女子美の中高大連携授業
公文について…思うこと
何箇所かのスレッドに書き込みをしてきましたが、スレ主となってここに私の書き込みをまとめる事にしました。
2006年06月29日 14:26
【397191】 Re: 公文プリント教材のジレンマ・・
ある公文教室でスタッフ(採点のパート)として働いていましたが、最近辞めました。
理由は・・・公文は子どもの能力を潰してしまうのではないか?という危険性を感じたからです。というより3年間見てきて、やはり間違いないと思いました。自分がそれに手を貸していると思うと、もう勤め続ける事は無理と判断しました。
「標準完成時間」…これが一番やっかい。ゆっくり考えながら取り組む事を許さないシステムになっています。「理解」より先に「できる」ということを優先します。
生徒さんのなかには1日分の問題(100問くらいの計算問題)の3〜4割を常に間違う子もいます。正しく計算するということより、時間内に終わらせる事を優先するため、何も考えないでただひたすら終わらせる事だけに集中しているようです。間違えた問題の訂正には膨大な時間がかかります。無駄なエネルギーの消費をしているように感じます。
要するに「できれば」先へ進む。決して「理解」はしていない。理解していないのにどんどん先に進んでいくって恐ろしい事だと思います。親も子も、その辺のところに全く気がつかないで、無意味な優越感にひたっている。
公文教育の問題点について書かれている本が出ていますので、公文をはじめようという方は一度読んで見たほうが良いと思います。
「危ない公文式早期教育」保坂展人
「公文式“プリント狂”時代の終わり」平井 雷太
ひとつの教育法に対して、このように強烈に批判する本が出ているのです。
アマゾンで検索してみてください。
我が家の一家全員の能力を見ていると、多種多様です。
私には、ひらめきがありません。
そろばんのお陰で計算力だけはあります。
小学校の算数は、この計算力だけで充分出来ました。
中学になると、勉強もしないので、成績は、どんどん落ちました。
でも、ある時から解答を一切見れず、合うまで何度もやり直しを一年間。
次々に他の単元が入ってくるので、それをやりながらなので、
違う問題はたまる一方でした。
その後、高校へと進み、授業で一度聞けば、スラスラ解けるようになりました。
あの1年間は、時間が無駄なように思えて、かなり考える力をつけてくれました。
が、当然、習ってないものについては、解けない壁もありました。
し、どうしても解けない応用もありました。
計算力は、必要なかったと思い、一人の子にはあまり重視しませんでした。
もう一人は、しっかりと計算させてきました。思考力と言われる問題にもあたらせました。
一人は、計算力がないために、式はたてれても、計算が面倒で
問題にあたろうというやる気がおきないようです。
もう一人は、計算力はあるものの、すぐにあきらめてしまい、式がたてれない。
きっちり何が書いてあるのかも理解しようとしません。
式さえたてれば、あとは、スラスラ出来るのに・・。
思考力と言われる問題にあたらせたにも関わらず、その効果は目に見えません。
本人苦手と思っていますが、暗記が得意に見えます。
夫はというもの、説明書などきっちり読まず、わかったと思って組み立てる。
結局、最後には合わなくなり、ばらさなくてはなりません。
文章を読み取る力も思考力があるようにはとても思えません。
なのに、見ていると、ひらめき、だけはあるようです。
私は、反対できっちり読んで理解しなければ先にすすめません。
理解したいがために、文を区切りながら考えるし、図におこします。
しかし、ひらめきというものは、全くありません。
計算は暗算か、筆算を書きます。
計算の工夫というものは、大人になって知りました。
それでも、計算の工夫の見つけ方は、すぐにわかりました。
私自身の経験、もしくは家族をみていて思うのは、
計算力をつけながら、文章を読み取る力、そしてあきらめない力を
つけていけばよいのではないかという実感です。
専門的なことはわかりませんが、実感です。
塾先生のブログ・サイトにすべて目を通さなければ理解できない主張なら、最初から匿名掲示板などに書き込みすべきではなかったのです。匿名掲示板に好き放題を書いたあげく、突っ込まれたら、わけのわからないキーワードを挙げ、これで検索すればわかると言い放つ。こんな馬鹿げた主張が罷り通るわけがありません。あげくの果ては
>お互いが素顔を曝して討論し合うなら、私は全てを曝しましょう。
違うでしょう。ここは匿名掲示板。嫌な思いをしたくなかったのなら、出てこなければ良かっただけのことです。
それから、昨日から質問しているのですが、一日最大2問の計算演習、九九も学ばないといった学習がどれほどの効果を生むのか実績はあるのですか?灘生がノーベル賞を取れると豪語しているくらいだから、当然凡人が東大に受かるくらいの効果はあるんでしょうね?それともただの印象で語っているのでしょうか?
