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【5087139】医師と医療、医学部のこれから

投稿者: 豊穣   (ID:gXnBimVl3uI) 投稿日時:2018年 08月 17日 11:19

私の書き込みがもとで駄レスを誘発し、まことにご迷惑をおかけしました。
責任もありますので、避難スレとしてたてました。
排除の論理ではありませんが「事実に基づいて立論する」方が落ち着いて書き込めるようなものであってほしいと願っております。

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  1. 【5093416】 投稿者: 前衛党  (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 23日 19:04

    私は専門である法学の観点から生存権を論じているということをご理解願いたい。他方で、日本が資本主義体制にある以上、そこに本質的限界があることも周知のとおりである。その主たるものは仰せの財政問題である。早稲田の長谷部教授もその部分を指摘しておられる。したがって、その根本的解決は資本主義社会では困難だと指摘した。

    そこで、資本主義社会を前提にしたうえで、あなたが引用されたような私見を述べたものである。すなわち、福祉目的税の創設、あるいは少子化対策としての移民の全面開放。さらに、日米安保体制に伴う不平等極まりない日米地位協定や屈辱的ともいえる米国製武器の言い値・先払いでの買取等の見直しなど。この国の異常な米国従属状態の実態を考慮すれば、この点は重要視してもし過ぎることはないのかもしれない。

    なお、それらについては明田川融『日米地位協定』(みすず書房)、進藤榮一、白井聡『「日米基軸」幻想』(詩想社)などに詳しい。前者は日米安保の実態と地位協定の不可解な米軍厚遇ぶりー沖縄を中心にー、後者は米国に盲従することの過ちを具体的に指摘している。

  2. 【5093421】 投稿者: 社会主義と独裁者  (ID:YE8k5l.ld/Y) 投稿日時:2018年 08月 23日 19:13

    社会主義が独裁主義に進むというより、独裁主義が自己権力の正当化のために社会主義を標榜するのだという見方です。
    革命というよりむしろクーデターなどで権力を得た軍事政権の多くが社会主義を標榜しました。ビルマ軍事政権がそう、エチオピアも、リビアのカダフィも、ヒトラーでさえ「国家社会主義」の名で、資本家を弾圧する政策をとり、初めは労働者が熱狂したのです。国家社会主義がナチズムとして本性を表すのはその後のことです。
    権力を倒して権力を握るには、大義名分が必要です。ところが、いったん権力をつかんだら、その大義名分より権力の保持が重要になります。権力を保持するには、反対派を弾圧しなければなりません。明治維新後数年は、薩長政権に対する反対派が毎年100名以上も死刑になっています。西南戦争まで、日本でも徹底的な弾圧処刑が行われたのです。日本も大正デモクラシーの時代までは民主主義などなく、治安維持法ができてからはまた民主主義も自由もなく、今の北朝鮮と同類です。権力奪取の大義名分は、明治維新では尊皇攘夷で、太平天国では神の国、フランス革命では自由平等博愛、近代ではたいてい民族自決とナショナリズムが大義名分になります。19世紀後半からの帝国主義の時代には、ナショナリズムを否定して、帝国主義と戦う社会主義「万国の労働者団結せよ!」(=社会正義)が最高の大義名分になりました。
    ところが、20世紀の革命は、実際はナショナリズムと社会主義が妥協した勢力が権力を握りました。中国革命も、モンゴル人民革命も、ベトナム革命などは、ナショナリズムによる独立革命であり、アメリカ独立革命と本質的に同類のものです。アメリカ独立当時の社会正義がフランス革命が標榜した自由平等博愛であったのに対し、中国革命当時の社会正義が民族自決・反帝国主義・社会主義だっただけの違いです。
    ナショナリズムというのは、権力の存在を前提としたものであり、異端(異民族)を排除する論理を内在させたものです。そのようなものに基づく革命権力は、名目の大義名分が陰に回ったとき、容易に独裁権力化します。韓国や台湾の60年代70年代が例。

