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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【4734548】 投稿者: イワサキ  (ID:qnJVrTpk.hs) 投稿日時:2017年 10月 11日 20:06

    久しぶりの書き込みになります。

    伊勢神宮式年遷宮の茅葺き屋根の掘立柱建物、これは縄文時代からの時間的連続性の上に成り立っていると思います。
    諏訪大社の御柱祭、出雲大社の巨木神殿、四隅突出型墳丘墓、大相撲の土俵の上の屋根、この流れが凝縮されたものが、式年遷宮の掘立柱正殿なのではないでしょうか?
    縄文時代からのシャーマニズムでは、人が亡くなった際には風葬で死者を弔った
    風葬の際には、鳥(白鳥、鷺、八咫烏)、狼、熊が亡骸を掃除して綺麗にした、そしてこれらの動物は死者を黄泉の国に誘っているとの概念で神格化された。
    雨、風の野ざらしから、雨風をしのぐために、柱を建て屋根をつけ簡単な社ができた。これが神社の初期の姿だと思う。初期の社の中では亡骸が白骨化するまで数年放置した、これが古代のもがり、斉明天皇まで行われていた。
    もがりの数年の期間が喪に服す時間となる。(現代の喪に服するはこの流れ)

    伊勢神宮式年遷宮はこの時間的連続性の伝統をしっかり守っていることになります。式年遷宮の際の掘立柱正殿は想像以上に小さい、これが全国各地にある神社の社の原型となる。
    正に我々は時間的連続性の中で今も生き続けていると言えるでしょう。

  2. 【4734552】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:pWjtiaMBoDU) 投稿日時:2017年 10月 11日 20:09

    神話 さん

    >世界でも稀有な、神話と歴史が連続した社会を私達は暮らしています。

    おっしゃるとおりですね。
    以前、イワサキさんが三島由紀夫の時間的連続性について言及されておりましたが、日本人の永遠観、時間の概念というものは、根底に天地開闢の繰り返しというものがあったと思います。上古の歴代遷都は都城制まで続いていたし、まさに藤原京がのとき大嘗祭が成立した。
    この思想を体現しているのが唯一神明造の伊勢神宮。
    かたちあるものはやがて朽ち果て、生あるものは死を免れない。つまり強固不変な単一物によって永遠性が表徴されるとは考えなかった。
    先に記した三島由紀夫の、

    「天皇というものは、だから個人的な人格というのは二次的な問題で、すべてもとの天照大神にたちかえってゆくべきなんです。今上天皇はいつでも今上天皇です。つまり、天皇の御子様が次の天皇になるとかどうとかいう問題じゃなくて、大嘗会と同時にすべて天照大神と直結しちゃうんです。」

    という言説は、まさにこの永遠観の本質を見抜いていたと思います。
    践祚の度に常世も一新、天地開闢も再現される。大嘗祭にあたっての寿詞はその常世への讃歌でもあったのでしょう。

    新宮に いきまつりて皇神の みいつもさらに改まるらむ
                            - 昭憲皇太后

    奥都城 さん

    >違っていたらすみません、お伊勢さんの式年遷宮もそうなのかな?
    あれは再生ではなく連続。
    古が連続して現在でも生きているという事かなあ?

    従って、これは「新生」の連続といえるような気がいたします。

  3. 【4734553】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:pWjtiaMBoDU) 投稿日時:2017年 10月 11日 20:12

    あ、偶然にもイワサキさんの書き込みと被ってしまった。
    失礼いたしました。
    イワサキさんが詳しく解説してくれましたね。

  4. 【4734592】 投稿者: イワサキ  (ID:qnJVrTpk.hs) 投稿日時:2017年 10月 11日 20:49

    冷静にかんがえるとさん

    このスレッドは貴方が戻るまで地味に守ってきたスレッドなので、遠慮せず思う存分書き込んで下さい、笑
    >「天皇というものは、だから個人的な人格というのは二次的な問題で、すべてもとの天照大神にたちかえってゆくべきなんです。今上天皇はいつでも今上天皇です。つまり、天皇の御子様が次の天皇になるとかどうとかいう問題じゃなくて、大嘗会と同時にすべて天照大神と直結しちゃうんです。」 by三島由紀夫

    さらっと書いてるがこの行間に私が今まで書き込んできた事が凝縮されてるんですよね、大嘗祭のクライマックスでは、天の羽衣伝説と同じように神聖な水で沐浴して、羽衣をまとい、女装して神(天照大御神、諸説あるが)
    と食事をしこの後に即位する。三島由紀夫はこれを踏まえた上で書いてます。
    学生時代に三島由紀夫の書はかなり読んだが当時はチンプンカンプンでよくわからなかったんだよね、難しい事を簡単に数行で表現している事がこの歳になり初めて理解できた。