-どんぐりについて- (ID:nDIJFN4bXS.) さんへ:
※今回の投稿内容はamazinでの「子育てと教育の大原則」に対するミトプーさんのレビューです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4767804639/qid%3D1130213320/sr%3D1-3/ref%3Dsr%5F1%5F10%5F3/249-1367172-0667556
●本一冊に書ける内容は倶楽部全体の1/100もありません。それをそのまま全体の批判に使うのは無理がありますし大変失礼ですね。
>>実践のアイデアの提示があるのかといえば、それもない。
●山ほどありますよ。
http://blogs.yahoo.co.jp/interedulog/10297382.html
★花火さんへ
あなたの投稿を読んでも、私は何も感じません。
腹も立たなければ、悲しくもない。
私に向けられるものに対しては。
しかし、ここに登場した先生方を侮辱するのは止めてください。
「本当によいものは」さんの言葉を借りると、先生方は「それぞれ長年の教育経験をもとに、ご自身で編み出された最善の学習法」をここに書き込んで下さったのでしょう。
本来なら、その塾で編み出した「やりかた」は企業秘密であるのに、です。
もちろん、その塾によって、塾長さんによって、考え方や指導法はちがいます。
ここに登場する先生方の考えが大多数とは思っていません。
それよりもごく少数派なのかもしれません。
「反復練習こそが学力の基礎」と思っている人の方が断然多いのは事実。
学力の基本って何でしょうか?「読み書き計算」でしょうか?
違います。
「何にでも応用が利く力」
私はこう思っています。
最後に、
あなたは今、幸せですか?
あなたの周りの人はどうですか?
私は幸せですよ、とっても。
脱線しましたね。ごめんなさい。
では。
あまり売り言葉に買い言葉的な応酬になって欲しくないのですが・・・。
全然平行線だとしても、面白いテーマだと思っていますので残念です。
私は公文批判の方が、「公文がうまくいった人はどっぷり浸からなかったから、
うまくいかない人はどっぷり浸かったから」みたいな言い方をされるのは「?」です。
それで全部議論は終わってしまいます。
そもそも、数学センスというもの、産まれ持った素質は必ず差があると思いますし、
塾の先生方はその道のプロですから、よりよくセンスのいい数学、数の楽しさを
伝えたいという熱意があるのはわかります。
でも多くの子ども、平均的母親は、数学的知識をさほど必要とせず生活しますし、
目の前の小中学校で習う算数、数学をこなして上の学校に行き、それぞれ好きな
専門分野が少しづつ定まりますが、その場合の数学は、必ずしも数学の楽しさを
理解していなくても、とりあえず点数を稼いで授業の理解に利用できればいい、という
手段ではないでしょうか。算数が目的ではない、というか。
かつ、その方法論の正しさだけでなく(科学的根拠を待つ時間もないですし。わが子の
成長は待ったなしです)それ以外の精神的な面が学業を伸ばす点も、小さい頃ほど
無視できないくらい大きいものなので、そういった部分は比べようがないでしょう。
わが子を見てみると、上の子はプリント大好きで中学生の今のところ、数学は得意分野
なのですが、どうもあまり算数センスはないように思います。そのうち高校になれば
化けの皮がはがれるかな?と思っていますが、これが公文でついた力のおかげで
ゲタを履いている状態なのであっても、それはそれで利用できていると思います。
この先どこかで頭打ちになったとして、もし低学年で公文をせずにいたことと比べれば
やっててよかったという満足感はあります。
下の子は今受験準備中ですが、こちらの方が小さいときから算数的センスというか
ひらめきがあるタイプだと思っていました。
が、公文はどうしても気が向かないらしく、受験塾に完全に移行してしまいましたので
(こちらは楽しそうです)塾の先生方のおっしゃることも、実感としてよくわかるのです。
塾の先生の推奨する、数問をじっくり考えさせる授業は、小学校でこそ先生にやっていただきたい
授業です。かなり子どもに集中力や緊張感を持たせる必要があると思うので、家庭より
教室が向いているような気がします。
なんにでも応用が利く力・・・。
簡単におっしゃいますけど、その力をつけるためには基本がしっかりしている、という
土台が必要なのでは?