    2.
    社会主義には、労働者権力を前提とするマルクス主義と、権力を否定するアナキズム(自由社会主義)とがあります。

    アナキズムといえば、バクーニンの一揆主義のイメージがありますが、実際は、プルードンの思想などは穏健な社会改革主義であり、プルードンの提唱した人民銀行は、今のバングラデシュのグラミン銀行に酷似したものでした。つまり、権力でなく社会改革運動によって社会革命を推進するという思想です。キリスト教アナキズムの代表の作家トルストイも、アナキストを自称する現代アメリカの反体制思想家で言語学者のチョムスキーも、ジョン・レノンもアナキストの系譜に含められます。

    そのプルードンがマルクスに宛てた有名な言葉があります。
    「我々を新たな宗教の神にしてはならない。たとえそれが正義の宗教、理性の宗教であろうとも」

    権力を否定するアナキズムの立場からの、権力集中を志向するマルクス主義の権威主義への危惧の言葉です。この危惧はロシア革命で現実になりました。そしてロシア革命後に、ボルシェビキの権力集中を批判したアナキストは徹底的に弾圧されました。
    http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0941.html
    スターリン、レーニン以前に、マルクス自体に、革命権力を独裁主義に導く潜在的要因があったという見方です。

     なるほどこうやってコピペすると投稿がすごく楽ですね。
     

  3. 【5093427】 投稿者: 前衛党  (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 23日 19:16

    当時の旧ソ連や北朝鮮に足を踏み入れたことのないあなたや私が、それらの「実態論」を語り合っても自ずから限界があろう。ちなみに以前どこかで述べたが、私自身当時知己であった総連の有名な商工人の社長に北朝鮮に連れて行ってくれと頼んだ経験あるが、よき返事はもらえなかったとの残念な経緯がある。

    むしろ、さきに引用した元外交官である佐藤優氏の語る東欧に関する生活実感は、現地にあった方によるものとして、それなりに謙虚に耳を傾けるべきではないか。

  4. 【5093441】 投稿者: 豊穣  (ID:gXnBimVl3uI) 投稿日時:2018年 08月 23日 19:36

    生存権の前提としてそもそも「平和的生存権」というものがある。
    これは比較法学の観点からも常識だが、それこそ市民的理性からもごく自然に出てくる発想ではないだろうか。
    ナチスは国民に「各家庭にに1台の車とラジオ」という約束をした。
    それは部分的に実現したが多くの市民は生存を脅かされ、文字通り「食うにこと欠く」状況に追い込まれた。
    スターリン憲法をそもそも読みもしないで「生存権が」という妄言を吐く暇があったら、どうせロシア語は読めないだろうから英訳でいいので全文読んでから同じことが言えるかどうか考えたほうがいいと思う。
    「憲法に書いてあるから」という種類の戯言を「頭で立っている観念論」という。
    事実を検証しない唯物論なんて聞いたこともない。

  5. 【5093523】 投稿者: 前衛党  (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 23日 21:40

    なお、私からは下記卑見へのご高見をあらためて頂戴いたしたい。

                     記

    >患者は医者を変えることができるので、「この医者は嫌だ」と思えば転院すればいいだけのこと(2025年問題氏)


    さて、今日の主な論点はここだ。そうした「市民法上の建前」こそが、法の虚偽性としてわれわれが批判するところである。

    3. 医師と患者とは、私法での契約上は対等・平等である。だが、そこに自由な意思=契約自由が介在する余地はすくない。なぜなら、経済的弱者には、それゆえ選択の自由が事実上限られるからだ(気に入る医者が見つかるまで、doctor‐surfingできようか)。また、疾病という事情を有し、医療上の専門知識ならびに情報に疎い患者と医師との間には、決定的に優劣の差が存在するからである。その結果、医療現場においては優位の立場に立つ医師がその立場にたって実質一方的に治療方針を決定し、患者はただそれをうのみにして医療上の契約を締結し、それに従わざるを得ないこととなる(患者の医師に対する人的・経済的従属性)。

