「努力すれば『地頭の悪さ』を克服できるか」。中3娘からの鋭い質問にどう答える?

努力すれば自分の望んだ結果を得ることができるのか…。子どもがそんな疑問を投げかけてきたらどう答えたらよいのでしょうか。
ある日、ふと、わが子からの質問されたお母さまからの相談です。

《お悩み》努力で地頭の悪さを克服できるのでしょうか?

《お悩み》努力で地頭の悪さを克服できるのでしょうか?

「努力で地頭の悪さを克服できるか?」 と中3の娘に聞かれました。本人は克服できるに違いないと思いたいそうです。私は努力できることも才能だけど地頭の差はどうにもならないのではないかと思います。背景ですが、娘は第1志望の学校になんとか合格して通っていますが、周りに頭の良い子が多くできの差を感じるそうです。今のところ努力とプラスアルファでなんとか成績は落ちこぼれてはいません。(投稿者:ねこままさん)

まずは「とことん努力してみる」

ねこままさんは「努力することは地頭以上に大切だと思うが、本人が結果ばかり追い求めているようで不安。それに適性のない勉強ばかりするよりも、もう少し違うことをやってみたらどうかとも思う」とのこと。この相談にさまざまな意見が寄せられました。

「『程度による』だと思います。できる場合もあるでしょうし、できないこともあるでしょう。スレ主さんの娘さんについては十分可能だと思います。同じ試験の基準点を超えたから合格したのですよね。これからも周りより質の高い努力を続ければ、上半分に位置することはそれほど高いハードルではありません。ただ人気が高い学校の場合、成績上位が青天井なことがあります。とんでもない天才が紛れているとトップは難しいかもしれませんが。」

「息子に同じようなことを聞かれますが、これ以上努力できない極限まで努力して初めて努力ではどうにもならない地頭や素質の世界があると判断できるのだと伝えています。ほとんどの人はそこまで努力せずに、ある地点で諦めてしまう。
がんばってもがんばってもたどり着けない天才の境地は実際にあるのかもしれないけれど、私はそこまで努力したことがないから分からない。だから、やってみるしかないのだと。」

「何もしないうちから『〇〇は才能があるからできる』や『私は地頭が悪いからできない』はおかしいと思う。『これ以上は無理!』というところまでやってもいないのに、自分の限界を決めてしまうのはもったいないですよね。『地頭』や『才能』という言葉に振り回されずに、とりあえずとことん努力してみることだと思います。簡単に自分の限界を決めてはもったいないし、やってみて初めて分かることはたくさんあると思います。」