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【659144】子供の黄金時代を奪ったのは誰か?

投稿者: 河童   (IP Logged) 投稿日時:2007年 06月 13日 05:32


あと3日で親子板も終わる。



それにしても中学受験にかける母親の一生懸命さには
びっくりしました。少学3年よりも低学年から塾や
才能開発?を心配している親のなんと多いことか。



これはどう見ても異常だ。




子供の幸福は大学名、学歴で決まると考えている人が
いまだに大多数なのに驚くとともに子供の人生に母親が
かかわりすぎる。



子供の数が少ないため親が金をかけて子供のレールを
敷こうとしすぎる。子供はあれこれ体験したり何かに感動したり
生命を育てたりすることで様々なことを学ぶのに。


最初からブロイラーのように同質の価値観、経済力を持った
群れのなかで子育てするのは(私立小学校)子供から社会性を
育てる機会を奪っている。これでは世の中に出て世間知らずの
コミュニケーションできない人間を大量生産する。



受験勉強しかやらなかった難関中高一貫出身者は偏差値至上主義の
要領優先主義者(和田秀樹)になり、とてもじゃないがじっくり考え
何かを創造するマインドは育たない。



東大理3にそういう連中がひしめいているようだが、これでは
今後も東大医学部からノーベル賞が出ることはないと断言できる。
子供のころから受験勉強ばかりで遊んでいない連中は感性が
摩滅し、何かに感動するより模試結果に一喜一憂する子供時代を
過ごしてきている。


現状を変えるには公立が復活するしかない。



都立の復活。中学受験という3〜4年にわたる苦役からの解放。
中学受験を多くの家庭がやめるような状況になるまで都立は
合格実績をどんどん伸ばしてほしい。


それが子供に黄金時代を取り戻させ親にも経済的ゆとりが
できひいては少子化対策につながるだろう。


日比谷、西、戸山、などの関係者は是非がんばって1960年代の
都立に戻してほしい。湘南、千葉の復活も切に期待している。


一刻も早く首都圏の受験狂想曲を終わらせよう。
それがあらゆる面で日本の再生につながるだろう。

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  1. 【661560】 投稿者: そうかな  (IP Logged) 投稿日時:2007年 06月 15日 08:33

    私の場合 さんへ:
    -------------------------------------------------------

    >
    > 自分を高めることへの情熱、理想とする目標なくして、受験のモチベーションを
    > 保ち続けることが出来る人は、ある意味特殊なのだと思い、前レスを書きましたが、
    > 東大総長がそう書いているということは、無視できない比率で存在するのでしょう。
    > 驚きです。
    >


    受験が自己目的化している状況が特殊ではなく普通になってしまっていることが問題なのだと思いますよ。
    ○○になりたいから○○学部ではなく、偏差値が良いから医学部みたいな。
    そういう子が大学合格で燃え尽きて目的を失うのだと思います。

  2. 【661600】 投稿者: 私の場合  (IP Logged) 投稿日時:2007年 06月 15日 08:59

    そうかな さんへ


    やっぱり、ゲーム世代は「クリアする」ことに意義を見出して
    しまうのかな?


    東大理?に合格!…エンドロール


    ゲームならまったく新しいソフトでまたスタートするのに、
    自分の人生は続いてしまう。

    どこかでリセットしたくなる


    なんちゃって。
    うちの子もゲーム好きです。

  3. 【661623】 投稿者: 遊ぶだけが子供ではない  (IP Logged) 投稿日時:2007年 06月 15日 09:09

    「子供に幸せになって欲しい」
    これが、みなさんの共通の願いですよね。


    だからこそ、我が子の幸せを親として考えた時に「だから〜」と色々な考え方が出てくる。
    その考え方は当然、長い人生経験を持った母親、父親が「こういう風にしてくれたら、きっと、子供は幸せになってくれるだろう」と愛情から出た希望。。


    私的には<偏差値よりもまず感謝>様がおっしゃる「感謝」と言う言葉が、キーワードのような気がします。(私のつたない文章に対する温かいお言葉、ありがとうございます)


    私自身、お産が体質にあわなくて、母親になる、、という事が、ものすごい高いハードルだった人間です。
    今までの人生の中で、勉強や、仕事は、元々女ガキ大将のようなタイプで、「やれば出来る!」と思い、学校でも実社会でも、自分の願いは頑張れば達成してきたような気がします。


    でも、子供を授かる事だけは違いました。
    努力や根性ではどうにもならないこと。。
    命って本当にすごく尊いものなんだ。。。と。。。
    一人の人間が世の中に存在するって事はすごい事なんだ。。と。。


    なので、私は、まず子供が生まれてくれた時に、心から「生まれてきてくれてありがとう」と思い毎日を生活しております。
    ポンコツな私のお腹の中で一生懸命頑張ってくれた赤ちゃん。
    その一つの命に心から感謝しております。


    だから、自分の経験と照らし合わせながら「ここは譲れない。。」と思う部分と「これは、私の単なる母親としての願いであって、この子にとっては?」といつも自問自答です。


    なぜなら、母親である私は「自分の経験」からしか、子供にとっての幸せを考えてやる事が出来ないからです。
    「私がこうだったから、こうかな。。」と。。。
    逆に「私はこうだったけど、これはこの子にあってないんじゃないか??」と。


