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【3655464】親が必死になり過ぎる中学受験は駄目

投稿者: 動機が大事だよね   (ID:B0RZrB8Pvnw) 投稿日時:2015年 02月 03日 08:16

子供の人生に親が介入するのはよくない。どんな環境でも顕れる能力なら出てくる。子供は子供の能力と才覚で人生をやっていくしかない。


親がやれることなど高がしれている。後ろから見ていて転びそうな時だけ手を出すので十分。目いっぱいに塾通いさせて人生の目的を中学合格におくなんてなんとも淋しすぎる。


もう一度書こう。その子のもっている能力は中学、高校と次第に現れてくる。小学校段階の詰め込んだ知識など自覚的な勉強を始めた子供はあっという間に追いつき追い抜く。 子供が子供らしい遊びをして意欲溢れる毎日を送っていれば子育てはそれだけで成功だ。小賢しい知識などどうでもいい。

あとは自分自身で伸びていく。 他人に教えられた付け焼刃の知識などでは自分自身の性向も関心も興味も伸びていかない。いずれ頭打ちになるだろう。


親は必死になり過ぎずに子供の能力、志向、性癖をみてゆっくり育つのを待つことだ。促成栽培で頭でっかちにしてどうする。一生を試験人間で終わらせるつもりか?

試験、試験でやるより自然とともに育って何かを感じたり考えたりする芽を作るほうが遥かに大事。  中学受験などやらなくても子供は立派な大人になれる。
要は親がそれを信じられるかどうかだ。


子供は自分自身で育つ。

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  1. 【3661436】 投稿者: あおいとり  (ID:h8XkEP4ouO6) 投稿日時:2015年 02月 08日 15:43

     基本的にはどうしてもしなければならないというものではないけれど、それなりの効用もあるからこそ親も子も頑張っているのも確かだと思います。両刃の剣ではありますが。
    効用
    ○小学4年生前後という時期は、まとまった時間反復的な作業にとりくめるようになる時期である一方、反抗期にさしかかる前である、という「学習の仕方を身につける」上で絶妙なタイミングである、といえます。そのきっかけ作りとして中学受験を位置付ける保護者も多いようです。
    ○地域事情によっては、地元校の授業水準が低すぎて、本人の能力からみるとあまりにも物足りな過ぎる授業につきあわされるために、伸ばせるはずの能力も伸ばせないということもあります。そういう子には「最低限まともな学習が成り立つ条件を確保するための中学受験」というニーズがあります。
    ○早熟で周りの子と話題が合わない、いじめを現に受けているなど、今いるコミュニティーで生きづらさを感じている子どもにとっては既存の人間関係をリセットする手段として求められている面もあります。
     そうした子どもにとっては、中学受験という解決手段には、転居や転校と違って「自分の努力で勝ち取った成功体験」であり、自分への自信を深め、勝者としての立場で不幸な関係を清算して、より趣味の合う仲間を見つけられて「頑張ればより快適に生きられる人的環境を手に入れることができる」精神的財産として残るという魅力があります。

    問題点
    ○中学受験のカリキュラムの中には、とりわけ算数だと中学以降のカリキュラムと断絶した領域があって、中学に入ってからのことを考えると回り道である領域のために労力を過度に浪費し、「数学の考え方」への切り換えがうまくいかなくなることが少なからずあります。
    ○既存の人間関係が概ねうまくいっているのに、受験生活により無理にその友人関係から引き離すと、本来起こさなくても良かった問題を発生させてしまいやすくなります。
    ○入学した先が、進学実績を追求するあまり過度の「先取り学習」を売りにしていると、基本が身につかないままカリキュラムが進んでしまい、かえって学力が伸び悩む人が多く、偶々それに適応した少数の生徒の大学合格実績を看板に掲げる「一将功成りて万骨枯る」という事態になりがちです。

    どちらかといえば、進学など遠い将来のためというよりは、子どもが今、あるいは中学生時代を幸せでいられるために必要かどうかという考え方でするかしないかを判断するのがいいと思います。