    結局、医療上の契約においても契約自由の原則(「契約締結の自由」「相手方選択の自由」「内容決定の自由」「方式の自由」)は形式的には承認されていても、実質的には不自由な立場で契約を結ばざるを得ない事情のもとに患者はたたされる。したがって、患者は生命を維持するためにも医師の支配を甘受し、従属せざるを得ないのが現実である。

    それは、たとえ医師法19条により公共上(公益的性質)の理由から医療上の契約につき医師の承諾義務が課せられていても、実質的不平等との実質を変えるものではない。こうした患者に残された唯一の「自由」とは、そうした医師への従属を拒否した応報としての「死」や「廃疾者」への道だけである。

    医療に携わる方々が、たとえいかに誠意を極めても、彼らの意識とは関係なく矛盾は客観的に、社会機構のなかに厳存する。そうした客観的な社会が「私たちの個人的な意識とはかかわりなく外部に存在する」ということを唯物論は教えてくれている。

  6. 【5093524】 投稿者: 2025年問題  (ID:uq3AnywTlzg) 投稿日時:2018年 08月 23日 21:43

    >その根本的解決は資本主義社会では困難だと指摘した。

    結局、あなたの 「可及的速やかに、捕捉されていない残りの80%の生活保護相当の方を早く認定して、現在の生活保護者と同等の補助をする 」 という方針の実現のためには、日本を共産主義国家にするしかないという結論に至ったわけだ。

    これに関しては、あなたは別のところでも述べられているから、あなたの本音なんだろう。
    でも、日本が共産主義国家になるなんてことは、殆どの人が不可能と思っているし、希望もしていない。

    結局、あなたの方針は、「やっぱり、机上の空論だった」ということにならざるを得ない。

    そうでないなら、今度は日本を共産主義国家にするためのプランを示す必要があるが、無理だろう。

  7. 【5093541】 投稿者: 壮年医  (ID:lL9OdVryRwM) 投稿日時:2018年 08月 23日 22:04

    前衛党殿。社会主義には、労働者権力を前提とするマルクス主義と、権力を否定するアナキズム(自由社会主義)とがあります。 権力を否定し、独裁者を生まない
    アナキズム的な国家を作ることがよいように思いますが、どうしたら実現するのでしょうか?

  8. 【5093556】 投稿者: 前衛党  (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 23日 22:16

    それは違う。
    たとえ、資本主義体制であっても、国民の生存権保障をより実質化(充実化)できる余地は多々ある。それを可能にするための法的根拠として、憲法25条の性質を私は「具体的な権利」だと解したものである。『朝日訴訟』当時とは異なり、こうした考えは現在の憲法学会等での通説(少なくとも多数説)的見解であるものと思われる。

    また、それは同じ体制下にある西欧・北欧諸国でも実証済みである(フランスでは、3歳から教育義務化を実行するそうな。国民の経済的格差是正のためとのこと。)世界第三位ーもっとも、今では二位の中国のわずか三分の一に過ぎぬがーでありながら、それが出来ぬ理由はないはずだ。

    なお、本論に直接の関係なきゆえ詳論省くが、社会科学の世界において「絶対」はない。将来の社会主義化の可能性を否定できる理由がどこにあろうか。
    たとえば、まだ貧しかった当時の中国に学んだこの私にとって、次は驚きである。

    「かつて世界のGDPの過半を生み出していた米国は、(一九八〇年世界のGDPの二%未満でしかなかった)中国に追いつかれ、二〇三〇年には実質GDPで中国が米国の二倍になり、世界最大の経済大国へと急成長します。進藤・白井『「日米基軸」幻想』」(詩想社、2018)12頁。

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