    今の日本は、<偏差値よりもまず感謝>様のおっしゃるように、選択肢がたくさんあります。
    小さい子供は何もわかりません。
    だから、親である私達の示す道が、まず、子供の大きな道となっていくと思います。


    世の中には色んな人がいて、色んな考え方の人がいます。
    子供はまず、親を通じて「社会」というものを知るでしょう。


    「感謝の気持ち」「他者を否定しない」生き方をしてらっしゃる親御さんのお子さんは、きっと他者に対して温かい目を持った人間になってくれるような気がします。


    逆に、ガチガチの一定の価値観を持つ親が、「自分の価値観に合わない人間を否定する」ばあい、そういった親のお子さんは「人を見下す」もしくは「自信のない」(自分が親の価値観に合わなくなった場合)人間になっていく確立が高いと思います。
    もちろん、そうでないお子さんもたくさんいると思いますが。。


    私は、我が子が「人を愛せ」「人からも愛してもらえる」人間に育って欲しいと思います。
    それは、他者の考え方を否定しない、「なるほど、こういう考え方もあるのだな、でも、私は違うな〜」という心の広さ。


    人間関係ってそうですよね。
    「自分が嫌いな相手からは、たいがい、自分も嫌われてる」(笑)


    だから私は、「我が子が幸せになって欲しいから」、「我が子が人から愛される子になって欲しい」から、学歴うんぬんよりも、まず、最初に「他人を認める」「他者を否定しない」そういう人間になって欲しいです。


    だから、子供には一定の学力はつけて欲しいなと思います。
    世の中に出た時に「え?」ってわからない事が起きた場合、「この人何を言ってるの?」と感じた時に、本を読んだり、自分の中の「情報を選択する能力」があれば、他者への理解は深まると思うからです。


    それは、私は学歴とはちがう学力=知性のような気がします。


    <私の場合>様や、私はそんな感じじゃないでしょうか?
    そして、そんな親は、まず子供ありきの受験ですので、親が子供に無理強いさせる形での中学受験ではありません。
    そして、そういう親御さんたちも、中学受験組みの中にはたくさんいらっしゃると思います

  4. 【661629】 投稿者: 遊ぶだけが子供ではない  (IP Logged) 投稿日時:2007年 06月 15日 09:11

    長い文章を時間を書けて書いたので、スレの流れに乗ってない話題になってしまいごめんなさい!!

  5. 【661694】 投稿者: 軟弱母  (IP Logged) 投稿日時:2007年 06月 15日 09:39

    子どもの頃に病気でお世話になったお医者さんに憧れた子。
    たまたま読んだ本の中に医学に関するものがあり、興味がわき医者を目指す子になった子。
    野山を駆け巡って、けがをしたとき、生命の神秘を感じ、医療について興味をもった子
    虫に興味をもった結果、生物学・医学へと興味が変化していった子。
    他にも、いろんなきっかけで、医学の道を希望する子もいるでしょう。

    そういう子と、ただ頭がよくて勉強したら医学部に行けただけの人とは、
    人間として、大きく違うと思うのです。

    最終的に医学を目指しても、なんとかなるように、教育環境の良いところに
    子どもをおいておきたい親の気持ちはわかるけれど、
    そのために毎日のように、弁当もって塾が通い・・・というは
    やっぱりちょっと・・・とは思ってしまいます。

    ここで医学をだしたのはただの例えで、何に興味をもって、どういう経路をたどって、何の学問にたどり着くかの基は、自由な時間ではないのかな。
    自由な時間はゲームばかり・・・と言ってもゲームさせないために勉強させることより
    ゲーム依存にさせず他の興味対象物を探すアドバイスをする方が人間的じゃないかな、と思います。

  6. 【661708】 投稿者: 遊ぶだけが子供ではない  (IP Logged) 投稿日時:2007年 06月 15日 09:47

    「自由な時間」そう、、それこそが、今の子供達に一番足りないものではないか。。


    <軟弱母>様に深く同意します。
    そして、その自由な時間の中に「ボーとする時間」も大切ですよね☆


    時間に追い立てられて余裕のない毎日は、嫌です。
    私が一番嫌いな状態かも、、笑☆





  7. 【661718】 投稿者: 要は  (IP Logged) 投稿日時:2007年 06月 15日 09:52

    外遊びめいっぱい!も、いつまでやってるかっていうことでしょ?
    たくさん遊んでいつかはそういう時期も卒業していくんだよね。
    その線引きって周りの大人がするものなの?
    子ども自身だよね。
    個人個人その時期って違うわけだし。
    子供の関心が知的なことに移ってもまだ外遊びを強制するのは、行き過ぎではない?

  8. 【661751】 投稿者: 軟弱母  (IP Logged) 投稿日時:2007年 06月 15日 10:12

    要は さんへ

    子どもの関心が知的なことい移ってもまだ、外遊びを強制する親はあまりいないんじゃないですか?
    少なくとも、子どもの教育に気を配っている親であれば。
    逆に、たくさんな遊んで、創造して、空想して・・・という時期をまだ卒業していない子に
    大人が、受験するから、今から勉強よっと卒業を誘導することが問題なのではないですか。
    もっとも、子供達は大人が「勉強しなさい」とやきもきする中で、
    それなりに、ボーっとしたり、空想したり、興味の幅を広げているとは思いますが。
    もっと、堂々と興味の幅を広げる時間があっても良いのではないのかなあ。

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