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【4638604】今、21世紀型のグローバル人材教育の小石川と渋幕vs旧御三家

投稿者: どうします?   (ID:l25cDCwp2HM) 投稿日時:2017年 07月 10日 21:19

今、21世紀型のグローバル人材教育をしっかりやっているのが、小石川と渋幕(渋谷教育学園幕張中学・高校)といわれる。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170710-00000006-nikkeisty-bus_all&p=3
渋幕同様、小石川の梅原章司校長は「開成中学や桜蔭中学などいわゆる男子や女子の『御三家』に合格しながら、本校に入学する生徒もいます」と話す。

そう言えば、両校とも開成、桜蔭を蹴って入学する生徒が爆発的に増えているというのはこちらでも常識?!
ヤフートップからたどり着いたこの記事に将来の眩しい光を見出しました。今までがどうかしてたのでしょうね?

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  1. 【4671497】 投稿者: どうして  (ID:.IZZedpds6o) 投稿日時:2017年 08月 14日 23:43

    渋谷学園応援団は雀の学校の生徒の如く、口を開けば「自調自考」ばかり唱えているの?これって、自分で調べて自分で考えること?それって、どこの学校でも当たり前にやってるんじゃないの?4字熟語にしたことが立派なの??

    あと、どうしてこんなに自分の学校を礼賛するの?良い学校なら「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」なんじゃないの?どちらかと言うと、御三家などの方がこちらに近い気がする。

    いずれにしろ、渋谷学園は良く分からん。応援団が言う様な良い学校なら、黙っていても自然に生徒が集まるはずなんだが。これだけ宣伝するということは、御三家に行く優秀な生徒を引き抜いて自分の学校に入れたいという意図なのかなあ??それが目的なら、過剰宣伝は逆効果の気がする。

  2. 【4671504】 投稿者: あ  (ID:pLc738CjSAc) 投稿日時:2017年 08月 14日 23:50

    > いわゆる鉄御三家の悪いところは、検索するとたくさん出てきます。
    > でも、いいところって書き込みありましたか?
    > 少なすぎて気がつかなかった。

    そうですね。少ないですよね。
    少ないですが、たまに見るのは「優秀な生徒が集まっている」という点ですね。
    学校の教育自体に「いいところ」があるわけではないので、優秀な子が入学してくれるかどうかは死活問題。だから応援団は、昨今伸びてきた教育力のある学校に優秀な子を奪われまいと、必死になっているわけですね。他校批判・個人批判に走るばかりで、逆効果のようですが。

