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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【5247791】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:DAl0iiv2Qb2) 投稿日時:2019年 01月 01日 14:57

    皆さん、おめでとうございます。

    ちはやふる さん、教えて頂きありがとうございます。
    ヤタローさん、暇なおじさん(さん)のHN.を懐かしく拝見しました。いつか又、話が出来るのを心待ちにしたいと思います。

    >蘭学

    八代将軍吉宗の時代から松平定信登場までの70年余りが盛んだったと言えるでしょう。「エレキテル」の平賀源内、「解体新書」の杉田玄白、町人学者の司馬江漢、所謂、洋学事始めを代表する方たちですね。
    もっとも彼らが活躍するのは1750年以降ですから、厳密にはそれ以降松平定信の寛政の改革辺りまでの40年間ほどと言えるかもしれません。
    盛んになった背景はというと、やはり田沼意次の存在が大きかったことと、当時の社会情勢、亀山や新潟などの騒擾事件、農民・漁民の一揆など、民衆の不満の燻りと無関係ではないように思われます。つまり、当時中心的学問であった朱子学は「気」とか「理」とかいった、いわば哲学的思惟を重要視していたが、蘭学者らは寧ろ実学的な実践を目標にしていた。それが民衆の不満を緩和するという時代要請に合致したといったところだと思います。まあ、その他にも理由はありそうですが、思い浮かぶのはこのくらいかな、、

    ところで新年一般参賀に行かれるのですね?
    お勧めのルートと申しても、入場門は二重橋となるでしょうからあとは退場門ということになりますが、、あの辺りで女子会となるとやはり日比谷ミッドタウンかな。近いところは坂下門ですかね。おそらく明日2日は営業しているでしょうからお調べになってみたら?
    手ごろな串焼き屋とか、少し予算は張るがフレンチ懐石とか、けっこう充実していますよ。
    それにしても現役学生の方々が新年一般参賀に行かれる実例を身近に感じ、うれしく思います。
    坂下門から少し歩きますから、どうぞ風邪とかにご注意のほどを。

    ともあれ、今年もちはやふる さん、皆さんにとって良い年となりますよう。

  2. 【5247813】 投稿者: イワサキ  (ID:DtOxSISpELI) 投稿日時:2019年 01月 01日 15:52

    冷静にかんがえるとさん、ちはやふるさん、奥都城さん
    すっかりご無沙汰しておりましたが皆様
    新年明けましておめでとうございます。

    平成最後のお正月を楽しんでおります
    ソーセージとキャベツ酢漬けを肴にビールを飲む生活から解放されて
    戻って来れました、笑
    平成から新元号になる時代の推移を体感できるかな

    去れる後もいかに思はむこの苑に光満ち君の若くませし日

    時代の変遷を感じさせ、美しい大和言葉で1000年前の和歌集に出てくるような情感溢れる歌は詠めませんが、武骨者の私の今の心情はさしずめこんな感じです

    中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ

    古来大王家の親衛隊を務めた大伴家の末裔、大伴家持にならい
    酒壺になる為に日本最北端の酒蔵から国稀を取り寄せ久方ぶりに日本食と
    国稀を堪能したいところです

    聡明であり才女とお見受けした、ちはやふるさんが
    平成生まれとは新年早々ビックリしたなあ
    今年は古いにしえをつぶやきたいと思ってます。
    それでは

  3. 【5247875】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:44hok3gOPhI) 投稿日時:2019年 01月 01日 17:28

    イワサキ さん

    お帰りなさい!
    今回は長かったですね。一昨年、わたしが赴任から帰国したときに頂いた言葉の恩返しというわけではないが、細々と微力ながら書き込んでまいりました。

    >和歌

    昭和天皇の御製推敲に際し使用された直筆原稿が見つかったとのニュースがあり、お人柄が偲ばれる第一級の史料とされているが(朝日新聞デジタル、1/1付)、もとより、わたしには和歌の才能がまったくないので、西行の一首を捩ってー、