  2. 【3661509】 投稿者: 栄枯盛衰  (ID:mI.LrJkMoNk) 投稿日時:2015年 02月 08日 16:44

    あおいとりさんのご意見に概ね納得ですが、以下の部分には反対です。

    >中学受験のカリキュラムの中には、とりわけ算数だと中学以降のカリキュラムと断絶した領域があって、中学に入ってか>らのことを考えると回り道である領域のために労力を過度に浪費し、「数学の考え方」への切り換えがうまくいかなくな>ることが少なからずあります。


     中学受験の算数(つるかめ算などの連立方程式の応用)が数学のために必ずしも必要でない、とは言えますが、かえって有害、とも思えません。方程式を教えれば、中学受験でやったことはこういう風に定式化して解けるんだ、と思うだけです。むしろ、場合の数や立体把握力など、中学受験の考え方が大学受験の数学の考え方に直結する分野もあります。
    むしろ、中学受験の高校受験に対する弱点は、英語にあると思います。高校受験がないので、勉強しない子は勉強しないので、開成や筑駒でも、英語については高校受験組の方ができるケースが多いのです(帰国子女等は除く)。

  3. 【3661617】 投稿者: ↑  (ID:erBXyWfSJ7c) 投稿日時:2015年 02月 08日 18:29

    栄枯盛衰さんにはげしく同意。

    よく算数は数学の役に立たないという方がおられるが、どっこい数学脳を作る基礎みたいなもの。このようなことを言われるのはたぶん文系のかわずさんでしょうね。

  4. 【3661638】 投稿者: でもね、  (ID:gjC0ZQLK0Gk) 投稿日時:2015年 02月 08日 18:58

    中受算数で数オリレベルのお子さんが中受後数学が振るわなかったり、
    中受算数はどうがんばってもトップに行けなかったお子さんが数学はトップに抜けたり
    そういう事例は多々ありますからね。

  5. 【3661684】 投稿者: バラード  (ID:hR7GFCAUQ3c) 投稿日時:2015年 02月 08日 20:08

    広い目でとらえれば、算数も数学の一部と思っています。
    わざわざ名前を算数、数学などと分けることもないし、算術とか、幾何とか代数とか分けるのは、昔か今か、小学校か、中学かくらいの差かなと思ってます。

    そろそろ、算数と数学の切りわけというか、小学校はここまで、中学からはここからなんてこともなくなり、規制緩和的に(どの科目も)なっていくのではと思いますし、これも教育改革の一つでしょう。

    余談ですが、江戸の鎖国時代に関孝和含めて、微積分や図形空間認識も研究されていたようで、以降日本人は数学に関しては世界的に能力を認められている民族らしいです。

    英語も東京オリンピックという大義名分だけでなく、必然的に使える英語に切り替わるでしょうし、せっかく中高6年間最低ほぼ毎日学んだにもかかわらず、国民の8-9割は使えない英語であるということはだんだんなくなっていくと思います。

    高校、大学の入試英語も、受験英語で、国語/英語的、論説文や評論、社会系、理系、芸術系の文章を日本人として理解しているかどうかの問題が多いと思いますが、これも世界標準になれば、変わっていくと思います。ほんとの日本語抜きの英語力になると思います。

    狭い日本の中で、現状の狭いシステムの中でだけ考えていると、なかなか勉強とか、学習とか、点数上げるための勉強とか試験のための勉強になりがちですが、世界を見据えて、初等教育は、中等教育は、さらに大学や院では、どういうスタイルで学ぶべきなのか、日本の教育真価が問われていく時期に入ってきていると思います。

  6. 【3661803】 投稿者: ↑  (ID:erBXyWfSJ7c) 投稿日時:2015年 02月 08日 22:49

    バラードって日本人?日本人的でないというかいいかげんというか。これ私の印象。

    >そろそろ、算数と数学の切りわけというか、小学校はここまで、中学からはここからなんてこともなくなり---
    規制緩和的に(どの科目も)なっていくのではと思いますし---教育改革の一つでしょう。