    三島由紀夫と同窓である冷静にかんがえるとさん、三島が新卒で大蔵省に入省し、数年勤めていたのも驚きだけどね。

    正に太古より我々は時間的連続性の中で生きてきたことになる
    そしてこれからも、生き続けるでしょう。

  5. 【4735102】 投稿者: 神話  (ID:9ZsFvBMNhmY) 投稿日時:2017年 10月 12日 08:48

    >日本人の永遠観、時間の概念というものは、根底に天地開闢の繰り返しというものがあったと思います。上古の歴代遷都は都城制まで続いていたし、まさに藤原京がのとき大嘗祭が成立した。


    前レスで紹介した本の解説によれば、

    「不可逆的な「歴史の時間」を、反復する「自然の時間」の切片に同致することによって、歴史を永遠のうちに統合する想像力」(118頁)

    「稲作農耕の共同体自体の原型的な時間と、仮借なく争奪される国家権力の時間のあいだの不吉な矛盾を、止揚する古代国家の神話-歴史をのみくだす射程を張るべく再神話化された<予祝>的時間の構造」(119頁)

    この反復する「自然の時間」「原型的な時間」を「歴史の時間」と接合し、過去、未来、現在が一点に「収縮する時間」において、軽皇子は皇位皇霊を引き継いだわけですね。


    >違っていたらすみません、お伊勢さんの式年遷宮もそうなのかな?
    あれは再生ではなく連続。
    古が連続して現在でも生きているという事かなあ?

    伊勢の式年遷宮は詳しくありませんが、

    個人的には、

    今歩いている「歴史の時間」をときどき立ち止まり、「生」と「死」を繰り返す「自然の時間」に立ち返り、現在を新生化しているようなイメージがあります。

    日本の近代化は西洋と比べると中途半端・・などという皮相的な見方がありますが、私達の歴史観は近代的自我が抱えるニヒリズムを解毒する処方箋になっており、神話の世界と繋がっている私達の社会を素直に喜びたいと思います。

  6. 【4737511】 投稿者: 奥都城  (ID:KRy4H2ENp/A) 投稿日時:2017年 10月 14日 08:05

    おはようございます!

    >雨、風の野ざらしから、雨風をしのぐために、柱を建て屋根をつけ簡単な社ができた。これが神社の初期の姿だと思う。(イワサキ様)

    イワサキ様のお話を伺って一昨年お伊勢さんに参拝した時に立ち寄りました滝祭神を思い出しました。
    祠も何もなく雨ざらしの「岩」の神様がおられるだけで、社殿がない垣に囲まれただけでお祀りされている神様は、日本の神社の原始の姿かもしれません。
    他の神様達はイワサキ様のおっしゃるようにだんだんと神社の初期の姿の社に変わっていったのでしょうか。
    日本の神社は謎や不思議がいっぱい。
    でも、神様達は私達の側に生き続けていらっしゃるのに
    私達が気付いていない、知らない事が本当に多いと思います。
    今上陛下が体現くださり神様達が過去と現在を繋げて下さっておられるのに、
    それに気づかずに暮らしているのは勿体ない事ですね。

    >今歩いている「歴史の時間」をときどき立ち止まり、「生」と「死」を繰り返す「自然の時間」に立ち返り、現在を新生化しているようなイメージがあります。

    これは、とても大切な事だと思います。
    このイメージは今の日本人に必要な事だと思います。

  7. 【4738233】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:YkTA2obyH5Q) 投稿日時:2017年 10月 14日 20:40

    一般に唯一神明造りにおいて柱は腐食しやすいので、一定期間ごとに造替(建て替え)が必要となる。じっさい寺院建築のほとんどが礎石式に(最古の神社建築といわれる京都宇治上神社も例外ではなく)移行しているが、伊勢神宮だけはこの掘建て式を継承しており、仏教寺院と一線を画している。
    出雲大社にも平安時代まで奈良大仏と同じ高さほどの社殿があったとする遺構が発見され話題となったが、その躯体が現存していないことを鑑みると、おそらく多くの柱を並べた掘建て式建物であり、後に自然倒壊したと見るのが自然だろう。これらが寺院の礎石式を踏襲せず掘建て式にこだわったことに何らかの思想的意味があると考えるべきではないか。

