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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【4701776】 投稿者: ちはやふる  (ID:K97lERspPUw) 投稿日時:2017年 09月 13日 18:23

    冷静にかんがえると様

    もちろん別人です。
    「歴史はロマン」スレでも何度かお話させて頂いております。
    私のHNは去年の今くらいから使っておりますが、きっかけは皆様との映画のお話からだったかしら。
    ところでふと疑問に感じたのですが、神武以前の古層を抽出するというのは、各地伝承、昔ばなしの類いを集めかなり作為的に創作されたことは理解出来るのですが、神武以降の欠史8代などは明らかに辻褄が合わないですよね?
    でもこれらをもって、記紀がまるで信用ならないとは言えないと思います。
    現実に記述を裏付けるような考古学上の成果があるわけですから。もちろん貴方様もそのような評価をされていないでしょう。
    そうすると神代から神武以降を全体として記述した記紀というものをどう考えればよいのでしょうか?
    神代と神武以降はまるで別の思想なのか、連続性があるのか、どのように理解すればよいのか分かりません。
    神代を神話として神武以降が史実を反映する部分があるなら、この連続性をどう考えればよいのか。。

  2. 【4704453】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:k.B1Ag3RvzE) 投稿日時:2017年 09月 16日 01:37

    ちはやふる さん

    >神代と神武以降はまるで別の思想なのか、連続性があるのか、どのように理解すればよいのか分かりません。
    神代を神話として神武以降が史実を反映する部分があるなら、この連続性をどう考えればよいのか。。

    神代と神武以降の連続性ですか、うーん、、わたしはそんなに難しく考える必要はないと思います。結論からいうと、連続性はある、と言えるのでは?

    そもそも記紀、特に古事記は民衆が伝承してきた口伝や思想を、パロールからエクリチュールを通して編纂されたもので、有体にいえば皇室ゆかりのみならず、出雲・日向の神々を遍く網羅することで「新しいあるいは編纂された」神話ではないということ自体が「神話力」を持つ、といえましょう。換言すればそのような伝承・思想の拘束を受ける代償として「神話力」を維持し得るということです。神話としての主題は「天皇治天下」に通じるということ。
    ただ素戔嗚、ウケヒ、海幸・山幸などの物語は、欧州・中東などにも似たような神話がある。大陸、例えばユーラシア遊牧民を通じて思想として我が国に入ってきた可能性は充分あると思います。
    我々現代人はどうしても「事実」か否かという視点で見てしまうが、古層の人々にとってそれは日々の生活を拘束する「現実」であった、と言えるのではないでしょうか。
    ちはやふるさんは歴史をされているということでご存知かもしれないが、これらの思想といわゆる昔話の類を分けるメルクマールは、一に「今と過去」の関係をどのように捉えるかにかかっていると思います。例えばー、

    「いにしへ」-「去にし辺」-「かつて通った道」、今に続く遠い過去。
    「むかし」-「向か岸」-「昔はこうだった]、今とは反対の過去。
    (「神話で読み解く古代日本」松本直樹 著、ちくま新書より引用)。

    尚、著者の松本直樹氏は原文に返り点を付けるなどして品詞分解を施し、記紀の編者が神代と神武以降のいわゆる「体系神話」に連続性を持たせようとした、という興味深い考証をされています。
    記紀がこのような体裁をとり日本人がこうして天皇を戴く今現在も、まさに「いにしへ」という遠い過去に繋がると、三島由紀夫が見抜いた通り、我々にとっての「現実」である、といえましょう。
    「日本の古」とはこのような意味だと、わたしは思っています。

  3. 【4704665】 投稿者: 神話  (ID:g51br0tW89M) 投稿日時:2017年 09月 16日 08:57

    例えば、個人の歴史を考えたときに、

    履歴書のように学歴や職歴といった「事実」だけを書き並べても歴史にはならず、その個人がどのように生きたのか・・という「現実」を物語りするときに初めて自伝書という歴史になるのではないかと思います。

    古事記には、正史の日本書記とは異なり、大和朝廷にとっては都合に悪い大王をめぐる争いが多数収められていますし、縄文系や出雲系の物語りの要素も濃厚ですから、古事記が編纂された天武天皇の時代・・・「日本・天皇」が生まれた時代・・・に、古事記の世界は、まさに「現実」だったのではないでしょうか。

