伝え続けることの難しさと大切さ(2ページ目)

被災地で出会ったおじさんからの言葉とは…

塩釜は取材行程の関係で、一時、私一人だけの時間があり、その時間を使って町の様子を撮影していました。
海側に小さな仮設商店街があり、その周辺を撮影していたときのことです。ある70代くらいのおじさんが車の中から「何されているんですか?」と声をかけてきたのです。
やはり気に障る行為だったかとドキッとしました。
「観光です」と言ってしまえば、それでスルーされることかもしれませんが、ここは正直に、媒体名と目的についてお話したところ、その方は、東京から来た私を労らってくれ、さらにご自身は松島の遊覧船の船長をしていたこと、その遊覧船も津波の被害にあったことなどを話してくれました。
そして別れ際、「しっかり見て伝えてくださいね」という言葉をかけてくれたのです。
この言葉にようやく私の腹は決まりました。

その後、震災に関する取材は2017年まで続き、プライベートも含めて毎年被災地を訪問していました。その時の取材も、他の仕事でも、仕事を進めていく上で「しっかり見て伝える」という姿勢は、今でも私の中の芯柱の一つです。
もちろん「伝え方と伝わり方は違う」ということも心の片隅に置きながら、伝えるとはどういうことかを忘れないようにしようと心がけています。
(この当たり前のことがなかなかできないときもありますが。)

子どもたちに伝えていくのは身近な大人の経験から

さて、震災から10年経った今年、さまざまな報道の中で「風化」という言葉を耳にすることが今まで以上に増えてきました。語り継ぐこと、伝えていくことの難しさが感じられます。

東日本での地域的な出来事でもあるし、年月が経てば記憶も薄れるし、震災後に生まれた子どもたちも増えてきます。日常の中で意識することは少なくなってくるでしょう。

とはいえ、災害後は次の災害前でもありますし、被災した地域はまだまだ応援が必要だったりします。そこで、(エデュの読者は、お子さんが10歳前後の方が多いと思うので)3月11日の地震を経験した親御さんは、その時自分がどうしていたのか、身の回りでどんなことが起こっていたのかを、お子さんたちに話したりして欲しいなと思っています。
一番身近な大人があの日、どんな経験をしたのか、そのことが、震災のことや原発事故のこと、東北地方のこと、そして災害に備えるということを考え、関心を寄せるきっかけにもなるのではないか。
伝える立場から応援する立場に変わった者としての小さな思いです。