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【6743500】筑波大併願先 上位は東京理 中央明治立教。               千葉大は日大 中央 芝浦工 文教 東京理 法政  電気通信は中央 東京理 青学 芝浦工                    

投稿者: 併願先   (ID:sVpvpnOtMYE) 投稿日時:2022年 04月 14日 16:19

★筑波大
人文文化学群
中央大学文学部
明治大学文学部
立教大学文学部
上智大学文学部
中央大学法学部

社会・国際学群
明治大学政治経済学部
立教大学法学部
立教大学社会学部
中央大学法学部
明治大学国際日本学部

人間学群
同志社大学心理学部
法政大学文学部

生命環境学群
明治大学農学部
中央大学理工学部
東京理科大学理工学部
立教大学理学部
日本大学文理学部第一部(昼間部)
東京農業大学農学部
法政大学生命科学部

理工学群
東京理科大学理工学部
中央大学理工学部
明治大学理工学部
芝浦工業大学工学部
青山学院大学理工学部
東京理科大学理学部第一部
立教大学理学部
東京理科大学工学部
東京理科大学経営学部
法政大学理工学部

情報学群
東京理科大学理工学部
芝浦工業大学工学部
東洋大学総合情報学部第1部
法政大学情報科学部
立命館大学情報理工学部
中央大学国際情報学部

医学群
国際医療福祉大学医学部/医学科
慶應義塾大学理工学部
早稲田大学人間科学部
順天堂大学医学部医学科

医学群医学類以外
共立女子大学看護学部
武蔵野大学看護学部

体育専門学群
早稲田大学スポーツ科学部
立命館大学スポーツ健康科学部
順天堂大学スポーツ健康科学部
同志社大学スポーツ健康科学部
東洋大学ライフデザイン学部/第1部
法政大学スポーツ健康学部


★千葉大
教育学部
文教大学教育学部
東洋大学文学部第1部
日本大学文理学部第一部(昼間部)
日本女子大学人間社会学部
東京家政大学人文学部
中央大学理工学部
京都女子大学発達教育学部
共立女子大学家政学部

法政経
法政大学法学部
日本大学経済学部/第一部(昼間部)
成城大学経済学部
東洋大学法学部第1部
学習院大学経済学部
日本大学法学部第一部(昼間部)
明治大学政治経済学部
立教大学法学部

文学部
立教大学文学部
日本大学文理学部第一部(昼間部)
東洋大学文学部第1部
法政大学文学部
明治大学文学部

工学部
中央大学理工学部
芝浦工業大学工学部
日本大学理工学部第一部(昼間部)
東京理科大学理工学部
明治大学理工学部
東京理科大学工学部
法政大学理工学部
芝浦工業大学システム理工学部
東京電機大学工学部
東洋大学理工学部第1部

理学部
東京理科大学理学部第一部
日本大学理工学部第一部(昼間部)
東邦大学理学部
中央大学理工学部
芝浦工業大学システム理工学部
北里大学理学部

園芸
東京農業大学応用生物科学部
明治大学農学部
法政大学生命科学部
日本大学生物資源科学部第一部(昼間部)
東京農業大学農学部
東京理科大学理工学部
日本大学理工学部第一部(昼間部)
東京農業大学生命科学部

医学部
国際医療福祉大学医学部医学科
順天堂大学医学部医学科
防衛医科大学校医学教育部医学科
早稲田大学先進理工学部
東京慈恵会医科大学医学部医学科

薬学部
東京理科大学薬学部
北里大学薬学部
星薬科大学薬学部
東邦大学薬学部
明治薬科大学薬学部
慶應義塾大学薬学部

看護
順天堂大学医療看護学部
杏林大学保健学部
聖路加国際大学看護学部

国際教養
明治学院大学国際学部
東洋大学国際観光学部第1部
明治大学国際日本
東洋大学経済学部第1部
神田外語大学外国語学部


★電気通信大学
情報理工学部
中央大学理工学部
東京理科大学理工学部
青山学院大学理工学部 
芝浦工業大学工学部
日本大学理工学部第一部(昼間部)
東京理科大学理学部第一部
法政大学理工学部
芝浦工業大学システム理工学部


各学部ごとの併願先上位大学です。

教育学部だと文教大学が定番の併願先なのでしょうか?
千葉大は日大を併願とすることが多いですね。
共通テスト利用入試が多いのですか?共通テスト利用は年々増えてるのですか?
私大は定員厳格化で難化したのかな?

