最終更新:

940
Comment

【3785047】学生デモに想いをよせる

投稿者: 樺美智子   (ID:AH7/agzwa/o) 投稿日時:2015年 07月 05日 13:38

国会前の若い学生のデモはクリスチャン系の大学生だと聴く

クリスチャンの歴史について
http://uchimaru-church.jp/wp-content/uploads/2013/05/43188836fe4fb765f1066d846258c8de.p●df

以下抜粋
戦時中における歴史の客観的実相が徐々に明らかとなっていく中でも,キリスト教指導層がそれに対し,鋭敏に反応した形跡はうかがわれません。後世からみると,教団による戦時体制協力の実態は,信徒のみならず,国民を欺瞞する罪深い行動であったと言わざるを得ません。しかし,戦後,日本を占領地として統治下においたGHQも諸
教会が合同した教団をその後の占領政策に活用していけるとの胸算用から戦争責任を追及することはありませんでした。戦時中,大日本帝国の元首であった天皇の戦争責任を占領政策遂行のための利用価値から不問に付したことと同様のことが教団の指導者たちについても生じたのです。富田統理をはじめとする教会指導層は,結局,戦後もミッション系大学の理事やNCCなど,キリスト教運動の主要な地位につき活躍し続けることとなったのです。こうして,教団は,自覚的な戦争責任を戦後の再構築に反映させることのできなかった日本国家の縮図のようなありようで,戦後のスタートを切ることとなったのです

1938年9月 日基大会議長・富田満、特高警察と共に朝鮮の教会代表者に神社参拝を説得。朝鮮の長老派総会で神社参拝が国民儀礼であり、信仰に反しないと決議させる。

1939年 昭和14年 第二次世界大戦

1939年4月 宗教団体法

1939年 朝鮮では、多数のキリスト者が神社参拝を拒否し、投獄、獄死、教会閉鎖が相次ぐ

明治維新以降、キリスト教が日本社会に入ってきた際、問題となったのは、キリスト教が日本社会の基盤であった
家族制度と相いれない関係にあったことであるという。

戦前のキリスト教と家族の関係が相いれない対立関係にあったのであれば、その条件がなくなった敗戦後において、個人の尊厳が強調される社会状況になれば、キリスト教信者の数は増えるということになる。家族制度が変
わり、個人の自由が強調されてきた敗戦後の日本社会において、ブームにはなったが,信者の増加に結びつかなかった原因はいったいどこにあるのか



クリスチャン系では天皇の責任を未だに言う学校であることが判明いたしました。

教授が学生を先導しデモを起こしてるのでしょうか?

私のようにだれもあの世に行きやしないかと心配でございます。

おそらく我が同志も便乗しているのでしょう。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「ニュースに戻る」

現在のページ: 112 / 118

  1. 【3859705】 投稿者: 音速の貴公子  (ID:PDiHRDj/.Nk) 投稿日時:2015年 09月 26日 15:26

    さ、スレ違いの女子高生オヤジは干して、安保法制に移動だ。




    笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑




    w

  2. 【3859707】 投稿者: 自由  (ID:moGbreF.9yI) 投稿日時:2015年 09月 26日 15:28

    人のネタをパクるなよ 笑

    最低なヤツ


  3. 【3859877】 投稿者: 不生産的労働者  (ID:2Gx4UsW5Qzo) 投稿日時:2015年 09月 26日 18:12

    >あまりにも教養が無いから、
    三流私立大学の左翼老学生とよんでいる次第。

    おいおい、突然「主張」が変わったぞ 笑い
    ついに、事実を認めて降参。

  4. 【3859884】 投稿者: 自由  (ID:moGbreF.9yI) 投稿日時:2015年 09月 26日 18:17

    二俣川

    見苦しい。

    お前の負け。


  5. 【3859921】 投稿者: 自由  (ID:moGbreF.9yI) 投稿日時:2015年 09月 26日 18:52

    (転載)