  3. 【4671517】 投稿者: ワケ  (ID:zOQ0pmXg/Vc) 投稿日時:2017年 08月 15日 00:03

    少ないとは思わないが、確かに渋谷よりは少ない。だって渋谷ほどエデュに熱心な学校はないから。渋谷はエデュの主役でしょ。日々の努力の賜物です。

  4. 【4671528】 投稿者: 自調自考ね。夏号まだかな?  (ID:CWB0NLXWiuc) 投稿日時:2017年 08月 15日 00:21

     七月、文月。八月、葉月。  季節の移ろいを表わす二十四節気では、この時期を小暑、末候、鷹乃学を習うとして鷹の雛が巣立ちし一人前になる時期と重ねる。  学校は、小暑、大暑、立秋、処暑と云われる季節、夏休みに入る。  この時期「子供より親が大事、と思いたい。」で始まる太宰治の最後の作品『桜桃』に因んで「桜桃忌」があるが、さくらんぼは初夏の季語にもなっている。江戸時代は桜干は白身の魚を開いて味醂醤油に浸して干したものを云った。桜桃が桜の実を示すものとなったのは明治以降のことである。  このように「言葉」は表現であって動くもの、変遷していくものを留める役割をする。なぜ留めるのかというと、人間の「意識」は静止したものしか扱えないからである。「意識」が扱えるのは静止したもので、それを「情報」と名づける。  よく学校で学ぶ目的を「心身の発達」という表現で表す。ここで云う「心」は「意識」のことで、日本の歴史のなかでは、身体を中心に考える時代と心を優先して考える時代が交互に現われたようである。想定するに、縄文、戦国時代は身体が先行する時代、平安時代、江戸から現代はほとんど心の優先する時代と云えよう。  鎌倉時代前期の道元禅師が書くのは「身心」つまり身が上で心が下だが、江戸時代に入れば「心身」である。現代ではもちろん「心身」であろう。なぜなら人々は「心」を上にしているからである。  戦国時代の侍はコンプライアンスを無視したに違いない。これを心を上に考える現代の私達は「乱世」と呼ぶ。  この歴史の経過には善悪があるわけではない。問題はどちらを優先するか、それが時代によって違うということである。  中世の武将太田道灌は、歌の心に無知だったことを恥じ、和歌の道を学ぶ。他方『明月記』の藤原定家は「紅旗征戎わがことにあらず」と書いた。平安時代、心の優先の時代のことである。  この学校は六週間という長い休みに入る。一日ほぼ十五時間余。計六百三十時間、この時間をどう過ごすか。自調自考の生徒諸君は毎日の過ごし方の主導権を学校から取り戻し、一人一人が時間をどう使うかを決める夏休みに入る。  実りある六週間にするのは君自身にあることをもう一回云っておく。国連の幸福度計画(人間開発指数)には「良い暮らしの要素を決めるのはあなた自身である」と表現している。  「習慣は第二の自然である。(モンテーニュ)」「努力によって得られる習慣だけが善である。(カント)」。そして「若いうちは何かになりたいという夢を持つのは素晴らしい。しかし同時にもっと大切なこととして、いかに生きるかということがある。日々の行いを選び積み重ねること、その努力こそが良い習慣を身につけさせ、人生の行方を決める。(串田孫一、詩人哲学者、山の随筆が有名)」。  これ等の言葉は誠に有益、有用、特に学校のない夏休み期間中、大変大切なことを伝えてくれている。  問題は受け取る意識の主体である「身体」がつねに変わっていることによっておこることであろう。  極端に云えば人体構成の分子は七年でまったく入れ替わってしまう。最も変化しつづける人間だからこそ、いかに「汎用AI(人工知能)」が発達しても人間が活躍することが出来るとの論拠になるのではあるが。  そこで大切だと思ったことを留めおく役割をする「言葉」や「文章」を机の前に貼っておくことは、こう考えると意外に大事なのかな。  自調自考生諸君、どう考える。

    これ去年のね。
    今年の夏のお話、早く読みたい!

  5. 【4671530】 投稿者: あっ、もしかして  (ID:.IZZedpds6o) 投稿日時:2017年 08月 15日 00:26

    自調自考とか、シラバスとか、グローバルとか叫んでいる人達は、もしかして渋谷学園のイメージを下げるためのネガティブキャンペーンをしているのかな?

    それなら、少し納得。でも穿ち過ぎかな。でも、ここまで押し付けがましいと、何か裏の意図を感じるな。

  6. 【4671534】 投稿者: 悲しい  (ID:Cnvein5I17E) 投稿日時:2017年 08月 15日 00:35

    投稿者: 自調自考ね。夏号まだかな?(ID:CWB0NLXWiuc)
    投稿日時: 17年 08月 15日 00:21
     七月、文月。八月、葉月。  季節の移ろいを表わす二十四節気では、この時期を小暑、末候、……以下略……

    ==============
    今まで露骨な渋谷の宣伝は全部「開桜vs渋谷の漁夫の利狙い」の底レベル校の工作員の仕業だと信じていたよ……。
    でも、本当は、ホンモノの保護者の書き込みだったんだね。
    なんで他校の悪口を言わないと済まないのかな?
    ちょいちょい出て来る桜蔭の保護者みたいに
    「うちの子には合っていた」
    「うちの子は楽しい学校生活を送っている」
    と実例一人分に見合った書き込みをすればいいのに…

    全部工作員の仕業だと信じていたが裏切られた。本当にショック。

  7. 【4671537】 投稿者: え?ショック?!なんで?  (ID:gANtttv6Hfg) 投稿日時:2017年 08月 15日 00:45

    学がない故、理解するのに少々時間を要し、3回読ませてもらったよ。

    なんだこれ!生徒向け?!

  8. 【4671540】 投稿者: なんとなく分かってきた  (ID:ej7uF.bVhQA) 投稿日時:2017年 08月 15日 00:50

    何だか、ショックとか嬉しいとかそういうもんではないのかもしれない…

    絶対的な知性を磨きなさい、あなたなりの…

    ということかな?
    ごめん、ふと、今そう思った…

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