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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【4822465】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:panke8sauv2) 投稿日時:2018年 01月 02日 07:40

    イワサキさん、ちはやふる さん、皆さん、明けましておめでとうございます。

    穏やかな天候に恵まれた年明け、ニュース番組で日本各所、初日の出あるいは御来光の報が寄せられる最中、靖国神社の正式参拝をもって初詣を済ませて参りました。

    さて、ちはやふる さん、カタルーニャ自治州の独立問題について、わたしは新聞報道以上の知見を持ち合わせていないが、スペイン中央政府のラホイ政権が唱える再中央集権化の推進が根底にあると見てよいのだろうか、、
    それは他自治州への交付税に対する不平等感、ベルト法に象徴される基幹教育でのカタルーニャ語の扱いなど、彼らのナショナリズムと無関係ではないとみているところ、独立機運の高まりは新自治憲章の違憲判決(2010年)頃から顕著になり始めたように思う。さらに言えば、そのナショナリズムの背景には欧州産業革命の恩恵をいち早く享受し、経済・教育水準を他州に先んじて達成した自負心が、カタルーニャ自治州住民の自尊心として国家を飛び越えた自治権を希求するものとなり、その限界はスペインという一国ではなくEU欧州全体ということになる。つまり彼らはスペイン一国の自治州ではなくEU欧州全体の一員として、いわば国家を飛び越えた自治権を得ることに最終目標を定めているように見受けられる。

    かつて国際政治学者の中には、EUのような国家連合を推進すれば国家というものは瓦解し、それを良しとするなら、経済・教育などの地域間格差はますます顕在化し、結局のところ均一化を図ればナショナリズムが暴発すると説いた者がいたが、単一民族国家たる我が国では他人事だとしても、経済・教育の東京一極集中を何某の特権と勘違いして地方軽視を続ける層あれば、将来仮に東アジア国家連合なるものが唱えられた場合、これは「他山の石」ともなり得る。
    但し、この場合の「ナショナリズム」はいわば「東京アイデンティティ」といったようなもので、これほど質の悪い特権意識を有する日本人は多くはないと信じたいが、、
    「全国」の英霊たちを祀る靖国神社を詣でて、民族統合の象徴たる天皇に想いを巡らせ、日本人でよかったと体感した古の瞬間でもありました。

  2. 【4822472】 投稿者: 雲居  (ID:y3koP8uuy/M) 投稿日時:2018年 01月 02日 08:09

    冷静にかんがえると様、皆様、あけましておめでとうございます。

    私は護国神社にお参りいたしました。23歳フィリピンで玉砕された方の辞世の句を拝見しました。若桜、散って悔いなし。私たち世代は、そのような国を維持しているのでしょうか?そして、次世代に語るものがあるのでしょうか?大変切ない気持ちを抱いた新年でした。

    「雲居」。一族からうらぶれている気持ちからつけたHMです。私にはこちらで語ることができるものがございませんが、指針・道標となり得る文章を時折でも投稿していただければ・・・と願っております。

  3. 【4822601】 投稿者: ちはやふる  (ID:PtJ8ntdxB2U) 投稿日時:2018年 01月 02日 12:51

    冷静にかんがえるとさま、皆さま、
    おめでとうございます。
    雲居さまもご無沙汰しております。

    冷静にかんがえるとさま、カタルーニャの独立気運は御指摘の通り、あの違憲判決がキッカケになったと思います。それ以前にも、様々な言動を通じ、些か感情的な側面もあったのでしょうが、ラホイ国民党政権誕生が、この問題に更に火を注ぎましたね。EUを限界とした自治権、何かストンと落ちた気がいたします。
    有難うございました。
    ところで靖国神社初詣は私も行って参りました。以前こちらのお話で犬、狼信仰のお話がありましたが、駐車場の方から入ると2体の狛犬が出迎えてくれます。
    ちょっと考えたのですが、正門にもあるとして、靖国神社には合計4体の狛犬が鎮座しているということかしら?
    一般に神社の鳥居前の狛犬が置かれ始めたのは江戸時代よりとか。でもご信仰はもっと古いわけですよね?
    私は神道についてまるで理解ないため、いつ頃からどのような理由で置かれ始めたか、大変興味があります。
    今年は戌年。時間をみて私自身への宿題といたします。甥・姪らが集っていますから、少し格好良いところを見せたいのが、本音ですけど。

