある。人並かそれ以上の銅メダル~も色々必要に見えてなりません。好きな研究ができる権利と期待されることを果たす義務、出言えば両方ですね。・・企業であれば、価値を生み出してなんぼ、からのスタートですから、上記のようなことが、当然ながらもっと必要です。「自分に取っての興味・価値」からだけ発想する人は、求められていない人材、でつらいのではないでしょうか。
Q2:一芸に秀でた人がほしいというのは、評価の軸のうち”他者からの評価”の部分がまずもって強いですが、
一方で自分の内面の方で、自分自身はそんなに ”専門家になりたい、専門を極めたいひとばかり”なのでしょうか?
そしてそれを目指して若い世代を教育すべきなのでしょうか。
→ もう一方の評価軸、内面の方の質問です。社会で居所を得るためにそういう行動パターンがあることは理解していますが、自分の側ではどうか。・・本来、個人の興味は、多様な興味の人もいるし、ひとつに集中していく人も両方いる訳でしょう。万能ということはないですから、多様な興味をもつ「普通の人」に大抵はなるわけです。趣味が多い人かもしれない。一芸に秀でた人がより高い評価を得るというのも、限られた世界(例えば学者)のモノサシな気もします。実際には、その両方もあるということで議論すべきかもしれません。わたしは、「普通の人になる」方法を私立中高生で教えても良いのではないかと思っています。社会に居場所があり、期待される価値を生み出すことができることはMUSTですが、だからといって専門だけの人間に大多数がなる必要はかならずしもないと思う。
あけましておめでとうございます♪
帰省の帰りの車の中で、NHKのサンデル教授の白熱教室をずーーと聞いていたら、主人と子供に
「音楽聞きたいんだけど。お母さん、これ何度も見てるよね。」と、大ブーイング。
楽しんでいたのは私だけだったようで。。(笑)
今年もよろしくお願いいたします。




