    わたしはここに古代日本人の「永遠観」というものを垣間見る。もちろん書紀神代巻に天照大神の神勅として有名な「葦原の千五百秋瑞穂の国」とあるように、「千五百秋」という語が、観念と言えども永遠性への志向を有していたことは明らかである。
    だが問題なのはその観念の構造それ自体ではないかと思う。つまり日本人は強固不変の単一物によって永遠性が維持されるとか、表徴され得るという発想は持たなかった。形あるものやがて滅び、生死もまたしかり。その現実を直視したうえで新生と継承を繰り返し永遠成就に至る。古事記の国生み神話、天地開闢で伊弉諾命が「日々1000の命を滅する」としたのに対して、伊邪那岐命が「それでは日々1500の命を生み出す」とした説話があるが、この思想背景も同じ文脈で捉えられる。
    柱は朽ちる。だがそれは消滅を意味するのではなく「新生」を繰り返すことによってあらたに生まれ変わり、その支えるものは神域で永遠に変わることがない。
    神道を律する常世思想を継承しているのが伊勢神宮であり、出雲大社であった。
    (以上、再掲)

    遷宮史を紐解くと 第一期持統朝より始まり江戸末期までの54回、明治天皇以降現在に至る。その間、正遷宮は100年余り中断された(内宮正殿の倒壊を原因とするが、明応地震の影響かも知れない)が、募縁を退け奉献を申し出たのは織田信長であったという。だが遷宮に先立ち本能寺の変にて急逝した信長の遺志を承け、巨額の造営費を献じたのは豊臣秀吉であった。
    徳川の代になっても造営費奉献の先例は継承され、家康の第42回献進から第54回まで続く。
    政局の変貌あれど時の為政者は皆、神忠を奉じたことになり、これがそのまま近代までの遷宮史の歩みと重なる。
    織田、豊臣、徳川と祭儀の趣旨を固守し維持・継承していくこと、これが時間的民主主義、つまり先人らの想いを忖度することであり、まさに伝統の力ゆえというものであろう。

    イワサキ さん、

    >このスレッドは貴方が戻るまで地味に守ってきたスレッドなので、遠慮せず思う存分書き込んで下さい、笑

    有難うございます。
    渡航前、まさに一年ほど前に書き込んだものに図々しくも加筆させて頂きました。
    あの頃にも伊勢神宮、神話的繋がり(>神話さん)について話をしていたんですね。
    卑近な例で申し訳ないが、時間的連続性を我々も体現していたことになります。

  8. 【4738642】 投稿者: イワサキ  (ID:qnJVrTpk.hs) 投稿日時:2017年 10月 15日 08:23

    神話さん
    >万葉集に、
    日並の皇子の命の馬並めてみ狩立たしし時は来向ふ
    という歌があって、
    これは、亡き父(草壁皇子)が生前に行った大規模な狩りの故地である
    安騎の野を「ある目的」のため訪れた軽皇子の立場に立って柿本人麻呂がよんだ連作の最後のもの。

    いい題材をありがとうございます。この歌に詠まれた日並の皇子とは持統天皇の皇太子であった草壁皇子のことだが、即位することなく亡くなり軽皇子が文武天皇として即位した。日に並ぶとは、太陽神である天照大御神と並ぶ人物でありこの流れから、持統天皇(女性天皇)と天照大御神を同一視して、天照大御神と持統天皇を同一化した神話が創作されたとの論考が多くの学者によりなされている。
    持統天皇の孫、軽皇子、天照大御神の孫で天孫降臨(南九州)した瓊瓊杵命と全く同じ相関関係となる。

    天照大御神の孫で天孫降臨(南九州)した瓊瓊杵命、兄弟であり天火明命は磐船伝説となり大阪交野に天下った(磐船神社)、これが私が何度か書いている饒速日命と同一人物であり物部氏の祖である。

    後年、瓊瓊杵命のひ孫にあたる神武天皇が神武東征を行い、先に天下りナガスネヒコの妹を娶っていた饒速日命、その子、ウマシマジ命が神武に協力してナガスネヒコを討ち滅ぼした、これが神武東征のあらましである。
    饒速日命の子、ウマシマジ命は神武天皇の前でお祓いを行い十種神宝を献上した。これは明らかに祭祀を神武に授け、以後ウマシマジ命系統(物部氏)が軍事を握ったヒメヒコ制の始まりだったかもしれない。

    天火明命から(火継ぎ、火嗣ぎ)から、神武系の(日継ぎ、日嗣ぎ)への分岐点となる
    天火明命は丹後一宮の元伊勢籠神社の祭神であり天照御魂神とも呼ばれ、伊勢神宮の元の祭神なのではと疑っている事は何度か書いている。
    元伊勢籠神社の豊受大神が伊勢神宮に呼ばれ外宮の祭神となっている。
    天の羽衣伝説ののヒロインでもある。

    伊勢神宮式年遷宮、皇室の祭祀の中には今でも真夜中に篝火を焚き厳かに行われている祭祀も多い、これこそが火継ぎ、火嗣ぎに対して(天火明命、饒速日命)に対する鎮魂なのではと勘ぐってしまうのです。

    天照大御神系統の無理やる置き換えた名残が、真夜中に行われる祭祀の中に今でも残ってると推察したい。

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