娘はピアノをしていますが、毎日毎日基礎練習を積み上げてきて今があります。
いくら好きな曲を弾きこなしたくても指が動かなくては始まりません。
練習用に編集された教本は時に味気ないと感じますが、最初っからショパンやベートーベンが弾けるわけではありません。
伴奏をつけるにもオリジナルの曲を弾くにも基礎練習を通して体で覚えてきた蓄積があるからこそ
ひらめく、というのがあります。
基礎練習に終わってはなにもなりませんが、基礎練習を抜きにしては好きな曲を弾くこともできません。
公文をしていらっしゃる方の中で公文すらままならなかった人が塾へ行かれて
公文が悪かった、とおっしゃっているのではないですか?
たいていの公文をしていらっしゃる方は公文だけをしている人っていないのでは?
たくさんの思考モデル構築の中のひとつの手段として公文をしているだけで
そういう方が他のいろんな知的探究心をもって他の思考モデル構築をしておられないとはとても思えませんが。
私も花火さんのお子さんは印象から1年生とか2年生くらいだと思っていました。
★卒業親さんへ★
こういった場での議論って難しいですね。実感です。ははっ。
>塾の先生の推奨する、数問をじっくり考えさせる授業は、小学校でこそやっていただきたい
そう思います。それができれば一番ですよね。フィンランドのように。
私がこのスレを立てたのは、公文を選ぶにしても、「公文のシステムや考え方、それについてさまざまな意見があることを知って」での選択である方がよりいいと思うからです。
「皆が行くから」「良さそうだから」「何もしないのは不安だから」「子どもが行きたがったので」と何の情報も得ずに公文に通っている方に対し、一度立ち止まって考えてほしかったのです。
前にも書きましたが、いろいろ知って吟味した上で、「やはり公文」であるなら、それでいいのです。それぞれで判断すべきことです。
公文の先生(指導者)は能力や指導力にばらつきがあるのは気になるとしても、皆、熱心である事に間違いはありません。公文を愛し、子どもたちを伸ばそうと全精力を傾けている。
「お金儲け」でという人がいますが、それはないと思いますよ。だって個々の教室の先生はまず儲からないシステムになっていますから。
(公文本部に高いロイヤリティを収め、教室の家賃を払い、スタッフの給料を払い、教材は全て公文から購入、備品は全て自分持ち、生徒が減って経営が成り立たなくなったとしても本部は助けてくれません。泣く泣く子どもたちのために続けている指導者もいるくらいです)
熱心な教室の指導者と、これまた公文を愛する親御さん、必死にがんばる子どもたちに支えられている日本公文教育研究会。ほんの一握りの本部の社員だけが、そのうえに悠然と乗っかっている。私にはそう感じられるのです。
こんな私ですが、「教室を持たないか?」と持ちかけられたことがあります。教室の先生(指導者)にならないか?という誘いです。公文も人材不足なんでしょうねえ。(苦笑)
もちろんその場でお断りしましたが、そのとき言われたことは、
「公文のやり方は全てこちらで学んでいただきます。意欲さえあればだれでもできるんです。」
参りました。誰でもできるって…?
あ、また余計な事、書いちゃいました。
この議論もだいぶ煮詰まってきたようです。
そろそろ〆に向かうか・・・(ひとりごとです)




