    レヴィ=ストロースが、日本の神話と歴史の連続性を賞賛しましたが、全国津々浦々に神社があり、正月となれば大勢の参拝者が初詣に参るこの社会で、私達は、まさに神話と歴史の連続性の中で生きているのだと思います。

  4. 【4704680】 投稿者: ちはやふる  (ID:bAR9FAFI2WI) 投稿日時:2017年 09月 16日 09:06

    冷静にかんがえると様

    なるほど。よく分かりました。
    記紀が神代にある神話や地方の神々を無視して、神武天皇からオリジナル神話を創っても、その当時の現実に対して、何の説得力も持ち得ませんものね。
    まさに伝聞過去の「○○ありけり」と、直接経験の「○○ありき」で、記紀は古層の直接経験を元にしていて、そこで万世一系の男系が直接経験の痕跡を留めていないのなら、「今」を拘束出来ないということでしょうか?
    ようやく繋がりました!
    神代の神話群がユーラシア遊牧民の影響を受けている説は、私も聞いたことがあります。スキタイ民族だったかしら?
    どの神話が繋がっているかまでは存じませんが、記紀を通して生きている現実は、まさに「いにしへ」です。

  5. 【4704744】 投稿者: 神話  (ID:g51br0tW89M) 投稿日時:2017年 09月 16日 10:10

    >神代の神話群がユーラシア遊牧民の影響を受けている説は、私も聞いたことがあります。スキタイ民族だったかしら?

    日本の神話が北方系の影響を受けていることは明らかですが、
    かつて、これをもって日本固有の神話ではないという強弁する人もいましたが、

    思うに、

    南方系のイザナギ・イザナミ系→アマテラス と
    北方系の天孫降臨神話 のハイブリッドではないかと
    思うんですよね。
    私は、ハイブリッドはハイブリッドで
    オリジナルであると考えます。


    天孫降臨神話は、北方ユーラシアを含む
    北東アジア世界で起こった大きな歴史にうねりに連動した現象のひとつで、
    一説には、アマテラスは本来は土着の太陽神で、
    タカミムスビが本来の国家神だったという主張があります。

    しかし、縄文系との融合を優先し、
    国家神の立場に、女神アマテラスがタカミムスビと入れ替わった。


    記紀で、絶えず寄り添うように、アマテラスにタカミムスビが記載されていること、
    伊勢には国家神アマテラスを裏づける考古学的痕跡がないことを考えると、
    面白い説だと思います。

    もしも、そうであれば、男系というのは、
    北方系の天孫降臨思想によるものではなかったか。
    縄文系であれば、女系も容認されるのではないか。

    そこは、ハイブリッドとしての苦悩なのでしょう。

  6. 【4705984】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:QoV8ARETzTw) 投稿日時:2017年 09月 17日 10:30

    神話 さん

    >記紀で、絶えず寄り添うように、アマテラスにタカミムスビが記載されていること、
    >伊勢には国家神アマテラスを裏づける考古学的痕跡がないことを考えると、
    面白い説だと思います。

    なるほど、、そのような説があるのですね、ありがとうございます。
    アマテラスにタカミムスビとの関係で言えば、いわゆる史実反映説として持統あるいは元明天皇をアマテラスに、(元明の場合)タカミムスビを藤原不比等、孫のホノニニギを聖武天皇(首皇子)に投影したのが記紀の天孫降臨神話である、といったような創作・創造を前提に論じている学者もひじょうに多いですね。
    我が国では新井白石の「古史通」に始まって、近年では梅原猛、上山春平氏らが唱えているような記紀編纂当時の政治状況を反映したものであるといったような、実在人物を神代の神々に投影させる解釈を、100年~200年の期間で設定すれば、殆どの学者がこのような合理的解釈を施しているといっても過言ではない。でも、なんだかなあ、、

    記紀をして、このようないわゆる政治目的をもって編まれたとするような解釈を採れば、記紀はもはや「神話」であって神話ではない。古層に対するイロニーを露呈している観が否めません。何より天孫降臨神話ひとつとっても、祖母から孫への継承は我が記紀に限らず、ギリシャ神話のアテナからパンディオン、ローマ神話のヴィーナスからアスカ二ウス、東洋では百済建国神話の柳花から温祚と言ったように枚挙に暇ない。「神話」編纂時の政治状況がすべて同一であったというのも現実味がありません。
    わたしはやはり、神代に関しては何某の思想をくみ取る立場に共感を覚えますから、万世一系の思想が書記の「三種の神器」の神勅(神代紀第九段一書)に始まりどのように継承されてきたか、分けても男系思想はいつ頃から始まったのか、、将来の女系問題を考えるに、差し当たり関連書物を探すなりして、少し勉強してみたいと思います。

