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【1934980】私立中学の価値

投稿者: 自然体   (ID:KR1jc1G02kE) 投稿日時:2010年 11月 28日 08:25

この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。


2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝

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  1. 【2013438】 投稿者: 公立は自分で考えるところ(動機)  (ID:RpbX76IHEy2) 投稿日時:2011年 02月 09日 18:31

    あの~・・・・・山中先生の言を信用できない人がいるようですが

    「僕は数学の才能があると思う。力の500題(算数の中学受験用参考書?)をトイレに置いておいて勉強した。自分に解けない問題はないと思っていた。高校で数学物理は大好きで今でもその方面の話が好きで今の人が数独をやるようにどんどん自分でやっていた。高校のときは大学への数学をやった」


    「親が自営でほったらしで、祖父はミシン工場を経営し父の代で小さくなりいつも機械を分解したり組み立てたりして遊んだ。アルコールランプをひっくり返して火がば~と広がったときは母親からえらく叱られた・・・・・・・」


    他に医学部に進んだ理由は何か。どうして臨床から基礎に転向しその後iPS細胞にたどり着いたか率直に述べています。私は学会で数度先生の講演を聞きテレビで立花隆と国谷さんの鼎談を見た印象、また他の本の編集者の後記などから山中先生はとても自然体の人と感じています。


    塾や予備校に通ったのならありのままにそう言うでしょう。 それを疑っている人たちは自分たちの行動様式を山中先生にあてはめて邪推しているんじゃないんですか? 本当に能力のある人は驚くほどイノセントであることを知らないのかな?・・・・・・・・・・・・・・・・。


    多分そういうタイプの人と会ったことがないんでしょうね・・・・・・・・・・・。人生でいい出会いをしていないのかな・・・・・・・もったいない。

  2. 【2013469】 投稿者: 凡才  (ID:XOgbNUlzz52) 投稿日時:2011年 02月 09日 18:57

    私が思うに、どなたかを信じる、信じないと言う事から、自分の信念が出来上がるのではなく、

    自分の信念が最初にあって、同じ意見に同調するのだと思います。

    但し、その事を使って、立証する事は、あまり感心出来ません。

    それならば、受験において、塾の考えを後押しする行為と、同じ様な気がします。

    自分の信念において、何が悪く、何が良く、より良い解決方法を模索する為に、

    引用するだけであれば、わかりますが、証明する為であるのであれば、それは、猿真似と見られても

    しょうが無いのではないでしょうか。

  3. 【2013472】 投稿者: 通りすがりの企業人  (ID:iWLcaAlnC1g) 投稿日時:2011年 02月 09日 18:58

    流れが速すぎて、まったくついていけていません。仕事のほうも沸騰していて時間がとれませんでした。

    動機さま
    ずいぶん前に、私のことを秀吉になぞらえてくださり、お礼を申し上げる前に、何十ページも進んでしましました。
    それから、増川先生と山中先生の面白い本の紹介をありがとうございました。こちらは、時を改めて、感想を書かせていただきます。

    私が秀吉なんてとんでもないです。私の理想は、川端康成の雪国の主人公、島村で、親の資産で無為徒食、金にならない舞踊の研究なんぞしながら(私の場合は音楽かな)、思いついたように雪国の温泉で無為の時間を過ごし、温泉宿で、きわめて魅力的な女性二人に言い寄られ、深い関係になり、ぐちゃぐちゃになり。。。それで、奥さんとも別れもせずちゃんとやっているくさい。

    人間に生まれたからには、こうありたいものです(笑)。

    しかし、もちろんそんな余裕があるはずもなく、一方で、父母も、義父母も、東京山手中産階級だったので、私の代で没落、アウチになった、と言われたくない、できれば子供の代も、というのもちょっとあって、それで、あくせく生きているのかも知れません。

    私と動機さまの理想とする教育は、ずいぶんと近いと感じております。
    違うところは、現在の公立小中、特に中学にどれだけ絶望しているか、というあたり、それから、あるエリート教育をはじめるのは、中学生からか高校生からか、というあたりでしょうか。

  4. 【2013501】 投稿者: 公立は自分で考えるところ(動機)  (ID:RpbX76IHEy2) 投稿日時:2011年 02月 09日 19:13

    人の言を信用するかしないかは・・・・・・・・聞いた人が話し手をどう評価しているかが問われるんですよ。


    ある人物の言うことを信用できる・・・・かもしれない・・・・・ちょっと怪しい・・・・眉唾物だ・・・・・全く信用できない。  と受け手が判断するわけですから受け手の人物鑑識眼が試されるわけです。



    どなたかが書いているように本の内容が全部真実ではなく大げさに言ったり、謙遜したり、読者を喜ばせる脚色もあるかもしれません。編集者の加筆で売れるように改変もあるかもしれませんね。対談のテープを聞いているわけではないのでその辺は分からないし、出版前のゲラで「先生ちょっとこここんな風に書いときました」「ええ?・・・・それは違うんだけど僕は塾に3年間通ったよ。」「先生まあこうしといたほうが売れまっせ」・・・・・なんてあるかもしれませんね。


    受け手次第で本の読み方は様々です。 邪念が入ったらそのように読む人もいるでしょう。こういう埒のあかない話はこれで終わりにしましょう。 時間の無駄ですから。

  5. 【2013534】 投稿者: 視点  (ID:4b.FmqGfp3Q) 投稿日時:2011年 02月 09日 19:43

    高三夏まで部活、塾なし、神戸大学医学部
    自分が理解できないことは信じられないということですね。



    >今の受験は見直すべき、受験勉強で点数は、反復作用暗記の結果。


    今の受験は、並の頭があって時間をかけたら必ずできる。
    逆に、どんなに頭脳が優秀でも、時間をかけないとできない。
    だから私立の頭脳ではなく先取学習がものをいう。


    並の頭があって小学1年から仕込めば灘でも開成でもできるって書き込みに対して、信じられない人がたくさんいましたが、あれは理解できないことではなく、認めたくないことなのでしょうね。

  6. 【2013552】 投稿者: みもふたもないコメンテーター  (ID:QEQPdjnN2ec) 投稿日時:2011年 02月 09日 19:56

    動機さん。

    >山中先生の言を信用できない人がいるようですが
    >多分そういうタイプの人と会ったことがないんでしょうね
    >人生でいい出会いをしていないのかな

    あたくしのこと?

