アートの才能を伸ばす女子教育
中学受験に大きな影響あり!地方創世って?
内閣官房の地方創世により教育が大きく歪められていると思います。
早稲田は2年間で合格者数半分に…。
本当に地方創世って教育を歪めるほどのスピードで行わないといけないものでしょうか?
東京都は2月に反対の緊急提言を出しましたが、本日の国会でも強行していくことを明言した政府。
教育の観点から合格者数を減らすならわかるけれど、「地方創世のため」で跡付けの理由というのはおかしいと思います。
中学受験はこれから早慶附属校を中心に、附属校の人気が大幅に高まるでしょうが、将来の日本にとって大きなマイナスとなると感じます。
>しかし、主権者たる国民の合意によって憲法典-日本国憲法-が制定され、それが制限規範性を有する以上、われわれはそれらを大前提に議論かつ行動する必要があるといえる。
これはとんでもない間違いですよ。現行の日本国憲法は主権者たる国民の合意によって制定されていません。占領軍が、英文で作成した素案をそのまま翻訳して定めたものです。もちろん当時の国会の承認はあったかと思いますが、国民的議論の末に定められたものではない”押し付け”の憲法であるというのは定説でしょう。だから、自民党は国民的議論を巻き起こして、この憲法を見直し、自主憲法を制定するというのを党是にしているのです。
もう一つ、前衛党さんの法理論は社会の安定を基礎づける「規範性」にばかり重点を置いて、超越的な「普遍性」の体現としての法体系という側面の考察が足りないように思う。法というのは、社会生活を秩序だて安定化させるために形成されてきた「慣習」「規範」「ルール」とかいったものの歴史的な積み重ねの上に成り立っているものだから、常に、歴史的経緯としての「判例」に準拠して理解し解釈して運用していかなければならないという態度が強すぎると思う。
それらのものに依拠して成文化された「実定法」の裏側には常にそれを基礎づける「自然法」が存在する。この観点が抜け落ちている。
例えば、ヘーゲルは歴史の背後にガイストの自己展開を見ていたし、ハイデッカーは、存在者の裏側に存在を見ていた。現象学では、現行秩序である世界定立は、常に上位にある「超越論的意識」からのフィードバックがなされることを通して書き換えが行われるべきとしている。
法理論でも、「実定法」を背後で基礎づける「自然法」に依拠するという考え方に立脚すべきである。そして、人々は理性を働かせることにより、この「自然法」に近づくことができる。つまり、国民的議論を巻き起こして理性を通じて「自然法」の所在を探り、「実定法」にすぎない現行の憲法を改正していくことができるし、今そうすべきである。
前衛党さんのお考えを聞きたい。
お答えしよう。長いが、ご容赦願いたい。
たしかにGHQ憲法草案がわが国政府に押し付けられたとの側面はあった。しかし、それは当時の為政者らがポツダム宣言受諾の意義が理解できず、天皇親政であった明治憲法的価値観から脱却できなかったのがその原因である。すなわち、当時の日本政府の考えや態度があまりに問題多く、占領軍からの圧力を招いてしまったというものであった。
また、現行憲法はそれが争点となった衆院選挙を経て、かつその後の議会の正式な手続きによって可決・制定された。当時の状況下で形式的手続きは満たしていたことになる。さらに、新憲法が押しつけられた以上に日本国民に積極的に受け入れられてきたことも事実である。改憲を党是とする政党がこの国の政治・行政を長期間に亘り担ってきたにもかかわらず、施行後71年経過した今日まで、一度として憲法改定が具体的俎上に上ったことがないとの事実がそれを雄弁に物語る。換言すれば、たとえ旧支配層にとって「押し付けられた」憲法ではあっても、大多数の国民は押し付けられたとは感じず、むしろ明治憲法の束縛から国民を解放する憲法だと評価、歓迎したということである。
なによりも、当時の新憲法がファシズムの再現に反対する世界の民主主義的思潮の流れに沿ったものであったという歴史的意義に注視すべきだ。それは第一次大戦の反省として誕生した戦争違法化の概念を国際連盟常任理事国であった日帝自身が自らご破算にした-満州事変によって-経緯ある当時のわが国に課せられた国際社会への真摯な反省と平和への誓約という意味を有していたのである。
「自然法」の問題はどうお考えですか?
以前お聞きして回答をいただきましたが、あれでよろしいですか?
つまり、「神の存在が科学的に証明できない以上、神が定めた自然法というのは荒唐無稽である」というお考えですか。
後段の議論については、すでに私見をご披露済みである。ご確認願いたい。
たしかに現行憲法は自然権の考え方に立脚している。しかし、この考え方の沿革をみると、それは大革命期のフランスのように、圧政下のもとで国法を根拠として個人の権利を主張することが困難ゆえに生み出された、便宜的な考え方であったということが分かる。もちろんそれが果たした歴史的意義は認めるが、圧政下ではなく、科学が発展した今日のわが国において、中世カトリック哲学の影響濃厚なその考え方にどのような合理性が認められようか。
そもそも自然法を誕生させたという御方は今どこにお出でになり、自然法を肯定するあなたご自身、その殿上人=神様といつどのような形で接触なさったのであろうか。ご教示願いたいものだ。
そういった理論的に弱点有する自然法を法の根拠として用いることには危険性が多い。それゆえ、ハイデッカーのようにナチス・ドイツの思想に賛意を表するバカ者すら現れたのである。
>そもそも自然法を誕生させたという御方は今どこにお出でになり、自然法を肯定するあなたご自身、その殿上人=神様といつどのような形で接触なさったのであろうか。ご教示願いたいものだ。
こういう低次元な議論に持ち込もうとすること自体、欧米発祥の社会科学の本質を理解しておいででない。中世神学における神の存在が問題なのではなくて、欧米の社会科学は常に上位にまたは背後に「普遍性」を想定していて、そこからのフィードバックで現行の世界定立は変更可能であるという視点を有しているという構造を踏まえることが重要だと言っているのです。
規範やルール、慣習法や判例法という世界定立は、相対的な現実で、つねに理性によって問いただされる「普遍性」に遡り、その地点から検証することによって改善していくことができるという視点が、欧米の社会科学の本質だということです。
前衛党さんの法理論はそういう視点が著しく欠如している。
>中世神学における神の存在が問題なのではなくて、欧米の社会科学は常に上位にまたは背後に「普遍性」を想定していて、そこからのフィードバックで現行の世界定立は変更可能であるという視点を有しているという構造を踏まえることが重要だと言っているのです。
それは自然法学成立の沿革を無視した議論ではあるまいか。
なにゆえ、「欧米の社会科学は常に上位にまたは背後に「普遍性」を想定し」たのかね。その根拠・理由は何だとお考えかな。誰かが「普遍性」と唱えれば、神のお題目のように化するとでも?
そこを誤魔かす議論なら、検討に値しまい。
私には聖書の冒頭にある「神が地球を造った」のと同じ次元であるように聞こえる。それは信仰の世界では許されても、合理的な科学の世界で通用する議論ではない。そのような根拠薄弱な事由でもって、死刑さえ合法化できる根拠とするべきではない。
かつてTVの改憲に関わる議論にて、自民党の片山さつき議員が自然法思想を批判しつつ改憲の必要性を唱えていた。東大法学部出身の彼女は、自然法の有する理論的弱点を承知の上で、それを攻撃したものと思われる。
このように、声高な改憲勢力に対する理論的反撃の根拠として、自然法思想はあまりに脆弱である。あの東大の故芦部博士も、人権の本質的根拠を従来の自然法による普遍性から、国際人権規約等による実定法に変更されている。