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  1. 【6779330】 投稿者: 理想とのキャップ  (ID:9Hz/boJMtIA) 投稿日時:2022年 05月 16日 15:39

    そういうのなら、文系の研究も帰納法になりますよね。思想や主義も絶対的なものはなく、あくまで仮説、仮定なんだから。

  2. 【6779395】 投稿者: 文系修士不要  (ID:XOCR1xy7PuI) 投稿日時:2022年 05月 16日 16:46

    一部の超絶優秀な人物以外は、基本雇う側は昔ながらの新人さんが好き。
    若ければ若いほどいい。という考え方が蔓延しているから、大学院進学なんて不利以外ないですよ、特に文系は。

    理系の研究職目指す人なら修士くらいは当たり前だからみんな大学院行くけど、あれは皆が行くから行く。
    むしろ行かないと研究職は厳しいという、単純な話。
    だいたい、研究職って研究室に求人がくるから修士や博士目指した方が就職しやすいという具体的なメリットもあるし。

  3. 【6779522】 投稿者: もっと勉強してほしい  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 16日 19:10

    先に例示した日本国憲法では、その究極的な基本価値はすべての「人間の尊厳」を確保するにあるとする。憲法学者はそれを普遍的価値(価値としての『正義』)と位置づけ、その確保のため国民主権主義、人権尊重主義、権力分立主義、平和主義等の基本原理を導く。そして、当該普遍的な価値観(原理)を所与の前提として、具体的なものを演繹的に法的推論する。したがって、それに違背する学説や判例は論理的に否定されることになる。

    他方、自然科学はそれと異なる。そこではある事実を証明するために仮に決めた考え(仮説)を設定したうえで、具体的な事例や実験などから普遍的な原理・法則を帰納法的・要素還元的に導き出す。しかしながら、そこでもしあの彼の「主張」の如く自然科学を「演繹的」に行うとすると、大変な事態を惹起しかねない。

    たとえば「神の実在」を普遍的・究極的な至上価値とした場合、-法学での場合のように-その「原理」によってすべての具体的事象を説明することにならざるをえなくなる。その結果、合理性は否定され、科学の多くは停滞と後退を余儀なくされる。中世への逆行である。それゆえコペルニクスもダーウインも、そうした形而上的非科学に苦しめられ、帰納的方法論でもって真理を証明して行ったのではあるまいか。

    もっともそれは、残念ながら理系のみの危険ではなかった。この国でも戦前、あの狂信的皇国史観により、美濃部達吉博士による当時の定説的憲法学説(『天皇機関説』)ですら「国体に反する」と不当に攻撃され、美濃部博士自身も極右に襲撃され負傷したのであった。

    「自然を相手に研究する科学者は、少なくとも机に向かっている間は唯物論者であり、神のことは念頭にない(池内了『物理学と神』)」 自然科学研究のイロハのイであろう。

  4. 【6779592】 投稿者: 理想とのギャップ  (ID:Tm2Nn0svY4c) 投稿日時:2022年 05月 16日 20:10

    > 日本国憲法では、その究極的な基本価値はすべての「人間の尊厳」を確保するにあるとする。

    憲法や法律が全世界一律ではないことを鑑みると、法を制定するにあたり日本の価値観に則った前提を置いていますよね。前提がある以上絶対的なものではなく、よりよい社会を作るための仮説や仮定の1つに過ぎないのではないですか。

  5. 【6779685】 投稿者: よい質問だ  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 16日 21:40