    これから書くことは動機さんが知らないことです。
    彼との出会いのことね。
    でも、特に親しかったわけではありません。

    医学生のころの山中先生(学生時代はヤマナカ君と呼んでいました)・・同じクラスでしたけれど・・・今のように国際的基礎研究者になるようには予想できませんでした。
    医学部に現役で入った3割くらいのひとり。

    ラグビー部で、といっても医学部の運動部でしたから、全学のラグビー部のような激しい活動はしません。
    西医体(医学部を東日本と西日本にわけて、西日本のグループ)に出たけど、強くはなかったと記憶しています。
    ちょっとおちゃめ目なところがあり、教養のころの学園祭で医学部の催しのとき、ちょっとしたいたずらをして笑わせてくれました。
    体育の授業の時にトロかった私を、お茶目ににからかっていました。

    6年間ずっと下宿せずに、ずっと自宅から通っていましたね。
    医学部の授業は、専門に上がるとハードなので、近畿圏の出身者でも医学部のそばに下宿する医学生がいましたけれど。

    彼も真面目は真面目でしたけれど、彼よりもずっと優秀に思われた同級生のほうが有望視されていました。
    もともと、整形外科志望でしたが、たしか母校の当時の整形外科の教授や教室の雰囲気が合わないと言っていて卒業後は残らずに、大阪の国立総合病院の研修医になりました。
    同期生としては整形外科の臨床でばりばりやっていくとばかり思っていました。
    その後の活躍は報道されている通りです。

    去年、医学部の総会で彼が招かれて母校の同窓会館で講演しました。
    ラスカー賞受賞を記念してのものです。
    同期の何人かが集まって、彼のそばで祝福している写真があります。
    同期で他大学の教授になった同級生も招かれていました。
    髪の毛は薄くなったけれども、面影はむかしのまま。
    彼の周囲に集まった同期の連中も、あぁ、そういえば、そんな人たちを一緒に学んだんだと感慨深かったですよ。

    その前に神戸で同期の会があり、彼も出席の予定だったのですが、仕事でキャンセルになりました。
    ちゃん幹事さんには連絡がありましたが。
    同期の間では、次はノーベル賞?と盛り上がっていたので、みんな残念がっていましたよ。

    ま、医師の間ではiPS細胞の臨床応用が確立してからでなければ、ノーベル賞の受賞は難しいだろうと言われています。
    薬のside effectの研究に、細胞レベルでiPSが使えるかもしれないということは彼も話していたような・・・


    動機さん、彼がどういう受験勉強をしたかは、知っている人は知っているけれども、本質的な問題ではないから、あえて公表する必要もありません。


    言えるのは、医学生のころは今の活躍は想像できなかった基礎研究の分野に進まれて、国際的にも認められるようになったのは、大学卒業後の努力があるからです。
    お子さんもお二人おれれます。奥さまは小児科医です。
    母校ではなく、他の病院にでて、大学院も母校以外の大学。そしてアメリカ留学。
    ポジションをどんどんかえて、業績を出していったタイプ。
    そして、アメリカのシステムを称賛していました。
    ポストドクの待遇や、研究資金のこと、メンターのこと。

  7. 【2013561】 投稿者: 視点  (ID:4b.FmqGfp3Q) 投稿日時:2011年 02月 09日 20:01

    それにしても、益川さんも山中さんも、お二人とも家が(あまり儲かってなかった?)自営業というのは面白いですね。
    だから、親は勉強のことはほったらかし。
    でも、塾行ってる子なんかより、親から学ぶことは多かったのだろうな。

  8. 【2013586】 投稿者: みもふたもないコメンテーター  (ID:QEQPdjnN2ec) 投稿日時:2011年 02月 09日 20:15

    視点さん。

    >だから、親は勉強のことはほったらかし

    そのころとは今と時代が違うのよ。

    当時は関西では大阪の公立高校が強力だった時代。
    中高一貫私立が、そろそろ頭角を出してくるかこないかの頃。
    灘校は首都圏では有名でしたでしょ。私立といってもそのくらい。
    西宮の甲陽や京都の洛星は関西でこそ有名私学でしたが、首都圏の知名度はいまひとつ。

    できる子は、大阪ならば北野、天王寺、大手前ような府立高校に行っていました。
    京都なら国立の京都教育大付属。

    昭和48年(1973年)の入試から大阪府立が学区細分化。
    まだまた、公立志向の強かった大阪では分かれた学区の公立校が伸びてきました。
    北野はそれ以降もずっと頑張っているけれど。

    ようするにまだ、中学受験がメジャーにはなっていなくて、高校入試で塾に行けばええやん、公立高校でええやろの時代。
    山中教授もそういう頃に受験勉強してきたのでしょう(大阪教育大付属天王寺校舎はレベル的には大阪府立進学校には及びませんでした)。
    親が放任だったかどうかは微妙です。ご本人とご両親(お父様はなくなられましたけれど)にでも聞いてください、勇気があればね。

    まだ公立高校が強かった時代と、公立の信頼が薄れて私立志向になった時代を比べてもしかたないでしょう。

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