    いにしへの 文学びつつ スレひらき 君があれなと おもほゆるかな

    もう必要のない詠みで、安堵のため息です。
    本年もまた、よろしくお願い申し上げます。

  4. 【5248628】 投稿者: ちはやふる  (ID:NuLF1NwSm/w) 投稿日時:2019年 01月 02日 19:28

    イワサキ様、お帰りなさいませ。
    長い間の欧州(でしょうか?)ご滞在、お疲れ様でございました。冷静にかんがえると様と共に、首を長くして、お待ち申し上げておりました。
    それにしても、普段クールとお見受けする(ごめんなさい)、冷静にかんがえると様が、感嘆符を使用なさるとは、ちょっと意外でした。
    はい、平成生まれの未熟ものですが、今後とも、宜しくお願い申し上げます。

    冷静にかんがえると様

    蘭学のお話、ありがとうございました。講義ノートで、田沼意次の影響有りとなぐり書きしている、自分の字をみて、あら、現役の私がすっかり忘れていたことに、逆にショックを受けてしまいました。お恥ずかしいかぎりです。
    新年一般参賀にいって参りました。9時には大手門辺りにいたのですが、大失敗で、箱根駅伝をすっかり、忘れておりました。とにかく、すごい人出で、一般参賀は15万人を越えたそうです。
    平成最後ですものね。でも私より、一緒に行った友人たちの方が、一生懸命、お手振りしており、近くにいた子供が、ちょっと引いておりました。
    そのあと、お薦めのミッドタウンで女子会、新年早々、笑いの絶えない一日を過ごした次第です。

  5. 【5248892】 投稿者: 暇なおじさん  (ID:MRttpwWMJcc) 投稿日時:2019年 01月 03日 01:59

    皆さま、明けましておめでとうございます。

    冷静にかんがえるとさま、イワサキさまご無沙汰しておりました。私は特に歴史に詳しいわけではありませんが最近時々ロムさせていただき、いつも「なるほどぉ~」と思っていた次第です。

    今日一般参賀で小学校以来の日の丸を振って、素晴らしい天気の下で陛下のお言葉を拝聴しすがすがしい気分となりました。今年で平成も終わるのですが、どうしても昭和から平成に変わった時のことを思い出し比較してしまいます。昭和天皇は昭和63年9月にご容態の悪化が伝えられ手術をお受けになりました。その時から日本中に霞がかかったような状態になり、「陛下が吐血なさった」、「下血なさった」との情報が出るたびテレビや野外の情報端末等にテロップが流れ、株は売られ、翌年1月に崩御なさると日本中が喪に服し多くのイベントが自粛、中止となりました。当時日本経済は絶好調の時ですからよかったのですが、もし今同じような事でもあれば個人消費は落ち込み財政政策や金融政策にも大きな影響を与えるでしょう。そして昭和天皇の最後を看取られた皇太子殿下(今上天皇陛下)はこの時からご自分の代の譲位をお考えになったのかな、と恐れながら推察いたしました。譲位を控えて明るく本当にお幸せそうな陛下のお姿を見ますとこれから続く慶事としての皇室行事と相まって、日本経済にも好影響を与えて下さるのだろうと思います。そして恒久法ではありませんがこの先も天皇のお立場は譲位されていくのでしょう。

    「思はざる病となりぬ沖縄を たづねて果さむつとめありしを」(昭和天皇 昭63)

    昭和天皇はご容態悪化後「もう、ダメか、」と侍医に漏らされてますが、ご自分のお体の事ではなく沖縄訪問の件でした。昭和62年に予定されていた陛下にとって初めての沖縄訪問はかなわない結果となり、次の機会を最後まで気になさっておられたようです。昭和天皇におかれては戦争というものが一番の気がかりごとだったのでしょうか。

  6. 【5249366】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:BkQyCY6UgxY) 投稿日時:2019年 01月 03日 16:00

    暇なおじさん(さん)