    >憲法や法律が全世界一律ではないことを鑑みると、法を制定するにあたり日本の価値観に則った前提を置いていますよね。前提がある以上絶対的なものではなく、よりよい社会を作るための仮説や仮定の1つに過ぎないのではないですか。

    ところが、世界各国の憲法は、大きな歴史的潮流の中で発展し、今日ではそれぞれの歴史的環境の相違を超えて、大きな基本的な傾向が各国憲法上に現れている。すなわちそれは、国民はけっして絶対的支配者による統治の対象たる地位、支配者に対する絶対的服従者たる地位にあるのではなく、生来的に自由・平等である国民こそが国家権力の担い手であり、そうした国民の自律的な意思のみが国家権力の源泉であるとの原理である。これが、近代国家とそれ以前の専制国家とを区別するリトマス紙である。それをわれわれは『民主主義(democracy)』と呼ぶ。(続く)

  6. 【6779688】 投稿者: 同②  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 16日 21:41

    (続き)そしてそれは、単に政治上の多数決という如き形式的制度として捉えるのではなく、内容的に価値に結ばれる民主主義(eine inhaltlich wertgebundene Demokratie)として考えねばならないのである。そのうえで、そうした民主主義が求める究極の基本価値が、前述の「人間の尊厳※」である。すなわち、少数の支配者の権威を否定して、すべての人間の尊厳を主張することにある。またそれをこの国(主権者であった当時の「天皇」)は「日本国の最終的の政治形態は、『ポツダム』宣言に遵ひ日本国国民の自由に表明する意思に依り決定せらるべきものとす」との米国からの1945年8月11日付『ポツダム宣言』に関わる回答を同月14日に受諾することにより、決定したのである。したがって、それはすでに世界共通の普遍的価値有するものと捉えられている。

    ※人格の内容を形成するものであり、すべての人が固有する人格価値と定義つけられる。

  7. 【6779784】 投稿者: 理想とのギャップ  (ID:Tm2Nn0svY4c) 投稿日時:2022年 05月 16日 23:15

    民主主義国家の憲法は似たものになるのでしょうが、そうでない国の憲法は価値観が違うのですからばらばらでしょ。それに民主主義国家といえども、日本のように何十年も改正していない憲法もあれば、アメリカやドイツのように頻度に改正する憲法もある。各国の価値観は一意ではないのだから、理想とする社会も異なる。絶対的なものは存在しないから、完全な演繹法で論理展開するのはできないですよね。

  8. 【6779831】 投稿者: お答えする  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 17日 00:29

    それも、君の誤解である。当然ながら、法学の世界では比較法的に同じ価値観を有する国々(多くは欧米先進諸国)を議論の大前提にする。したがって、そこでは価値観を共有する。というよりも、そうした普遍的な理念・価値観をわれわれが彼らから継受したとの沿革あるからだ。

    たとえば、日本国憲法ではフランス革命や米国独立宣言等での理念との親和性が指摘できる。また、合州国憲法は所与の前提とされていた天賦人権的自然法概念を後日「修正」の形で確認的に成文憲法に加えたに過ぎない。また、その他の西欧諸国の憲法改正も条項の修正、削除等の技術的な部分の微調整を行ったに過ぎず、基本的な理念につき変更は加えられていない。なぜなら、成文憲法で定められている憲法改正権は、全体としての憲法の同一性および継続性が守られるとの大前提においてのみ、憲法の各条項の修正削除追加をなしうるに過ぎないからである。

    したがって、たとえば日本国憲法の憲法制定権力の主体は国民であるゆえに、憲法の基礎にたるそれを動かすことはー法論理的にーできないことになる。もし実際に国民主権主義を否定・排除し、明治憲法の如く「君主主権=天皇主権」に復するのであれば、もはやそれは憲法の「改正」を逸脱し、「革命」になる。同じく、この国の政治的統一の特質と形式に関する基礎的政治的決定たる「民主主義」、さらに「基本的人権の保障」の本質を害するような「改正」も、個人の尊厳という本質的理念からしてするその限界を超えたものとして、到底許されない。

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