伝え続けることの難しさと大切さ

暖かい日も増え、すずりさんの冬毛も抜け始めました。これから部屋中黒い毛だらけになってきます。

こんにちは、秀鈴です。
3月に入り、卒業式や入学式の話題を目にするようになりました。すでに息子が社会人となった今、いろいろと懐かしい思いです。

さて今回の記事、時期的なことを考えれば、息子の大学受験などのあれやこれやを書こうと思っていたのですが、このブログを書き始めたのがちょうど3月11日。どうしても東日本大震災に関して思い出が強烈に溢れてきてしまっています。震災は私が仕事をしていく上で、いくつめかのターニングポイントになったとも言える出来事でもありました。なので、ちょっとこの話を書かせてください。

被災地取材の経験

気仙沼市本吉町小泉地区。高台にある小泉小学校より撮影(2013.11)。海は写真の左側にあります。道路はまだ仮設状態。瓦礫はほぼ撤去されていましたが、“何もない大きさ”に唖然としました

思い出というのは発災直後のことではなく、2013年のことになります。この年の4月から、私はある機関の広報誌の編集を担当していました。最初のミーティングで、1年後には震災特集をすることが決まっていたので、毎月の作業をしつつ、その号に向けての準備をしていました。

震災の報道は、今においても、内容によっては議論が分かれるセンシティブな話題です。そのため、企画だけでなく、自分自身の心持ちもしっかり準備しておかないといけないと思い、11月、まずプライベートで知人がいた宮城県気仙沼市へ。翌年2月に、取材のため岩手県の宮古市、山田町、宮城県仙台市、岩沼市、塩釜市へと向かいました。

取材していた時も、この内容で大丈夫か、自分、そして取材チーム(ライターやカメラマンが同行)含めて、取材への取り組み方は問題ないかいろいろ迷いながらの取材でした。
そんな中、塩釜でこの企画への迷いを断ち切るような出会いがありました。