    ほらほら、二俣川は、

    >現在では憲法14条が実質的な平等を要求するものであることは定説である。

    と断定している。

    しかし、憲法調査会は、

    >憲法 14 条の平等においては形式的平等が原則的な要請であり

    としているのである。


    二俣川、赤っ恥 笑

    はははははははははははははははははは 笑



    投稿者:二俣川 (ID:a.xtnX2BYms)
    投稿日時:15年 09月 25日 23:41
    >日本国憲法14条1項で規定する「法の下の平等」は、「実質的平等」ではなく「形式的平等」を意味し、

    失笑した。
    50年以上前に佐々木博士ら京大の人々がそのような解釈をしていた。
    しかし、現在では憲法14条が実質的な平等を要求するものであることは定説である。ゆえに、クウォーター制も議論されているのである。
    合理的な差別に基づく「実質的な平等」こそが、日本国憲法の求める理念である。

    今どき、このようなトンチンカンを恥ずかしげもなく書き散らす不明を嗤う。


    投稿者:自由 (ID:moGbreF.9yI)
    投稿日時:15年 09月 26日 01:29
    二俣川

    憲法調査会の資料があったのでよく読め。

    >憲法 14 条の平等においては形式的平等が原則的な要請であり、実質的平等も許容される

    とある。

    お前の

    >しかし、現在では憲法14条が実質的な平等を要求するものであることは定説である。 (二俣川)

    は単なる妄想である。




    >基本的人権の保障に関する調査小委員会 (平成16年2月19日の参考資料)
    平成16年2月 衆議院憲法調査会事務局

    【実質的平等と形式的平等】
    平等の内容について、事実上の不平等を積極的 に是正する実質的平等を要求するものであるかどうかを基準とすると、こ れを要求する実質的平等(結果の平等:equality of opportunity)とこれ を要求しない形式的平等(機会の平等:equality of results)の二つの概 念がある。

    【参考 実質的平等と形式的平等】
    形式的平等は、「法的取扱いの均一」のことであり、実質的平等とは「事実関係の 均一」のこととされる。実質的平等は法によって実現せられる具体的生活事実を均等 にするのであるから、法形式上は不均等な取扱いが定められなければならないことが ある。憲法 14 条の平等においては形式的平等が原則的な要請であり、実質的平等も許容される。

  6. 【3859922】 投稿者: 不生産的労働者  (ID:2Gx4UsW5Qzo) 投稿日時:2015年 09月 26日 18:52

    ところで、今日は神宮に六大学野球を見に行った。
    久しぶり。

    明治の応援団(リーダー部)は、部内の暴行事件で永久廃部になったと聞いていたが、今日はそれらしき学生らがリードしていた。
    あれが、明治大学応援団「指導班」という諸君だろうか。

    以前は、吹奏楽の男子部員や女子チアらが懸命に慣れないリードをしていて、それはそれで好感を抱けたものであった。

    他学に余計なお世話だが、明大当局も「指導班」などと弥縫策をとらず、
    正式にリーダー部を復活させてはどうだろうか。今のやり方は、中途半端な印象が強い。

    それこそ、青柳の司法試験問題漏えいの件で時期が悪いのかも知れぬが、
    例の応援団暴力事件自体は「喪が明けた」のではなかろうか。

    他学のように、訓練と統制のとれた正式なリーダー部の下で野球部を応援したいとの大勢詰めかけていた明治大学側応援席の気持ちもあるように思える。

    注 明日は、午前11時から、法政VS慶応、早稲田VS明治の試合がある。
     天気もよさそうなので、お時間ある方々はぜひ。気分転換請負である。

  7. 【3859924】 投稿者: 自由  (ID:moGbreF.9yI) 投稿日時:2015年 09月 26日 18:54

    話題を変えたのは、

    降参


    ということ。

    いつもの逃亡スタイル。


  8. 【3859929】 投稿者: 音速の貴公子  (ID:PDiHRDj/.Nk) 投稿日時:2015年 09月 26日 19:00

    阿呆らしくて、相手にされていないのだろう。笑




    w

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す