    お久しぶりです。
    奥都城さんのスレでHN.を見つけたときは驚きました。またこうしてお話が出来ること、うれしく思います。

    御製推敲に使用された直筆原稿、歴史作家の半藤一利氏が、「晩年まで抱えた悲しみ」として昭和天皇のお心持を推察しておられますね
    (朝日新聞デジタル、1/1付)。
    戦後、すぐに行われた地方巡幸は返還前の沖縄県こそ叶わなかったものの、神奈川県を皮切りに昭和21年から29年、最後の北海道苫小牧まで、実に33,000キロに及ぶそうです。1日の実日数に換算すると200キロ。これほどの「強行軍」を可能にしたのは、いつに昭和天皇のお心持ではないかと、わたしも拝察申し上げるところです。どこの地においても大勢の国民・国旗の旗振りの出迎えを受けられて、それがまた次への想いとなり、完遂されたということではないでしょうか。
    昭和天皇の御病気の際、国民の記帳は650万人を数え(平成元年、警察白書)、地方の記帳所を含めるとおそらく1000万人近い国民が平癒を祈念したものの、年を越し1月7日崩御されたわけで、あれから平成の世として30年。当時、中学生だったわたしも、今は亡き父に連れられ皇居に記帳しに行ったことが思い起こされます。
    昭和天皇のお心持があるいは「贖罪」であったか否かはともかく、国民は充分に理解し受け止めたということは、上記の数字がそれを表しています。

    翻ってその平成も終わりを迎えようとしている。
    新年一般参賀は15万人ですか、、昭和天皇から今上陛下、そして新天皇として即位される皇太子徳仁親王、そのお心持を「動的象徴」として継承されるかぎり、「国はやすからむ」。
    古(いにしへ)よりの我が国の「かたち」といえますね。

  7. 【5249935】 投稿者: ちはやふる  (ID:srT6OWnBAsU) 投稿日時:2019年 01月 04日 09:05

    昭和天皇の御製は、ネットで拝見できるので、私も何首か読みました。
    昭和25年以降、戦争に関するお歌が、多いように思います。やはり、いつも気にかけておられたことが、想像できます。
    その御遺志は、ひめゆりの塔でも怯まず、沖縄を常に気にかけておられた、今上陛下が、きちんと受け継いでおいでになると思います。
    その今上陛下ですが、新年祝賀の儀で、ふらつく場面があったとか。ニュースでは、宮中行事から立て続けのお務めで、お疲れになったのでは?としか報道されておりませんが、心配申し上げます。
    それにしても、元旦早々、宮中行事って、詳しく報道されてませんが、いったい何かしら? 陛下の御年を鑑み、執り行うべきものだったのか、疑問もわいてしまいます。

  8. 【5250510】 投稿者: イワサキ  (ID:DtOxSISpELI) 投稿日時:2019年 01月 04日 18:44

    元旦早々の宮中行事には四方拝があります。
    1/1の午前5時半から、伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵、先帝三代陵、武蔵国一宮(大宮氷川神社)、山城国一宮(賀茂別雷神社、賀茂御祖神社)、岩清水八幡宮、熱田神宮、常陸国一宮(鹿島神宮)、下総国一宮(香取神宮)の方角に拝礼して祈りを捧げる祭祀を行ってます。
    伊勢神宮と岩清水八幡宮は皇室が詣でる二所宗廟、道鏡事件で天皇家を救った宇佐神宮を京都に分霊されたのが岩清水八幡宮です、
    宮中祭祀は天皇家の私的行事にされているのでマスコミもわざと詳しく報じないと思うよ、祭祀の祝詞や舞などに我国建国の謎が含まれているのではと考えてます。平成最後の年頭祭祀なのできっちり行われたのではないだろうか
    天皇陛下としての最後の務めとして
    以前にも書き込んでたので貼っときます

    宮中祭祀に伴う代拝不可
    天皇陛下自らが、祭祀を行わなければならない祭祀。これは皇室典範にも規定されていない、政教分離なので、法律で規定することはできない。
    例えば、年初に行われる四方拝、これは代拝不可であり、例え摂政をおいたとしても、国事行為(皇室典範に定められた)は代行できるが、宮中祭祀はできない。
    年間を通じて多くの宮中祭祀(四方拝、神嘗祭、鎮魂祭、招魂祭、新嘗祭などまだ多くあり)は皇室典範には規定されていない宮中祭祀となる。
    年初に行われる四方拝では元日から三日まで寝ないでお祈りになられる。
    万が一寝てしまい、悪い夢でも見てしまえば魔訶事になってしまうからである。
    五穀豊穣、民の安寧をひたすらお祈りするわけである。
    80歳を超える天皇陛下が寝ずに祈ることは体力的にも厳しい、象徴としての務めをしっかり繋いでいきたい、これが天皇陛下の大御心である。

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