  7. 【4706273】 投稿者: ちはやふる  (ID:KLF2ssLshXs) 投稿日時:2017年 09月 17日 14:31

    冷静にかんがえるとさま

    中世ヨーロッパ史では神話、特に比較神話などのテーマが重要なのに、各神話が祖母から孫への継承を記しているとは、思索が及びませんでした。
    有難うございます。
    女系問題は日本が近い将来、直面する避けて通れない課題ですね。
    貴方様が勉強とはご謙遜でしょうが、私のレベルで読める書籍がございましたら、是非ご紹介下さいませ。
    お願い申し上げます。

  8. 【4706553】 投稿者: イワサキ  (ID:xdQuXZayHyI) 投稿日時:2017年 09月 17日 18:33

    冷静にかんがえるとさん、ちはやふるさん、神話さん

    冷静にかんがえるとさんの書いた三人衆の一人はあの人かもしれませんよ 笑
    三島由紀夫氏も淡青だが、人生の終焉は別として、難しいことを簡単な言葉でわかりやすく説明する、今でも綺麗な日本語で時空を超えた綺麗な日本語だと思います
    冷静にかんがえるとさんも同じく、難しいことを簡単な言葉で説明されるにつけ実社会でn活躍のほどが伺いしれますね。

    タカミムスビの論説は多くの歴史家が唱えてます。天照大御神を自身に置き換えた可能性は多いに可能性あり、既に古(いにしえ)スレッドに書き込んでいるが
    全国各地の神社にはそれぞれの屋根の形式があります、屋根の端をそそり立たせる千木、屋根の上に置く鰹木(電車の枕木に似ている)この形式で男神、女神のどちらが祀られているか瞬時に判断できます。
    鰹木の数が偶数なら男神(千木はそそり立つ内削ぎ)、奇数なら女神(千木は平らな)なのですが、伊勢神宮、内宮、外宮とも女神なのに、内宮は内削ぎ、鰹木10本となり、男神の形式になってます。
    ここから伊勢神宮内宮は本来は男神が祀られていたのを、記紀成立時に持統天皇を投影させた女神(天照大御神)に置き換えたのではないか?
    これがこの論説のスタートです。

    伊勢神宮外宮の祭神豊受大神は元は、丹後一宮元伊勢籠神社に祀られていたが、天照大御神の衣食住の世話をするために、伊勢に招かれたことになっている、天の羽衣伝説の主役は、この豊受大神である。
    実はこの元伊勢籠神社の主祭神は天照御魂神(彦火明神)なんだが、これは饒速日命(物部氏祖)の別名であり、記紀にも記載された神武東征以前に先に天の岩舩伝説で天下っていたとはっきり書かれている。

    伊勢神宮内宮には元は天照御魂神が祀られていた故に屋根の形式は男神、衣食住の世話には元伊勢籠神社で一緒に祀られた豊受大神が呼ばれた可能性が高いのではないか?饒速日命(物部氏)は大王の武具武器庫を完全に任され、大嘗祭にも物部氏だけが古来から参加していた歴史的経緯があり、物部氏、蘇我氏が滅び古(いにしえ)を知る有力豪族が消え、藤原氏の歴史的塗り替えが始まった

    最後の残った、古(いにしえ)をしる、大王の親衛隊、大伴氏がどのような運命をたどったかを考えれば藤原氏の達成感がうかがい知れる。

    伊勢神宮には皇祖神にも関わらず、天皇行幸は明治天皇まで全くなく、斎宮(女性皇族)を置き鎮魂に努めたのは、歴史を塗り替えた罪滅ぼしだったかもしれない。男神の鎮魂は女性が行うのが古(いんしえ)よりのしきたりだった事は言うまでもない。

    記紀完成後も秘密の書とされ、公衆は知り得なかった、30年に一度、大学博士(菅原氏、大江氏)などが朝堂、朝廷の役人に講義を行いすりこみ作業が進められた、歴史の刷り込みは今も昔も時間をかけ行われたことになる。

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