  4. 【4822752】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:qqTjAFUF9Ec) 投稿日時:2018年 01月 02日 17:41

    雲居 さん、わたし勘違いをしていたようで申し訳ありません。
    「雲居」というHN.、「雲」はお隠れになった神を称するものとして鎮座される場所、つまり出雲本殿のような高層建築物建立の動機付けになったという理解から、場所を表すものと思っていたのですが、人物でしたか、、とはいうものの歴史上の人物で「雲居」を冠する人物は思い当たらないなあ。文脈から実在というより架空の人物、つまり小説か何かの登場人物とも読み取れるのだが、いずれご教授願えませんか? よろしくお願いいたします。

    さて、ちはやふる さん、靖国神社の狛犬が何体であるか思いも付きませんが、九段中等学校前から早稲田通りに沿って行く右側の正門に二体、大鳥居の前に二体、駐車場入り口及び南門に二体づつ、おそらく八体ではないかと思います。
    もっとも我が国の神社では狛犬と獅子で一対を為すもの、あるいは獅子と獅子で一対をなすものが殆どですから、厳密には大鳥居前に鎮座するのは二体の無角獅子とも言えるので、狛犬自体は六体ということになりましょうか。

    ところでその歴史はかなり古く平安時代にまで遡れます。「枕草子」にもその記述が垣間見え、奈良の春日大社の銅製狛犬は平安時代後期のものとして確か国宝のはず。
    「ハーバード日本史教室」(中公新書ラクレ刊)のインタビュー記事に登場するヘレン・ハーデカー教授は、神道をもって天皇家の儀礼に象徴されるもの、有力者らに勧請されるもの、地域住民の守護たる役目を負うもののという三層構造を唱えておられますが、わが国の獅子・狛犬は、その様式や造型において平安時代から鎌倉時代までのいわゆる特権階級のものと、それ以後の江戸時代にかけて、つまり「村中安全」「悪病退散」「雨請祈願」「五穀豊穣」などを願うより身近な親しみ易いものに変わってくることと相俟って、姿態や形相に厳しさか消え穏やかになってきたとも言われています。
    神道が庶民層の生活習慣にも慣れ親しまれてきたことがうかがえますね。

  5. 【4823474】 投稿者: ちはやふる  (ID:oa0rHOAwxAI) 投稿日時:2018年 01月 03日 17:39

    冷静にかんがえるとさま
    有難うございました。と申しましても、お礼より先に貴方さまのお話から、甥、姪には靖国神社の狛犬は8体なんだよ!って教えたところ、彼等はネットか何かで確認したらしく、ホントだ!と。
    お正月早々、私も伯母としての面目が立ちました。
    ところで雲居さまの意味、冷静にかんがえるとさまは実はご存知のなんでしょう?だって、小説とか架空人物っておっしゃってるもの。多分、作者も時代も小説名も、お分かりのはずなのに。
    遠慮されてる雲居さまを、お話に参加させようと、思っていらっしゃるのね。
    前にパロールだかのお話を読み、雲居さまも相当な知識をお持ちだと、私も思います。
    雲居さま、私が申し上げるのも変ですが、どうぞ、参加して下さいませ。
    私も楽しみに待っております。

  6. 【4823587】 投稿者: イワサキ  (ID:Z2SUjMtAY2o) 投稿日時:2018年 01月 03日 21:01

    冷静にかんがえるとさん、皆様方
    新年明けましておめでとうございます。
    前回の書き込みから約二月海外長期出張で、毎日ソーセージとザワークラウトの生活で嫌気がさしたところクリスマスを期に戻ってまいりました。正月もおせち料理を堪能して英気を養わせていただきました。急遽また行く可能性もありますがしばらくは日本に落ち着けそうです。このスレッドでも書きましたがブレグジットの影響をもろに受け拠点変更の業務に巻き込まれてしまいました。
    海外からは日本の事がフラット中立の目線で見る事が出来、日本とは何であるかなど自問自答する時間を得られ非常に良かったかな、笑