    ありえないでしょ。能力が異なる児童、生徒に対する義務教育です。徐々にしか高められない総体の理解度のために細かく単元を分けて教えざるを得ない。これは公共義務教育である限り未来永劫かわらんでしょ。そもそも算数は文系にわかりやすく言えば、言葉の会話能力、数学は文法、作文という言語学で違ったものとおもうけどね。
    万民共通の信じることから始まる神学以外どこの国もやってないし。これが教育改革になるわけないでしょ。

    >また江戸の鎖国時代---以降日本人は数学に関しては世界的に能力を認められている民族らしいです。

    どこが???。アメリカの一般人などと比較すると、相手が低すぎて日本人は平均としても優秀とはなるが、シンガポール、北欧と比べれば低いよね。

    >高校、大学の入試英語も、受験英語で、---日本人として理解しているかどうかの問題が多いと思いますが、これも世界標準になれば、変わっていくと思います。

    世界標準ってどんなの??。ぜひおしえてほしいもの。勧告、ISOなんかにあるのかね? 無いと思うけど。

    >世界を見据えて、初等教育は、中等教育は、さらに大学や院では、どういうスタイルで学ぶべきなのか、日本の教育真価が問われていく時期に入ってきていると思います。

    そんなのにはなってないし、なってほしくないネ。どっかの国と違ってとっくの昔に世界を見据えていますよ。だから日本はここまでこれたのと思います。どういうスタイルで学ぶべきなのかは学生側の話でしょ。日本の教育云々となると文科省、大学側だよね。ほんとあなたの言うこと無味以外わけわかりません。

    相変わらず、かってな想像と当たり前のこといきあたりばったりの意味不明のことしかいってないとおもいます。

    日本の教育そんなに悪いですか?私は、貧富で差別できる私学ゆえに成り立つ北米AO選抜なるものを、みなさんに公明正大平等な日本の国立大学に持ち込んでほしくないと思っています。幸い、東大などの学校側の対応を読むと、さすがと思う考えで対応なさっており、安堵しているところです。今以上に勉強が厳しくなり、対応できる逸材をかかえるトップ新学校がより有利になるかなと思っています。

    個人的には、あなたの欧米教育信仰、特にアメリカのAO信奉は、理解できません。人違いならごめんなさい。

  7. 【3662021】 投稿者: 英語  (ID:aulGpqcXS6.) 投稿日時:2015年 02月 09日 08:49

    ヨコですが。

    よく「中高六年間学んだ英語なのに、使えない」と言われますが、

    使えないのは、習う側の怠慢だと思います。

    だいたい、中高六年間授業を受けてはいるけど、ちゃんと勉強してないでしょ?習ったって、マスターしなけりゃ、「六年間学んだ」とは言えないですよ。

    中高六年間の英語を完璧に勉強したなら、少なくとも国公立の英語の入試問題は解けなくちゃおかしいですよね。そのレベルで高校を卒業していくヒト、どれくらいいますか?

    わたしは国立理系卒だけど、英会話教室などのオプション無しでも、研究室に留学してきたJICAの学生さん達とのコミニケーション(実験指導とかディスカッションとか、学食でランチとか風邪ひいたら薬局へ連れてって薬の説明とか…程度)は、充分できました。受験英語で充分でしたよ。

  8. 【3662074】 投稿者: 小心者  (ID:NttypJlkAig) 投稿日時:2015年 02月 09日 09:46

    「中高六年間学んだ英語なのに、使えない」と言っている国会議員って、自分ができないからみたいですよ。
    学校(教育制度)のせいにしてるわけですが、こういって利害関係を発生させて産業振興につなげるわけですね。
    だってすぐTVCMが始まるじゃないですか。
    なんとかラーニングなんて、会話と語学をごっちゃにしてて笑っちゃいます。
    日本人の「心配性」という性質も元にはあるんじゃないでしょうか。
    だから「必死」になるわけですね。
    お隣の国も受験の季節には「必死」になっているようですが、これとはどうなんでしょうね。
    余計な話かな。

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