    天皇陛下の譲位日程も決まりやれやれ道筋がついたところですが、大相撲の問題には少々ウンザリしたところです。大相撲の神様は野見宿禰命であり出雲国造の子でもある大相撲の土俵の上には神社の屋根と同じ形のものが吊るされている。
    元は四つの柱があったがテレビ中継のために宙ずりにしたらしい。
    柱が邪魔で死角が出来見えない事が原因だがポイントは土俵の上に四つの柱と神社と同じ屋根があった事つまりこれが神事であったとのまぎれもない証拠となる
    私の推論では地域の王が亡くなった後に祠、神社の中でもがりを行いその魂を鎮魂するために相撲を行ったにではないかと考えてます、現在に伝わる奉納相撲(明治神宮、富岡八幡宮など)
    出雲から伝来した相撲、出雲地方では前方後円墳などの古墳はなく四隅突出型墳丘墓が作られているが四隅に柱を立て屋根を乗せ古墳の上を平らにならせばまさに土俵の原型になるように思われてならない。
    出雲大社の巨大な注連縄、八岐大蛇を想像させる注連縄であるがこのしめた縄に一番近い力士が横綱であり横綱の語源の由来であろう。

    くしくも貴乃花親方が言った神に一番近い存在ということになる。
    賛否両論あるが貴乃花親方こそが日本の古を深く理解している一人であろう。

  7. 【4825393】 投稿者: ちはやふる  (ID:fPnqIVTUGpw) 投稿日時:2018年 01月 05日 18:36

    イワサキさま、お帰りなさいませ。
    貴乃花親方の理事解任のニュースは、私もファンでしたから、ガッカリしました。相撲道を唱え、神道との結び付きを、誰よりも自覚されていたように思います。
    そういえば、神道の穢れの思想?からか、土俵の女人禁制についても、以前ゴタゴタがありましたが、あれはどうなったのかしら?江戸時代には女相撲も行われていたと聞きますし、明治時代以降につくられた伝統なのかしら。
    何となく伝統というと、語り継がれて守られてきた、歴史の重みを感じるのですが、そうだとすれば、あまり説得力は感じません。
    もしかしたら、貴乃花親方は、協会のマネジメントの曖昧さをいち早く見抜いて、とうの昔から愛想を尽かしていたのかも。理事解任決定は僥倖だったかも知れませんね。

  8. 【4825758】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:HEXJcyT8Lrw) 投稿日時:2018年 01月 06日 07:25

    イワサキ さん、ご無沙汰しております。

    例年ですと年越しは妻の母国に赴くか、近場の温泉宿に投宿かのどちらかなのですが、今年はのんびりと家で過ごしました。暫く現場を離れていたこともあり飲み会の誘いも三割減といったところで、必然、家飲みが多くなり、妻と娘の冷たいまなざしを横目に自室に籠る年末と相成りました。

    さて、国技館開館当初の土俵の屋形は入母屋造りだったと何かで読んだ記憶があるが、ご指摘のようにこれは法隆寺金堂や数多ある神社の神楽殿等でも観られますね。八幡宮で貰い受けたイラストを確認すると、江戸時代、勧進相撲の土俵の屋形は切妻造りのように見えるが、平安時代の相撲節会、鎌倉時代の武士相撲までは格別、江戸時代における相撲は多分に興行的要素をはらみ、合併相撲に見られるように神事というには程遠い。そういった意味では神事たる伝統回帰への志向があったとも言えましょう。
    野見宿禰と言えば土師氏の源流として埴輪造りも看過できないところ、何某の葬礼に関係していたかも知れません。記紀では野見宿禰と當麻蹶速の戦いは現在で言うところの総合格闘技の様相を呈していますが、聖武天皇以降、宮中行事として平安時代摂関期では左方(帝王方)が天判にていずれ勝者とされるが如く、豊穣祈念や戦などの占術的な意味合いも垣間見えます。相撲が神事といわれる所以はこの頃にまで遡れると思います。

    余談ですが、蘇我氏後裔とされる宗岳氏官人の国衙機構任官の選抜に相撲人が集められた(「蘇我氏ー古代豪族の興亡」倉本一宏 著、中公新書)ともいわれ、氏族興亡の政治色が当時より芽生えてきたと思えば、なるほど、これもひとつの「伝統」と言えるのかもしれません。

    いずれストイックに相撲「道」を追求する貴乃花親方にとっては、相容れない「伝統」であったことは想像するに難くない気がします。

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